昆布水つけ麺を発明「生きる伝説」ブームに思う事

「水鶏系」や「昆布水つけ麺」を生み出してきた嶋﨑順一さん。2025年9月25日、新横浜ラーメン博物館にオープンした「ロックンスリー」で店主を務める(筆者撮影)
9月25日、新横浜ラーメン博物館に「ロックンスリー」がオープンした。店主は、ラーメン業界に革新をもたらしてきた嶋﨑順一さんだ。
【画像】まさに至高の一杯だ…ラー博で提供される水鶏系醤油ラーメン「地鶏醤油」はこんな感じ

ロックンスリーの外観(筆者撮影)
2005年に「69’N’ROLL ONE」をオープン。やがて「鶏と水」だけで作る鶏清湯ラーメンを世に送り出した人物だ。そして2006年に「昆布水つけ麺」を考案し、その後のつけ麺のトレンドをも決定づけた。
その嶋﨑さんが2014年に兵庫県尼崎市に拠点を移してから11年。この度、いよいよ関東に帰還しや。場所は新横浜ラーメン博物館というまたとない大舞台。これは彼にとって「第三章」の幕開けにほかならない。
「69’N’ROLL ONE」の開業は2005年12月

11年ぶりに関東に帰還した嶋﨑さん。この瞬間を、多くの関東在住ラヲタが待っていた(筆者撮影)
嶋﨑さんがラーメンの世界に入ったのは34歳の頃。多数の飲食店を経験した後に、1999年に「キリン食堂」に店長兼スーパーバイザーとして参画し、その後2005年12月に神奈川県相模原市で「69’N’ROLL ONE」を開業する。
転機は「鶏と水」だけのスープを試作したことにある。魚介や野菜を加えた複合的なダシが主流だった中、彼は鶏と水だけで挑んだ。ある時、比内地鶏を使ったスープに生醤油を合わせた瞬間、雑味のないクリアなうま味が際立ち、まさに「これだ」と直感したという。
それから、科学的アプローチで温度や抽出時間を突き詰め、鶏のうま味や余韻を最大限に引き出すスープを完成させた。それがやがて「水鶏系」と呼ばれる新しいラーメン潮流の原点となった。
そして次に生まれたのが「昆布水つけ麺」である。昆布水に浸した麺をそのまま啜れば、グルタミン酸のうま味が広がる。そこに鶏の出汁を合わせると、イノシン酸と掛け合わさり、口中でうま味が爆発的に増幅する。「最初は実験だった」と嶋﨑さんは振り返る。カツオやホタテなどを加えてみたが、結局は「昆布だけ」が最も力を発揮することを突き止めた。この一杯も多くのラーメン職人を刺激し、昆布水つけ麺は全国に広がっていった。
「元祖は嶋﨑順一」と言われながらブームに

尼崎「ロックンビリーS1」(2025年3月23日閉店)(筆者撮影)
2014年、嶋﨑さんは拠点を関西・尼崎に移して「ロックンビリーS1」をオープン。首都圏から離れ、ここから自分のラーメンをさらに磨き続けたのである。11年間、彼はほぼ一人で店を切り盛りし、徹底した研究生活を送った。
嶋﨑さんが尼崎で孤独に鍛錬を重ねている間、東京では「水鶏系」や「昆布水つけ麺」が爆発的に広まっていった。ラーメンファンの間では「元祖は嶋﨑順一」と語られる一方で、多くの店が独自解釈を加え、ジャンルとしての幅を広げていった。

調理中の嶋﨑さん(筆者撮影)
その状況をどう見ていたのかと尋ねると、嶋﨑さんは意外にも淡々とした答えを返された。
「特に何も思わなかった。誰かが真似しても、食べ比べれば違いはわかる。自分は毎日、自分のラーメンの欠点を見つけて修正することしか考えていない」(嶋﨑さん)
嶋﨑さんのラーメン哲学は、常に「自分の一杯を0点から見直す」ことにある。自分のラーメンに対しては徹底的なネガティブ思考だという。今日よりも明日の一杯を少しでもおいしくする。その積み重ねの先に、客に感動を与えるラーメンが生まれるのだという。
いよいよ「第三章の始まり」

嶋﨑さんは湯切りパフォーマンスも有名(筆者撮影)
そして2025年、嶋﨑さんがいよいよ首都圏に戻ってくる。新横浜ラーメン博物館からの出店オファーは以前からあったが、尼崎では一人での営業のため現実的ではなかった。しかし今回、嶋﨑さんのファンであり盟友でもある「らぁ麺 まほろば」の青山力さんが協力を申し出たことで実現に至った。「一人では無理。でも彼とならできる」とは嶋﨑さんは語る。
店名の「ロックンスリー」には、「第三章の始まり」という意味が込められている。第一章は東京でのデビュー、第二章は尼崎での研鑽、そして第三章は新横浜を拠点とした集大成の挑戦だ。

ラー博で提供される水鶏系醤油ラーメン「地鶏醤油」(筆者撮影)
ここで提供されるのは、全国から選りすぐった地鶏を日替わりでブレンドする「水鶏系醤油ラーメン」。比内地鶏を中心に、全国の地鶏を日替わりでブレンドすることで、毎日味の表情が変わる一杯だ。「一日一日、おいしくなれと思いながら仕込む」という嶋﨑さんの姿勢そのものが反映されたメニューとなる。
筆者も実際にいただいたが、それは他の水鶏系とはまったく似て非なるものだった。鶏と水というシンプルな構成ながら、そこには柔らかさやふくよかさがある。鶏の分厚いうま味を強烈に立たせたり、醤油の香りを強烈に立たせたりすることはない。あくまで懐かしいラーメンらしさを残しながら、高いバランスで素材を立たせている。

調理中の真剣な眼差しが印象的だった(筆者撮影)
「自分のモットーは“現代の技術”ד懐かしいもの”の融合です。懐かしいラーメンをベースにそれを技術で極限までおいしくしようと思って作っています。
ライフワークの『鶏と水』を極め、シンプルの向こう側に何があるのかさらに追求していこうと思っています。まだまだこれからです」(嶋﨑さん)
目指すのはお客さんの「感動」
ラーメン史を振り返ると、各時代に象徴的な潮流がある。「支那そばや」の故・佐野実さんが礎を築いた「淡麗系」、「中華そば 青葉」が広めた「Wスープ」、「頑者」が切り開いた「濃厚豚骨魚介つけ麺」。

「目指すのはお客さんの『感動』であって、自分の満足じゃないんです」と語る嶋﨑さん。研鑽を積み続ける姿勢に、多くの店主たちがリスペクトを送る(筆者撮影)
その中で「鶏と水」と「昆布水つけ麺」は、間違いなく平成から令和にかけての大きな幹の一つだろう。嶋﨑順一の名前は、すでにその系譜の中に刻まれている。
しかし本人は至って謙虚だ。
「作品なんて言葉は嫌い。ただ食べておいしいと思ってもらえればいい。
目指すのはお客さんの『感動』であって、自分の満足じゃないんです」(嶋﨑さん)
11年ぶりに首都圏に帰ってきた嶋﨑さん。その第三章は過去の集大成であると同時に、これからのラーメン界を変える扉でもある。