あまりに多くの人々を殺した、スペインかぜの病原ウイルス…現代に復活させることにリスクはなかったのか。断言できない「実験室からの漏出」
前回の記事では、100年以上前のスペイン風邪インフルエンザのウイルスを現代に復活させた科学者たちの執念と、そこから明らかになったウイルスの病原性について紹介しました。
これは、科学的・医学的に重要な成果ですが、一方で、病原体の復活や、それを論文で公表することについて懸念を抱く人たちもいました。バイオテロに使われる恐れが否定できないからです。
今回は、病原体の遺伝子操作や合成生物学、そのための安全対策についてみていきます。
復活の倫理
それにしても、かつて多数の人々を殺したウイルスを、現代に復活させることに危険性はないのだろうか。
そう考えるのは誰しも同じで、論文を掲載した「サイエンス」誌と「ネイチャー」誌は、2005年のこの時、普段とは異なる対応をした。論文*そのものだけでなく、論文掲載にまつわる経緯について追加情報を公表したのだ。さらに、論文の筆者であるタウベンバーガー自身も声明を公表している。
*論文:前回記事で述べた、2005年10月に公表されたウイルスの全遺伝情報と、それに基づくウイルス復活に関する論文
「サイエンス」誌は、「1918年インフルエンザと責任ある科学」と題してフィル・シャープの論説を掲載した。1993年にノーベル生理学・医学賞を受賞したMITの分子生物学者だ。さらに、「サイエンス」誌は、論文の著者に対し、論文の著者が所属するCDCのセンター長と、国立アレルギー・感染症研究所の所長に論文公表の許可を得るよう求めていた。
また、米国保健福祉省(HHS)の長官は、「サイエンス」誌と「ネイチャー」誌の両方の論文について、「バイオセキュリティーに関する米国科学諮問委員会(NSABB)」がレビューするよう求めた。
NSABBは、2001年の9・11事件をきっかけに生まれた組織である。生物学の情報が医学や公衆衛生の向上に役立つと同時に、バイオテロにも使われる恐れがあるという両面性を9・11事件はクローズアップした。そうした懸念を背景に、政府機関や科学者コミュニティーに対し、データ公開について助言する機関として設立されたのがNSABBだ。
一部の科学者にとっては、こうしたNSABBによるレビューは驚きだったようだが、その一方で論文の公表に懸念を感じている人もいた。
「ネイチャー」誌もニュース記事で、データ公表に関してそうした懸念の声を紹介している。「有効な生物兵器を作り出すための手順を提供してしまった」と述べる細菌学者もいた。「もし、研究室から流出したら、非常に危険だし、これまでの歴史でも流出は起きてきた」と指摘する分子生物学者もいた。
ウイルス「封じ込め」の世界基準
ウイルスを扱う施設の安全性についても議論があった。
危険性のある微生物は、普通の研究室では扱えない。研究室から外に出ないような「封じ込め」が施された施設で実験する必要がある。
封じ込めには世界共通の4段階の基準があり、最も厳しい施設はBSL4と呼ばれる。BSLはバイオ・セイフティー・レベルの頭文字で、日本では物理学的封じ込めを意味するフィジカル・コンテインメントの頭文字を取って、P4と呼ばれることが多かった。扱える微生物は、各段階ごとに決まっている。

実験室レベルと病原体レベルの分類(国立健康危機管理研究機構)
スペイン風邪ウイルスは、BSL3を強化したやり方で扱うことができる。これに対し、不十分ではないか、という声もあった。そうした懸念の背景には、2003年にシンガポールや台湾、中国の実験室から漏れたSARSのケースがあったようだ。
こうした懸念に対し、「サイエンス」誌の論文の筆頭著者であるタンペイは、「BSL3を部分的に強化した『強化BSL3』で十分」と主張していた。施設の構造はBSL3のまま、研究者がBSL4で使われる宇宙服のようなボディースーツと呼吸器をつけて作業する方式だ。タンペイは、スペイン風邪ウイルスを扱うのは自分だけだし、実験室にアクセスできるのはごく少数の研究者で、瞳の虹彩と指紋によるチェックがあると安全性を強調していた。
1918年のウイルスには、現在の抗ウイルス剤が有効だというセイフティー・ネットもある。実際、スペイン風邪ウイルスを扱う研究者の中には、実験中、抗インフルエンザウイルス薬のタミフルを飲み続けている人もいたようだ。
オーダーメイドで遺伝子をつくる会社も
こうして復活したスペイン風邪ウイルスの遺伝子情報は、公的な遺伝子バンクである「ジェンバンク(GenBank)」に登録された。米国生物工学情報センター(NCBI)が運営する公的なデータベースで、日本の国立遺伝学研究所が作成した「日本DNAデータバンク(DDBJ)」や、欧州のデータベース「EMBL」ともリンクしている。
これらの情報は、世界に向かって公開されている。一方、今や塩基配列の情報さえあれば、注文に応じて遺伝子を合成してくれる会社もあちこちにある。
「ネイチャー」の編集長、フィリップ・キャンベル(当時)は、こうした科学研究の結果を公表することについて「明らかに利益がリスクを上回る」と指摘していた。さらに、政府が論文公表に口を出してくることに対する懸念も示している。
タウベンバーガーもまた、完璧な安全の保証はないことを認めつつ、ウイルス復活の意義を次のように述べていた。
「スペイン風邪の子孫は、今もソ連風邪として私たちの間に流行し、ワクチンとしても使われている。私たちにはH1N1型ウイルスへの免疫があり、復活させたウイルスがパンデミックを起こすとは思われない。むしろ、インフルエンザウイルスが、どのように動物から人に適応するのかを知ることの方が大事である」(筆者注:ソ連風邪のウイルスはその後、2009年パンデミックウイルスにとって代わられたが、いずれもH1N1型ウイルスである)
フィル・シャープもまた、こう述べている。「国の安全保障と公衆衛生の両方の観点から、この情報の公表を許可したことは正しい判断だった」

フィル・シャープ氏 photo by gettyimages
ウイルス「復活」の功罪
確かに、スペイン風邪ウイルスの「復活」は、インフルエンザのパンデミックを理解する上で、重要な情報を提供した。
2009年にパンデミックを起こした豚由来の新型インフルエンザが出現した直後には、「スペイン風邪のウイルスに見られるような強い病原性はない」と専門家が述べた。これは、スペイン風邪ウイルスの遺伝子と、新型のインフルエンザウイルスの遺伝子を、比較したからこそ言える情報である。
ハルティンやタウベンバーガーらの、飽くなき探求と挑戦がなければ、21世紀最初のパンデミックだった2009年の新型インフルエンザウイルスが、20世紀最初のパンデミックであるスペイン風邪のような病原性を持っているのかどうか、知ることはできなかった。
その一方で、復活させたスペイン風邪ウイルスが流出した場合に、パンデミックを起こさない保証はない。なんといっても2009年に登場したパンデミックウイルスはスペイン風邪ウイルスに近い遺伝子を持つH1N1型によるものだったことを忘れてはならないだろう。当時のプレスリリースによると、復活ウイルスは厳格なセキュリティ体制の下、CDCに保管されたという。
合成生物学
スペイン風邪復活の議論はおさまったものの、微生物の「復活」や「再構築」の安全性をめぐる議論が、過去のものになったわけではなかった。
2009年8月11日付けの「フィナンシャル・タイムズ」紙は、1ページを使って「合成生物学」の話題を展開した。「生物学はフランケンシュタインの時代に近づいている」という、ややセンセーショナルな書き出しで、米国のクレイグ・ベンターらの研究を取り上げていた。
ベンターはゲノム解読の業界では誰もが知っている人物だ。1990年代の初めに開始された「ヒトゲノム計画」で、公的機関が集う「国際チーム」の向こうを張って、ビジネスとしてのゲノム解読を進め、話題を呼んだ。自分自身の全ゲノムを解読し、公開していることでも知られる。
そのベンターが取り組んでいるのは、「実験室で微生物を人工的に作り出す」というプロジェクトだ。2008年に、ある細菌のゲノムを合成することに成功し、次のステップとして人工合成したゲノムを、別の細胞に入れて動かそうと計画していた。2009年8月20日には、そのために必要な技術を「サイエンス」のオンライン版に公表している(ベンターのチームは2010年に110万塩基対からなる細菌マイコプラズマ・ミコイデスのゲノムの人工合成に成功した。2016年には53万1000塩基対、遺伝子473個からなる人工細胞を合成したと発表している)。
こうした研究がさらに進めば、安全性をめぐる議論は勢いを増し、公的機関の監視を求める声が強まっていくのかもしれない。
フランスのBSL4
首都パリからTGVに乗って約2時間半。フランス第2の都市、リヨンに着いたのは夜もふけかかっている頃だった。ローヌ川とソーヌ川に囲まれ、旧市街にはノートルダム大聖堂がそびえる。
食通の人々にとって素通りしてはならない街、というのが多くの日本人のイメージかもしれない。ポール・ボキューズなど有名店が集まり、「美食の都」とも呼ばれる。文学に素養のある人々が思い浮かべるのは、永井荷風の『ふらんす物語』かもしれない。100年以上前、銀行員としてリヨンに滞在した20代の荷風が、その経験をもとに書いた短編集だ。
しかし、私の興味の対象は別のところにあった。感染症研究の拠点としてのリヨンだ。
荷風がこの地に滞在していたころ、リヨンに生まれた科学者がいた。その名をシャルル・メリューという。父マルセル・メリューは、パスツールの弟子としてパリで働いていた人物で、リヨンに来て感染症の研究所を発足させた。その後を継いだのがシャルルで、2001年に94歳で亡くなるまで、ワクチン生産を始めとする感染症や疫学の研究・産業化に多方面で活躍してきた。
こうした歴史的背景をもとに、リヨンには世界的な感染症分野の企業や施設が存在する。その一つが、シャルルが資金を投じて作った「BSL4」施設だ。

リヨンの「BSL4」施設 photo by gettyimages
市街地にある民間施設
エボラ出血熱ウイルスなど、リスクの高いウイルスを扱える施設で、2006年に訪問した時には、「大型動物の実験ができる欧州唯一の民間BSL4施設だ」と聞いた。
案内されたBSL4施設は、頑丈な四角い建物だった。残念ながら(というか、当然のことながらというか)、BSL4の実験室そのものの中を見せてもらうことはできなかったが、講堂で施設の説明を受けた。ここでは、日本人の研究者も共同研究をしているという。
印象的だったのは、郊外の森の中ではなく、町中にあったことだ。東京の都心のような密集地というわけではないが、近くには学校もあるという。
日本にもBSL4施設がないわけではない(前述の通り、日本ではP4と呼ばれることが多い)。理化学研究所(理研)のライフサイエンス筑波研究センター(現・理化学研究所筑波研究所)に1984年、国立感染症研究所の村山庁舎(武蔵村山市)に1981年、それぞれ建設されている。いずれも、リヨンのBSL4施設のように宇宙服のような防護服を着て入る実験室ではなく、密閉された箱形のキャビネットにグローブが作りつけられ、ここに手を入れて実験する「グローブボックス」型の施設だ。

国立感染症研究所所 村山庁舎の外観と、実験室のグローブボックス(国立健康危機管理研究機構)
理研では、1988年6月から1989年3月にかけて、9カ月だけP4実験が行われたことがある。遺伝子治療などを行う時に、ヒトの細胞に外から遺伝子を導入する「レトロウイルス・ベクター」の安全性評価が目的だった。
頭の痛い問題
しかし、どちらの施設もP4施設としては使われてこなかった。安全性への不安を訴える住民の反対によって、P4が対象とする病原体を扱うことができなかっためだ。感染研では、もう一段封じ込め力が弱いBSL3でも扱える微生物の研究に使われてきたようだ。
こうした状況が、ウイルスの専門家にとっては、頭の痛い問題となっている。そのことは、たとえば、東大医科学研究所の河岡義裕が頻繁に日本と海外との間を行き来していることからもうかがえる。
河岡が研究対象としていたスペイン風邪ウイルスを元にした人工合成ウイルスや、エボラ出血熱ウイルスなどは、BSL4でなければ扱えない。このため、カナダにあるBSL4施設まで出かけることになる。
(その後、感染研の施設は市民を含む協議会の開催や、市民セミナー、見学会などを経て、2015年に感染症法に基づくBSL4施設として指定された。2019年9月にはBSL4で扱うラッサウイルス、エボラウイルスなどを輸入している。また、これとは別に、長崎大学に新たにBSL4施設が設置され、本格稼働に向けた準備が進められている。これに対し、周辺住民の反対運動も起きている)
透明性のある議論
BSL4は、なにも実験に使われるだけではない。危険な病原体への感染が疑われる患者が発生した時にも、出番がやってくる。
2008年7月、致死率の高い出血熱の一つである「マールブルグ出血熱」が、オランダで発生した。患者は40代の女性で、6月にウガンダを旅行していた。この時に、対策に当たったオランダ国立公衆衛生環境研究所の医師、アウラ・ティーメンの話を聞いたことがある。2009年1月に東京で開かれた「新興・再興感染症シンポジウム」で講演した時だ。
講演は、ウガンダの洞窟の映像から始まった。森の中にある洞窟を大量のコウモリが埋め尽くし、鋭い鳴き声が響く。この地域は、マールブルグウイルスを体内に持つコウモリが生息している場所でもある。旅行チームは、この洞窟を見学していた。
女性にマールブルグ出血熱の疑いが生じた時点で、専門家の対策チームが組織された。確定診断のために、患者のサンプルは国境を越えてドイツに送られた。なぜなら、このウイルスを扱うにはBSL4施設が必要だがオランダにはなく、もっとも近い施設があるのがドイツだったからだ。
シンポジウムには、ティーメンの他に、2006年にドイツでラッサ熱患者が発生した際に対応した感染症の専門家、レネ・ゴチャックも招かれていた。ラッサ熱の病原体もまた、BSL4施設を必要とするウイルスだ。

マールブルグウイルス photo by gettyimages
このシンポジウムを主催したのは内閣府で、文部科学省、厚生労働省、農林水産省が共催していた。背景には、これらの省庁が連携して実施している「新興・再興感染症連携施策群」があった。
この中に、文部科学省の科学技術振興調整費で検討されてきた「高度安全実験(BSL4)施設を必要とする新興感染症対策に関する調査研究」も含まれていた。研究の目標は、国内でのBSL4施設の必要性を国民に理解してもらい、既存の施設の稼働や、新たなBSL4施設の建設に向けて提言することだった。
「なにも話せない」と取材を拒否
このプロジェクトには、BSL4施設に関するリスクコミュニケーションの研究も含まれていた。しかし、国内にBSL4施設が必要かどうかの議論は当時、表だってなされたことがなかった。
それは、このプロジェクトが始まった当初、研究班のメンバーに取材しようとして、壁に突き当たったことに象徴されている。「非常にセンシティブな話なので、まだ、なにも話せない」というのだ。
確かに、過去のいきさつから、研究者が不安に思う気持ちはわからないではない。しかし、それではいつまでたっても議論が進まないと、当時感じたことを思い出す。
シンポジウムの会場で、ティーメンとゴチャックに、こうした感染症の対応で何が大事なのかたずねた。二人の答えは「情報の透明性とコミュニケーション」で一致した。
本記事は、2009年に新潮社より刊行された『インフルエンザは征圧できるのか』(現在は品切れ)を再構成してお届けしました。