ライブ、大規模、大音量:スタジアム・ロックの先駆者たち

音楽史家たちは、1965年にビートルズがニューヨークのシェイ・スタジアムで演奏したことを、後にスタジアム・ロックと呼ばれるようになった音楽の始まりと捉えている。1970年代半ばまでに、アメリカをはじめとする世界中のスポーツスタジアムやアリーナが、当時のビッグなミュージシャンたちのステージとして使われるようになった。実際、この音楽ジャンルの代名詞とも言えるバンドも登場した。では、どのバンドが、どこで演奏たのか?
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スタジアム・ロックの誕生

1965年8月15日、ビートルズはニューヨークのシェイ・スタジアムに登場し、5万5,600人の熱狂的なファンを前に演奏した。大規模な屋外スタジアムがこのような目的で使用されたのは初めてのことであり、ビートルズがスタジアム・ロックの創始者となったと言えるだろう。
初期の出演者

1965年後半、正確には12月17日、ジュディ・ガーランドが、当時新しくオープンしたばかりの世界初の多目的ドーム型スポーツスタジアムであるヒューストン・アストロドームのステージに立った。彼女はこの会場で演奏した最初のアーティストであり、スプリームスがサポートを務めた。
ウッドストック・フェスティバル

しかし、スタジアムっで演奏する魅力は、音楽フェスティバルに出演する魅力とは必ずしも一致しなかった。1969年8月15日から18日にかけて開催されたウッドストック・フェスティバルには、約50万人が集まり、サンタナ、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックスといった大物アーティストがステージに登場した。
オルタモント・フリーコンサート

1969年12月6日、カリフォルニア州で開催されたアルタモント・フリー・コンサートには、30万人から50万人の観客が集まった。このコンサートは、ヘルズ・エンジェルスを警備員として起用したことと、群衆の騒乱により一人が死亡、数人が負傷するなどの深刻な暴力行為が行われたことで記憶に残っている。
「ギミー・シェルター」

オルタモントでの悲惨な出来事は、ローリング・ストーンズの1969年の米国ツアーの最後の数週間を記録したドキュメンタリーである「ギミー・シェルター」に収録されている。
ストーンズがマディソン・スクエア・ガーデンで演奏

「ギミー・シェルター」には、同年11月28日にマディソン・スクエア・ガーデンに出演したローリング・ストーンズの姿も収録されている。マディソン・スクエア・ガーデンは1968年2月にオープンし、約2万人の観客を収容できる会場であり、ニューヨークのロックバンドにとって急速に人気の会場となっていった。
グランド・ファンク・レイルロード

スタジアム・ロックの先駆者は、アメリカのハードロックバンド、グランド・ファンク・レイルロードだった。1969年8月にデビューアルバム「グランド・ファンク・レイルロード登場(オン・タイム)」をリリースした後、グランド・ファンク・レイルロードはツアーに出発した。瞬く間に、スタジアムやフェスティバルで18万人の観客を動員するようになった。1971年には、ビートルズのシェイ・スタジアムの観客動員数記録に並んだ。
ザ・フォーラム(カリフォルニア州)

グランド・ファンクの会場の一つは、カリフォルニア州イングルウッドにあるザ・フォーラムだった。1967年12月30日にオープンしたザ・フォーラムは、かつてはアメリカで最も有名な屋内スポーツ会場の一つであり、長年にわたり音楽界の大物アーティストを数多く迎えてきた。
エリック・クランプトン

ザ・フォーラム初期の出演者としては、イギリスのロック・スーパーグループ、クリームが挙げられる。彼らはバンドの解散ツアーの一環として、1968年10月18日と19日の2日間、ディープ・パープルをオープニングアウトに迎えて2公演行った。写真はクリームのギタリスト、エリック・クラプトンである。
タンパ・スタジアム(フロリダ州)

ロックバンドの世界的舞台となったもう一つの有名なスポーツスタジアムは、やはり、1967年にオープンしたフロリダ州のタンパ・スタジアムである。
レッド・ツェッペリン

1973年5月5日、レッド・ツェッペリンはタンパ・スタジアムに5万6,800人の観客を集めた。これは当時、単独アーティストの公演としては史上最多の観客数だった。
スタジアム・ロックの見た目とサウンド

実際、1970年代はスタジアム・ロックが本格的に普及した時代だった。音楽、声、リフ、髪型、ブーツなど、あらゆるものがブームを巻き起こした10年間だった。1977年にザ・フォーラムで演奏したイギリスのロックバンドであるクイーンは、轟くドラム、高らかに響くギターソロ、力強いボーカル、そしてキャッチーなコーラスでスタジアム・ロックのサウンドを体現していた。
スタジアムに適したバンド

1970年代には、ラジオ向きのロックミュージックのスタイルを演奏し、スタジアム・ロックの代名詞となったバンドが数多く登場し、それが主流となった。
Styx(スティクス)

これらのグループの中には、1972年にシカゴで結成されたアメリカン・ブログレ・ハードを代表するバンド、スティクスもいた。スティクスは、ハードロックギターとアコースティックギター、シンセサイザーとアコースティックピアノを融合し、スタジアムの音響に完璧にマッチしたパワーバラードを生み出した。
ジャーニー

ジャーニーもまた、スタジアム・ロックと密接な関係にあるバンドの一つである。彼らは1978年から1987年にかけて最も商業的な成功を収めた。この頃のスタジアム・ロックは、おそらく「アリーナ・ロック」と呼ぶ方が適切だっただろう。
ボストン

そして、全米のアリーナを満員にしたのはボストンだった。1976年、ボストンは「宇宙の彼方へ/More Than a Feeling」をリリースした。この曲はクラシック・ロックのラジオの定番となっただけでなく、スタジアム・ロックのアンセムとして多くの人に認識されている。
REOスピードワゴン

ボストンと肩を並べるのがREOスピードワゴンだ。1967年に結成されたREOは、1970年代に独自のサウンドを確立し、1980年代には商業的に大きな成功を収めた。
TOTO(トト)

TOTOは1970年代後半から1980年代前半にかけて、「ホールド・ザ・ライン」、「アフリカ」、「ロザーナ」などの曲で大成功を収め、1979年にロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われたこのコンサートのように、大勢の観客の前でライブ演奏を披露した。
エマーソン・レイク・アンド・パーマー

イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド、エマーソン・レイク・アンド・パーマーは、1977年2月、真冬のモントリオール・オリンピック・スタジアムでワークス・ツアーのリハーサルを行ったことで有名である。リハーサル中に、氷点下の気温の中で「庶民のファンファーレ」のミュージックビデオが撮影された。
ザ・フー・バイ・ナンバーズ

1976年5月31日、ロンドンのザ・ヴァレー・スタジアムで行われたザ・フーのコンサートは、耳をつんざくような120デシベルを記録し、ギネスブックに世界一の大音量コンサートとして認定された。前年の12月6日には、ミシガン州ポンティアック・シルバードームにて7万8,000人を動員し、当時の最大屋内コンサート記録を樹立した。
ザ・フーのコンサートの惨事

その偉業は3年後の1979年12月3日、シンシナティのリバーフロント・スタジアムで7,000人のザ・フーファンが、出来るだけ良い席を確保しようとスタジアムに突進して押し寄せ、11人が下敷きになるという惨劇に見舞われた。この悲劇は「フェスティバル・シーティング」と呼ばれていた。この事故を受けて、この慣習は禁止された。
音楽が演劇になる

ピンク・フロイドのようなバンドは、スタジアムでのライブの芸術的価値をすぐに理解した。彼らは精巧なステージショーで知られており、多目的アリーナでのコンサートは、音楽を演劇へと昇華させる様々な機会をもたらした。写真は1980年8月7日、ロンドンのアールズ・コート・アリーナで行われた「ザ・ウォール」ツアー中のバンドのステージである。
主流の舞台

主流のアーティストたちも、アリーナで演奏する機会に目覚めていた。1974年10月、フランク・シナトラはマディソン・スクエア・ガーデンでテレビ放映されたコンサート「ザ・メイン・イベント・ライブ」に出演し、批評家から高い評価を得た。
世界中に発信

エルヴィス・プレスリーは1970年2月から3月にかけてヒューストン・アストロドームで6回のコンサートを行った。1972年にはマディソン・スクエア・ガーデンに出演し、1950年代以来初めてニューヨークで公演を行った。1973年1月14日にはホノルル・インターナショナル・センター(写真)で行われたコンサートの模様は世界中に生中継され、プレスリーのパフォーマンスだけでなく、舞台装置のデザインも高く評価された。
ライヴエイド

1980年代半ばには、このスポーツスタジアムは音楽アーティストたちが社会問題を表明するために利用されるようになった。1985年7月13日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムとフィラデルフィアのジョン・F・ケネディ・スタジアムで同時開催され、テレビ中継されたライヴエイド・コンサートは、この種のコンサートの先駆けとなった。
世界中の視聴者

当時の世界人口の約40%にあたる150か国、推定19億人が生放送を視聴した。
ファーム・エイド

同じ1985年9月22日、イリノイ州シャンペーンのメモリアル・スタジアムで、8万人の観客を集めてファーム・エイド・チャリティコンサートが開催された。共同創設者のニール・ヤング、ウィリー・ネルソン、ジョン・メレンキャンプによって主催されたこのイベントは、アメリカ合衆国の家族経営農家のために900万米ドル以上もの資金を集めた。ファーム・エイドは現在も毎年開催されている。
コンスピラシー・オブ・ホープ・ツアー

1986年6月、アムネスティ・インターナショナルへの募金活動として、全米6か所のアリーナで「コンスピラシー・オブ・ホープ」と題したチャリティコンサートが開催された。ボブ・ディラン、ルー・リード、ピーター・ガブリエル、U2、そしてポリス(写真はニュージャージー州ジャイアンツ・スタジアムにて)などが出演した。
ポール・マッカートニー

1990年代、ニルヴァーナのようなオルタナティブ・ロックやグランジバンドの成功により、スタジアム・ロックというジャンルの人気は衰退した。しかし、スタジアム/アリーナという会場は依然として人気を博した。1990年4月20日、元ビートルズのポール・マッカートニーがリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで行った公演には、18万4,000人の観客が集まった。
世界的な舞台

今日、世界中のスポーツスタジアムやアリーナでは、史上最大級の音楽パフォーマンスが披露され、かつてないほどの観客動員数を記録している。例えば、テイラー・スウィフトは記録破りのツアー「ERAS(エラズ)」で、常に9万人以上の観客を動員してきた。2024年8月にウェンブリー・スタジアム(写真)で行われたツアーでは、ヨーロッパツアー最終公演の5公演のうち、最初の公演だけで9万2,000人のファンが来場した。
出典:(This Day in Music) (Medium) (Encyclopedia.com) (The Guardian) (Guinness World Records)