「夫を嫌いじゃないけど離婚する」に共感する? 仲間由紀恵が夫を責める“ぼやき芸”が突きつけるもの|ドラマ『ちいかみ』

 怒ったり毒づいたりしても決していやな気持ちにならない3大女優(あえて女優と書く)といえば、松たか子、宮﨑あおい(「さき」はたつさき)、仲間由紀恵がいる。木曜劇場『小さい頃は、神様がいて』(フジテレビ系 木曜夜9時~)ではブツブツと不満を語る仲間を堪能できる。言葉が明晰で、でもきつくなりすぎない。かわいげがある。仲間が車のなかで北村有起哉に向かって不満を言い始めるたびにわくわくする。

『小さい頃は、神様がいて』より©フジテレビ

◆「私の人生じゃない」と思いながら19年

 一見するとひじょうに円満で幸福そうな小倉渉(北村有起哉)と妻・あん(仲間由紀恵)。男女ふたりの子供に恵まれ、瀟洒な小世帯のレトロマンション「たそがれステイツ」の3階に暮らしている。あるときふいにあんが、娘・ゆず(近藤華)が20歳になったら「離婚する」という約束はまだ生きていると言いだした。渉はてっきりその場限りのことだったと思いこんで忘れかけていたが、あんのほうはスマホでカウントダウンしていた。離婚期限まであと54日(第1話の時点で)。そもそもなぜそんな約束をしたのか。

『小さい頃は、神様がいて』より©フジテレビ

 第二子(娘)が生まれたとき、あんは育児ノイローゼに陥った。「ワタシはなんでここから動けないの」「私の人生じゃない」「なんでなんで私ばっかり」……。子供たちのことはかわいい。けれど、子育てが最優先され自分がどんどんすり減っていく。これではやがて子供を憎むようになるんじゃないかと不安が募った。子育てが終わったら自分の人生をもう1回送るために離婚するしかない。あれから19年……あんはその日を虎視眈々と待っていた。完璧に妻と母の役割をこなしながら。

◆やり込められてばかりの夫、北村有起哉

 カウントダウン宣言をして以降、あんは渉にこれまで抱えていた不満をことあるごとに吐き出すようになる。ただし、娘も暮らしているすてきな家のなかではネガティブな面はいっさい出さず、密室状態になる車のなかでのみ。買い物ついでに車のなかという閉鎖的な空間だからこそ、いっそう不満感が高まる。

 脚本は『最後から二番目の恋』シリーズの岡田惠和で、中井貴一と小泉今日子の丁々発止のやりとりが人気だったが、『小さい頃は、神様がいて』では渉があまり対抗しないで、あんにやりこめられてばかりいる。

◆さりげなく夫婦別姓問題にも触れている

 『小さい頃は、神様がいて』では例えば、かつてあんの体調が悪かったときにバニラアイスを頼んだらチョコアイスを買ってきたことをねちねち責める。たわいないことに複利がついて20年後には何倍にも膨れ上がる。これが投資だったらうれしいが人間のネガティブな感情だからたまったものではない。

 たぶん結婚したら「小倉あん」というあんこの種類のような名前になってしまったことも不満のひとつだろう。育児によってキャリアが中断されるしんどさのみならず、さりげなく夫婦別姓問題にもドラマは触れている。

『小さい頃は、神様がいて』より©フジテレビ

 いまでこそワンオペ育児問題や結婚して苗字が変わる不便さなどが世の中に広く発信されるようになったが、かつてはここまで結婚した女性の不満は可視化されなかった。そのため、夫が定年したとき、いきなり離婚を突きつけるということをやってのける猛者たちもいたようだ。1ミリも離婚の意思を見せず従順にふるまい続け、ここぞというところでちゃぶ台を返す。なかなか根が深い。

 我慢に我慢を重ねて花粉症のように発症させる人は、結婚関係に限ったことではなく、時々いる。筆者の個人的な経験を言うと、若き頃、締め切りをしょっちゅう破っていたら、あるとき、原稿を提出した時点で連載はこの回で終わりですと言われたことがある。それまで黙って受け取ってくれていた心の裏側を思うと震えた。

 以来締め切りを守るようになったのでその編集者には感謝しているが、だからこそ定年で離婚を切り出された夫の話を目にするたび、筆者の胸は疼く。どちらかといえば渉寄りの筆者だが、もしも仲間由紀恵に引導を渡されたら仕方ない気がしてしまうのだ。

1階に住むシニア夫婦を阿川佐和子と草刈正雄が演じる。『小さい頃は、神様がいて』より©フジテレビ

◆『トリック』でも発揮された“ぼやき芸”

 仲間のぼやき芸は『トリック』シリーズの主人公・山田奈緒子が有名だ。貧乏でいじましいキャラ設定で、相棒の上田(阿部寛)をいつもやりこめようとしていた。乱暴な口調やいじましさやちょっとした毒も仲間がやると不思議と応援できた。

 だが、『小さい頃は、神様がいて』のあんは、北村有起哉の憎めない演技力もあって、彼女が完全なる正義ではない様相も呈している。あまりに北村演じる渉の言動が決定的でなく、それなりに家族は彼のおかげで支えられてきたように見えてしまうからだ。

 あんは渉が嫌いじゃないし、性行為にいたってはあんから誘ったことも多かったというくらいと聞くと(第2回)、なんなんだ?という気もしないではない(仲間さんの口からそんな肉食系なセリフが出るなんて!)。

「たそがれステイツ」の面々に語りかける順。『小さい頃は、神様がいて』より©フジテレビ

 そして、第5話で、あの日、娘が二十歳になったら離婚すると騒いだとき、息子・順(小瀧望)が3歳という幼いながらちゃんと聞いていたことに気づいてしまう。息子が「天使」と思われるほど気の回るいい子だったのは、父母にとことん気遣っていたからだった。つまり、息子もあんと同じく、黙って相手の言うことを聞いていたことになる。とすれば、いつかあんのように爆発してしまう危険性も孕(はら)んでいそうでこわい。

◆クライマックスはたぶん家庭崩壊ではない?

『小さい頃は、神様がいて』は一見平和そうな家族の崩壊をクライマックスにもってきているのではおそらくない。大型台風に家を流されるドラマではなく、災害から身を守る準備をする物語、なのではないだろうか。このままあんが、20年間、「母」としての役割ばかりを背負わされたことにならないように。

『小さい頃は、神様がいて』より©フジテレビ

「母」といえば、同じマンションに住む永島慎一(草刈正雄)とさとこ(阿川佐和子)のシニア夫婦は、夫婦というより年を取った母と息子のように見える。ふたりはそれで幸せそうに見えるが、しっかりものの母と甘えん坊の息子のような雰囲気にはなんだか違和感がある。こういう夫婦は現実にもちょいちょい見かける。男性は好きなことをのびのびやっていて、傍らにいる妻は同伴のお母さんに見えてしまう。そんなケースに見覚えはないだろうか。

 そういう意味では、あんと渉は、まだ対等に見える。少なくとも渉はあんを「母」のようには扱っていないと感じられる。友達夫婦っぽいけれど、お母さんよりはいいかなと思う。

◆妻・母にはならない、同棲カップルの存在

 ところで。男性が個人ではなく「父」になってしまうという悩みはあまり聞かない(悩んでいる人がいたらすみません。「財布」になってしまうという悩みはあるかも)。その一方で女性はなぜか個人でなく「妻」や「母」という役割に押し込められがちであるという問題を『小さい頃は、神様がいて』ではどうやって解決するだろうか。

同性カップルの奈央(小野花梨)と志保(石井杏奈)。『小さい頃は、神様がいて』より©フジテレビ

 その点で興味深いのは、もう一組のマンションの住人が女性の同性カップルの樋口奈央(小野花梨)と高村志保(石井杏奈)であることだ。彼女たちは互いを互いの「母」に置き換えることはなさそうだ。

 「母」と息子みたいになってしまったシニア夫婦、「母」としてだけ見られることを拒む主人公夫婦、「母」にならない同性カップル。3つの家族の前に、新たに父母を亡くした幼い子供(永島夫妻の孫)が現れる。さとこは「私の仕事とはね、凛(孫娘)をあんまり早く大人にしないこと」と決意を語る。幼い孫が順のように何もかも先回りしていい子になってしまうことなく、もっと自由でいられるようにと考えるさとこはやっぱり「母」の役割を選択しているように思う。

◆母性を引き受けているのは夫のほうかも

 ユーミンさまのウィスパーボイスに癒やされる名曲『やさしさに包まれたなら』にインスパイアされて書かれたという『小さい頃は、神様がいて』における「神様」とは、母性への回帰のことではないか。

 でもその聖母信仰からどう脱出できるか全女性はずっと頑張ってきた。そこで『小さい頃は、神様がいて』では、性別も年齢も関係なく誰もが広い意味での「母」を引き受ける可能性を示しているのかもしれない。そう考えると、車の中であんの怒りを聞いている渉は、どちらかといえばあんのお母さんのようにも見えてくるのだ。

<文/木俣冬>

【木俣冬】

フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami