国旗を掲げただけで思想犯を疑われる”日独共通の病”…「愛国心なき教育」が招いた日本とドイツの精神的支柱の喪失
国旗を掲揚しただけで思想犯の疑いがかかるドイツ
10月18日、独ノートライン=ヴェストファレン州にある人口6500人の小さな自治体での出来事。夜が明けたら、街路樹、街灯、道路標識、生垣など、あちこちにドイツの国旗が翻っていた。その数、報道では「40流以上」(当該の自治体発表では25流)。その上、「国家に対する誇りは犯罪ではない」と書かれたプラカードまで見つかったため、「すわ、極右の仕業か?!」と左翼が色めきたった。
ドイツは、日本の比ではないほど自虐史観が発達している国で、国旗は官庁でさえ掲揚していない(例外は国会前の広場)。国旗はフランスではあちこちに立ち、ノルウェーでは個人宅でさえ堂々と掲げていたが、ドイツでは「国家」を連想させるものは主張しないのが戦後の掟。ドイツ人としての誇りは、技術的分野では存在するが、精神的分野では蓋がされたままで今まできた。だから、国旗を掲揚しただけで思想犯の疑いがかかる。ナチのトラウマは大きい。

photo by gettyimages
しかも、ここ20年ほどは政治とメディアが左傾化しており、愛国心そのものにも良からぬイメージが付けられた。緑の党のハーベック前経済相は自著に、「祖国という言葉を聞くと吐き気がする」と書いていたし、メルケル首相(当時)が党の集会の最後に、舞台上で隣にいたグローエ院内総務が小さな国旗を取り出して振ったのに気付き、公衆の面前にも関わらずそれを乱暴に取り上げ、舞台の袖に放ってしまったこともあった。蛇足ながら私は、メルケル首相は隠れ左翼だと確信している。

Photo by gettyimages
メディアまで抱え込んだ左翼国家
ドイツの左翼とは、社民党、緑の党、左派党などの党員と左翼活動家の他、大手メディア、環境および人権NGO、教師、さらに最近はそこに、かつて保守といわれたキリスト教民主同盟の一部政治家なども加わり、強固な岩盤を形成している。そして、その左派政治はメディアの力を大いに借りて保守を抑え込み、最近では司法にまで影響を及ぼし始めている。
ところが、それに抵抗する保守の力も強まっており、今回も、それら一部の愛国者たちが国旗掲揚作戦を展開したのだろうと思われた。

Photo by gettyimages
さて翌日、国旗は速やかに撤去され、地元メディアは、住民が「ゾッとして怯えた」と書き、その後、なんと、国家保安局が捜査に乗り出した(なぜ、田舎町で40流の国旗が掲げられたからといって国家保安局が出てこなくてはいけないのかは後述)。
もっとも国旗掲揚では罪を問えないため、掲揚のために塀を越えて私有地(電波塔の設置してあった場所?)に入ったケースを取り上げ、不法侵入罪の容疑での捜査だという。何となく別件逮捕の匂いがする。
この町の町長は無所属の女性で、「国旗を自分の家で掲げるなら問題はないが、公共の場所はいけない」とのコメント。そこまではまだ良いとして、ただ、その次が興味深い。
ドイツ人は自国よりウクライナの国旗の方が好きなのか?
「しかも、その背景に右翼の思想があるなら絶対にダメ」。
これでピンときた。ドイツの公の建物には、国旗の代わりにたいていEUの旗が立っているが、最近、そこにしばしばLGBTのレインボー旗が並んでいる。これは左派の思想なのでOKなのだろうが、でも、ちょっと偏向し過ぎではないか?
さらに疑問なのは、ウクライナ戦争勃発以来、やはり公の多くの建物の前に、黄色とブルーのウクライナの旗が掲揚されていること。自国の国旗は忌み嫌い、でも、ウクライナの国旗は好き? これも歪んでいるような気がする。

Photo by gettyimages
ドイツでは近年、全政党と主要メディアが極右政党として叩いているAfD(ドイツのための選択肢)の伸長が止まらない。5月より政権を担当しているメルツ首相(CDU)は公約で、AfDの支持率を半分にすると言ったが、実際には倍増してしまった。このまま爆進が続けば既存の政党がますます押され、これまでの政治構造(利権!)が覆されるかもしれない。
当然、政治家(特にCDU)は皆、焦っており、最近では、AfDを弱体化できないなら、「民衆煽動罪(ヘイトスピーチやナチ賛美を規制するドイツの法律)」などで摘発し、最高裁まで持ち込んで禁止してしまおうという動きが顕著になってきた。
つまり、この国旗事件も、裏でAfDが良からぬことを企んでいたことを証明できれば、何らかの形勢挽回に利用できるかもしれないと思っているのかもしれない。最近のAfD潰しはとにかく何でもありなのだ。
ドイツ、日本、敗戦国の悲しい末路と希望
話を国旗に戻せば、日本では私が子供の頃、祝日には市電もバスもフロントに小さな日の丸2流をバッテン印に付けて走っていたし、家並みのあちこちには当たり前のように日の丸が翻っていた。あれは、いつ頃から無くなってしまったのだろう。
それでも若い頃の私は、日の丸や伝統など全然気にかけていなかったし、周りも似たようなものだったと思う。ましてや、日本の精神を次世代に伝えるなど思いもしなかった。だから、国旗を見かけなくなってしまった責任の大半はおそらく、経済の繁栄の中で何も考えずに生きてきた私たちの世代にあるのだろうと思っている。
ただ、責任転嫁ではないが、私たちの親の世代の多くの人たちも、自分たちが親から受け継いだ「日本」を、積極的に子供に伝えることをやめてしまっていた気がする。彼らはきっと、敗戦における急激な価値感の転換に戸惑っていたのだ。その結果、私たちは精神的なコンパスのないままこの年まで来てしまった。そして今、自分たちが何者だかがわからなくなってしまっている。

一方、ドイツでもそれと同じことが起こった。日本と同じく、学校で祖国の歴史の良い面や、伝統などの精神面を教えなかった。そして、国旗を掲揚せず、国歌も歌わないことが民主主義だと信じる多くの教師たちが教育を担当してきた。
その結果、両国は優秀な技術を競い合い、経済大国となり、ドイツ人は次第に教会から離れ、日本人は初詣か観光以外、神社で柏手を打つこともなくなった。そして、それでも自分たちは豊かなのだと、固く信じてきたのだ。
ところが、世界が複雑になってくると、精神面の裏付けがない人間は最終的に行き詰まるのだろうか、今、ドイツ人と日本人の自信にはヒビが入り始めた。自信の崩壊は、国家規模で起きている。
ちなみに、その状況下、唯一、日本がドイツよりもラッキーなのは、現在進行形の政局の転換だ。今、起こっている高市フィーバーは、国民の、ひょっとして日本人としての自信が取り戻せるのではないかという期待感の結集のような気がする。一方、ドイツ人は不幸なことに、今の政治には失望しかなく、自信の復活につながりそうな出来事も見当たらない。
ドイツでも国旗掲揚を提唱する動き
そのドイツで最近、「国旗を掲揚しよう」という運動を提唱しているグループがあり、今回の国旗掲揚事件でも、当初、彼らが疑われた。しかし、そのグループは次のような声明を出し、今回の事件とは距離を置いた。
「国旗は国民のもので、我々は国民として国家に誇りを持っている。我々の国旗掲揚の活動は右でも左でもなく、右や左からの援助も批判も必要としていない」
私には、至極まともな愛国者グループに思える。
ニュースを見ていると、世界には、政治的な集会の場で他国の国旗を燃やしたり、破ったりする国が結構たくさんあり、とても嫌な気分になる。なお、日本では、他国の国旗の損壊は罰せられるが、日の丸については決まりがないそうで、それも変だと思う。
今回の事件で、図らずもいろいろ国旗について考えた。個人的な結論:今年のお正月はちゃんと日の丸を飾る。そして、人生の残された時間で何ができるか、真面目に考える!