橋幸夫は恩人、浅野ゆう子は同級生。クレイジーケンバンド横山剣が語る「昭和はイイネ!」

“東洋一のサウンド・マシーン”ことクレイジーケンバンド(以下CKB)。ロックンロール、ソウル、R&B、ファンク、ジャズ、ボサノバから世界各国の民謡までありとあらゆるテイストが混ざり合う音楽性がCKBの特長だが、なかでも色濃いルーツとなっているのが昭和歌謡だ。CKBを率いる横山剣は昭和歌謡120曲の魅力を語り尽くした本(『昭和歌謡イイネ!』)も出している。今回は横山に自身のルーツでもある昭和歌謡の魅力について語ってもらった。
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「週刊ポスト」での連載をまとめた『昭和歌謡イイネ!』は、横山自身の楽曲にまつわる思い出や裏話もふんだんに記されたディープで濃密な昭和歌謡ガイドとなっている。目次にずらっと並んだ曲名&歌手名を眺めるだけで、昭和を知る世代には懐かしさがこみあげてくるだろう。
「“こんな曲、知らないだろう”とレアな曲ばかり紹介するのではなく、“みなさんがご存じのこの曲、じつはこんな裏話があるんですよ”というほうが面白いかなと。実際はそのときにパッと浮かんだ曲を選んだんですけど(笑)、改めて聴き直して、いろいろと発見がありました。当時は“何でこの曲にシビれたんだろう?”と不思議だった曲も、そのなかにある音楽的な良さがわかったり」
「お祭りマンボ」(美空ひばり)から始まり、「お嫁においで」(加山雄三)、「帰ってきたヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセイダーズ)、「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)、「圭子の夢は夜ひらく」(藤圭子)、「神田川」(南こうせつとかぐや姫)、「ひと夏の経験」(山口百恵)、「あの日にかえりたい」(荒井由実)、「時間よ止まれ」(矢沢永吉)、「ルビーの指環」(寺尾聰)など、本書に収められた曲の幅はきわめて広い。そう、ジャンルを超越した“何でもアリ”こそが昭和歌謡の魅力なのだ。
「昭和歌謡の良いところは、既成概念にとらわれていないところ。洋楽のいろんなエッセンスを圧縮して、高性能化した音楽と言いますか。
ミシェル・ルグラン(「シェルブールの雨傘」「愛と哀しみのボレロ」などの映画音楽で知られる作曲家)が“カテゴリーを決めず、いろんなものを融合させた音楽をやりたい”みたいなことを言っているんですが、昭和歌謡にも同じことが言えると思いますね。ここ数年、世界中の若い人にこの時代の曲が再発見されていますが、それも合点がいきます。あとは歌詞に感じる“滲み”ですね。はっきりとしたストーリーを歌っているわけではないのに、ちょっとタブーなことを指しているのではないかと連想したり、“この人はこんな悲しみを背負ってるに違いない”と聴き手が勝手に感じ取ってしまったりする“滲み”のある歌詞も、歌謡曲の良さだと思います」

■橋幸夫さんは父親の事業を助けてくれた“恩人”
同書(『昭和歌謡イイネ!』)には、昭和の音楽業界を知る人々と横山剣の対談も収録されている。まずは橋幸夫。今年9月に逝去した、昭和の大スターだ。
「橋幸夫さんには、いろいろと御恩がありまして。僕の父親はレコード会社の販促グッズなどを作る会社を営んでいたのですが、一時期、会社が傾きかけたんです。その際、ビクターから橋さんの“ふんどし幕”(※舞台などで使う垂れ幕のこと)やグッズの発注をもらって奇跡的に会社を立て直すことができたということがありました。音楽的にも影響を受けているんです。CK'S(CKBの前身)は渋谷系っぽいって言われていたんですけど、あるとき、初代ドラムの廣石恵一が橋さんの『恋のメキシカン・ロック』や『ゼッケンNo.1スタートだ』などを聴かせてくれて、“このラインは絶対ウチらに合う”と言ってくれたんです。そこから芸風をシフト出来ました。対談の最初に橋さんにこれらのお礼を言えたのは本当によかったな、と。ご本人はとっても気さくな方で、原稿にできないような話もたくさん聞かせて頂きました(笑)。壮絶でワクワクするようなお話ばかりで、昭和にワープしたいような、そうでないような……」

■浅野ゆう子さんとは同級生
そして村井邦彦との対談も。「エメラルドの伝説」「翼をください」といった作曲家としての功績と同時に、プロデューサーとして荒井(松任谷)由実、イエロー・マジック・オーケストラを世に出した“音楽ビジネスのパイオニア”としても知られる村井は、横山にとって「もっとも敬愛する音楽家の一人」だという。
「『本牧ブルース』(ザ・ゴールデン・カップス)やトワ・エ・モアさんの『ある日突然』などもそうですが、村井さんが作曲したメロディーはスタイリッシュであか抜けていて。ミュージックビジネスの世界でもサクセスしている方ですし、目標にするのもおこがましいような憧れの方ですね。実はこの対談が実現したのは、僕の『週刊ポスト』の連載コラムを読んだ村井さんからご連絡をいただいたのがきっかけなのですが、それも信じられなくて。お話しているときも現実感がなかったですが(笑)、音楽やっていてよかったなと思いましたね」
岩崎宏美、浅野ゆう子との対談も興味深い。岩崎、浅野と横山は、芸能人が数多く通っていたことで知られる東京の堀越学園に通っていたのだとか。
「岩崎宏美さんは2級上の先輩、浅野ゆう子さんは同級生です。といっても堀越学園は男子と女子の校舎が完全に分かれていて、当時は男女が話をするだけで停学だったので、遠くから眺めていただけでしたが。浅野さんは在学時からスターで、早引きして校門を出るとき、校舎に一礼している姿を見たことがあります。成績も抜群でしたね。岩崎さんは、実は僕が堀越に入るきっかけになった方なんです。15歳のときに父親のツテを辿って、ビクターの方に『作曲家として雇ってくれませんか?』とお願いに行ったことがありまして。その時にビクターでたくさんの色紙にサインをしている岩崎さんを見かけたんです。制服が堀越だったから“僕も堀越に入ろう”と(笑)」
同書には「小5のときに露店で中古レコードの実演販売をやっていた」「12歳のとき、チューリップが出演するイベントでデビュー前のキャロル(矢沢永吉などのバンド)を目撃し、衝撃を受けた」など横山自身の貴重すぎるエピソードも綴られている。昭和歌謡を、当時の人々がどのように聴いていたか、時代の雰囲気を感じ取れるようだ。

楽曲や歌手のエピソードも今ではちょっと信じられない、破天荒なものも多い。歌詞の内容など、現在のコンプライアンスに照らすと“これはアウトだな……”という楽曲もあるが、それを含めて昭和のパワーだったのだろう。
「音楽のクオリティーは総じて高いですし、そうでなくても、やばい空気をまとった方々がたくさんいらっしゃいましたね。GSグループのオックスなんて、ライブ中にメンバーが失神して、お客さんもバタバタ倒れたりして。どうにか個性を押し出そうとするあまり、とんでもないことが起きてしまうという。テレビに出ているアイドルも“異次元の世界にいる人たち”という感じがあったんですよ。プロデューサーがいて、作家がいて、演出家がいて、良い意味でアイドルを作り上げていた。恋愛はもちろん、ごはんも食べないし、トイレもいかない、みたいな(笑)。まったく自由がなくて大変だったと思いますけど、あの時代ならではのマジックがあるし、アイドルはアンドロイドみたいだった。そんなところに好奇心をくすぐられました」
■昭和歌謡はCKBの新作にも受け継がれている
クレイジーケンバンドの新作アルバム『華麗』にも、幅広い音楽性を濃縮した昭和歌謡から受け継いだものが刻まれている。タイトルの『華麗』には“加齢”という意味も重ねられているのだとか。
「“ブリリアント(華麗)”と“エイジング(加齢)”ですね。あとは時の経過の儚さ、美しさ。華麗に加齢していくことで深みや豊かさが増すこともあるだろうし、一方で滅んでいく哀しみもあって。それはみんなに平等に訪れることですからね。あと、“カレー”もかけてるんですよ。15曲分のスパイスが入っています(笑)」
ボサノバと和のテイストが混ざり合う「クラブ国際」、演歌のコブシを感じさせるボーカルが印象的な「どうでもいいよ」、抜けのいいソウル感、ジャズ感が気持ちいい「太陽の街」など、CKB独特のミクスチャー感覚にあふれた楽曲が並ぶ。

「『クラブ国際』は赤坂のお座敷感もありますね。小学生のときに父親に連れていってもらった『ニューラテンクォーター』の思い出も入ってるかもしれないです。ええ、力道山が刺されたとされるクラブですね。『どうでもいいよ』は五木ひろしさん的なテイストとクンビア的リズムを意識しました。僕にとって五木さんは、NO.1ソウルシンガー。演歌も大好きですが、その枠には収まらないスケールの歌手ですよね。『太陽の街』はクレイジーケンバンドを結成した本牧のこと。亡くなった廣石(CKBの初代ドラマーで今年3月に逝去)に向けているところもありますね」
「アルバムが出来るといつも“これがいちばんいい!”と思うんですけど、今回は特にカワイイ」と胸を張る横山剣。“結成28年目でオリジナルアルバム25作目”という無尽蔵のエネルギーの源はどこにあるのだろうか?
「冬は全く曲が浮かばないのに春から夏にかけてどんどん浮かんで止まらなくなる。“最新作が一番いい”と思ってますし、誰かが言っていたみたいに“最高傑作は次回作”という気持ちもあるんですよ。ザ・ローリング・ストーンズみたいに長く、ザ・ビートルズみたいに芸術的野心を持ち続けるのが理想なんですけど、なんせメンバーが11人いるので、予期せぬことも起こりまして(笑)。始まれば終わるのが世の常ですけど、目標は生涯現役なので、とにかく勝負し続けたいですね」
(取材・文/森 朋之)

よこやま・けん(クレイジーケンバンド)/1960年生まれ、神奈川県横浜市出身。小学校低学年の頃より脳内にメロディーが鳴り出し独学でピアノを弾き作曲を始める。小学校5年生(1971年)の時、中古レコード屋の野外サウンド・システムにてマイク片手に実演販売を行う。こうしたことがキッカケとなって音楽の世界にのめり込んで行く。中学2年よりバンド活動を開始して以来、地元横浜を中心に数多くのバンドで活躍するが、1981年にクールスRCのコンポーザー兼ヴォーカルとして晴れてデビュー。以後、ダックテイルズ、ZAZOU、CK’S等のバンドを経て、1997年春クレイジーケンバンドを結成。以降、2002年発売の「タイガー&ドラゴン」などヒット曲多数。通算25枚目のアルバム『華麗』を25年9月3日に発売した。