離婚して8年、娘に手をあげた父親が今も忘れられない、子育ての「苦しみの正体」…不登校になって気づいた
子育て8年目で実感した「子どもの人生を損なう怖さ」
娘たちが3歳と5歳のときに離婚をしてシングルファーザーとなってから、8年が経った。娘たちは11歳と13歳となり、思春期真っ只中にいる。
「思春期に入ったらどう接したらいいんだろう」「反抗期になって離れていったら寂しいな」と恐れていた時期に突入したのだ。
待ち受けていたのは想像を絶するような苦しさだった。小6の3月期から、長女が学校を休みがちになり、中学に入って数ヵ月経った頃から、全く行かなくなったのだ。
「行かない」「行きたくない」と口にするわけではない。ただ、朝に起きてこない。布団に入る時間は変わらず22時頃なのだが、学校のある日には7時前に起きていたのが、10時、11時と遅れていき、やがて16時頃まで寝ているようになった。

写真:iStock
起きてからはソファに座ってぼんやりしていることが多く、顔から表情が消えていることも増えた。
わたしも中学3年生の1月期から不登校になり、高校にはまったく行っていない。それでも大検を受けて大学院まで進学したし、仕事をして結婚をして子育てもしてきた。普段からそんな話も子どもたちにしてきたのに、いざ長女が学校に行かなくなると、水に顔を押しつけられているかのような苦しさに襲われた。
――自分の子育ては間違っていたのだろうか?
そう思うと、背中を冷たい汗が伝った。自分の人生が損なわれるのはかまわない。でも子どもの人生をわたしが損なってきたのだとしたら……。考えることすら怖かった。が、考えないわけにはいかなかった。
「理想の親」としての確信がない
何事も無理強いはしない。やりたいことはなんでもやらせる。友達を大切にしてほしい。外で体を動かすことも。子どもの話はよく聞く。自慢話はしない。パパもひとりの人間なんだと、弱いところや失敗する姿も見せる……。
誰かに教わったわけでも、確信があるわけでもなかった。ただ、自分が子どもだったらこんな親がほしかった、というよりも、子どもだった頃の自分は本当ならこう育てられたかった、という接しかたをしてきた。それしか選択肢がなかった。だから振り返ってみても、どこがどう間違っていたのかわからない。
ただ、後悔していることはいくつかあった。
長女が小学校低学年の頃に、月に一度ほど、理由もなく泣き喚くことが続いた。保育園年長のときに離婚をして、わたしが子どもたちを引き取り東京から京都に引っ越してから数年間続いた。急に大きく環境が変わったせいだとはわかっていたが、地団駄を踏んで泣き続ける長女を前にして、わたしは毎回途方に暮れた。

写真:iStock
たいていの場合には落ち着くまで1時間ほど待つか、別の部屋に離れるかしていたのだが、こちらに余裕のないときには手をあげてしまうときもあった。
家でしている仕事が捗っていないときや、寝不足で疲れているときが多かった。頭が回らなくなり、かっとして、長女の腕を掴んで奥の部屋まで引っ張っていき、畳んで重ねてあった布団の山の上に投げた。そして耳をふさぎながら、その部屋からいちばん離れた部屋まで逃げた。
片手で数えられるほどだが、そんなことを何度かした。後で落ち着いて見にいくと、長女は決まって布団の上で眠っていた。顔はまだ赤く、頬には涙の跡があった。
次女にも同じくらいの頃に手をあげたことがある。回数は両手の指の数を少し超えるくらい。保育園年長の頃に、保育園まで送っていく途中の道でぐずる次女を持て余して背中を強く押して、前に倒したことがある。そうとう痛かったはずだが、次女は何も言わずに立ちあがり、その後は黙って歩いていた。
娘の「できる」が増えて芽生えた感情
最後に手をあげたのは次女が2年生の頃だった。出かける途中で、わたしたちは最寄り駅の近くにいたのだが、次女が行きたくない、と泣きだした。その日のわたしも気持ちに余裕がなく、「じゃあ帰るか」と次女を促して道を引き返す途中で、背中を押して倒した。次女はアスファルトに両膝を強くぶつけて、大声で泣きだした。
気がつくと、わたしの前に知らない男性が立っていた。「お子さん泣いてますよ。かわいそうですよ」とその人は言った。わたしは泣いている次女を抱きあげてその場から離れた。駅のベンチに次女を座らせて、膝に絆創膏を貼る手が震えた。
その日以降は、子どもたちに手をあげていない。
手をあげたことがあるのは、子どもたちが保育園年長から小学校低学年の頃までだった。わたし自身が環境の大きな変化や、仕事や家事と子育てをひとりでこなすことにストレスを感じていたことが大きな原因だっただろう。

写真:iStock
その時期に、子どもたちが幼児から児童に変わる時期が重なった。昼寝をしなくなり、逆あがりができるようになり、重いランドセルを背負って登校班で学校に行くようになった。できることが増えるたびに喜んだが、やがてどれもこれも当たり前になった。そして当たり前のことができないときには、「できるのに、やらない」と捉えた。
子どもをコントロールしなければ、コントロールしたい、と無意識に考えていたのではないだろうか。
その時期を過ぎると、子どもたちにはわたしとは違う人格があることを実感できるようになった。思いもよらないことを口にしたり行動で示したりすることが増えてきたのだ。会話をしていても、ほとんど大人と話しているのと変わらない。コントロールなど不可能な存在だ。親としてずいぶん気が楽になった。
自分の苛立ちを手放すためにやったこと
もちろん、手を焼くとまではいかなくとも、対応に困ることはいまでもある。
たとえば、ご飯の時間になって呼んでも来ないとき。「風呂入りや」と何回声をかけても、返事をするだけで動かず、やっと浴室に向かったと思ったら洗面所でメイクの練習をはじめて、1時間経ってもまだ入っていなかったとき。
外出する直前にふたりでケンカをしはじめて、バスに乗り遅れて予定が狂ったとき。放っておくと長時間スマホを見てしまうので、たまに声をかけて預かるのだが、わたしがトイレなどにいった隙に奪い返して使っているのを見つけたとき。
そうしたとき、つまりわたしの思うように子どもたちが動いてくれないときには、わたしは気分を切り替えて別のことをするようにしている。
ご飯に呼んでもこないときには洗濯物を畳んだり、仕事をしたりしながらくるのを待つ。お風呂になかなか入らないときも同じことをする。そんな日は寝かせる時間がいつもより遅くなるのだが、たいしたことではない。ふたりのケンカがひと段落つくのを待って外出した日にもすべての予定がずれていくが、それもたいしたことではない。

写真:iStock
大切なのは、子どもたちが思うように動かないと、自分は苛立つのだ、と自覚することだ。いらいらしたり、怒ったりする時間はもったいない。人生は一度きりだから、できるだけ楽しいことばかり考えていたい。
そのために、少しでもいらいらしかけたら、その感情を手放すようにしている。子ども以外のことにしばらく時間をかけてから、また子どもに意識を向けると、困ったなと思っていた状況が少し変わっていたりする。
言い換えると、子どもに何かを期待するハードルを思いっきり下げること。子どもたちが思春期に入ったいま、保育園児の頃よりもそのハードルは大きく下げている。
子どもたちが生きていてくれるだけでいい。毎日笑ってくれていたらもっといい。
わたしは毎日そう思いながら暮らしている。子どもたちと一緒にいられる今日は今日しかない。だから全力で味わおうと。
抱えた「苦しさ」の本当の正体
そう思うようになったのは、長女が学校に行かなくなってからだ。最初は焦ったし、自分の子どもだけが真っ暗なトンネルのなかに置き去りにされたように感じた。
ほかの子どもたちは友達とさまざまな経験をして、学力を伸ばして、体力もつけている。長女だけが何ひとつ得られないまま、同じところに留まり続けている。これほど長女の意思を、わたしにはどうにもできないものとして痛感したことはなかった。
たまに中学校にプリントをもらいにいくときなどに、制服姿で笑顔で授業を受けている子たちや、部活に励んでいる子たちを見て、家で寝ている長女を思いだして苦しくなった。同時に、その苦しさは誰かから強いられてでもいるかのような、違和感のあるものだった。
長女のことを本当にちゃんと見ているのだろうか? と考えだしたのは、長女が学校に行かなくなって半年ほど経った頃のこと。やっとそのときに、長女の顔からもう何ヵ月も笑顔が消えていたことに気がついた。

写真:iStock
目の前にいる長女を笑わせよう。そう決めたとたんに、焦りも苦しさも霧散してしまった。温泉、カラオケ、買い物、映画、お祭り、旅行……長女が行きたいと言ったところにはどこにでも連れていった。美味しいものもたくさん食べさせた。
少しずつ長女に笑顔が戻ってくるにつれて、わたしの子どもたちに期待するもののハードルも下がっていった。
――学校も勉強も人間関係も後からなんとかなる。今日も生きて、笑っていてくれたらそれだけでいい。
そう思えるようになってからは、わたしなりのやりかたで子どもたちを尊重できていると思う。少なくとも、子どもたちをコントロールしようとして手をあげていた頃よりはずっと。
たまに気持ちが不安定になるのか、長女は泣いたり叫んだりすることがある。そんなときには、わたしは長女を抱きしめて、「大丈夫。パパは◯◯のことが大事やで」と頭を撫でたり、背中をさすったりする。幼児の頃にそうしていたのと同じように。幼児の頃のように、長女はしばらくすると落ち着いて普段の表情に戻る。
娘からの7年越しの告白
中1になった長女と、未就園児なみに長い時間を一緒に過ごしながら、得がたい日々を過ごしているな、と思う。いつまで続くかわからないが、振り返れば一瞬のことに思えるだろう、この毎日を大切にしていたい。
そういえば、長女が少し前に、「保育園にパパが迎えにきたときに泣いたことがある」と言いだした。その日のことを、わたしは鮮明に覚えていた。迎えにいって年長クラスに入ると、教室の隅で長女は同い年の女の子と並んで立っていた。その子がさっと離れたとたんに、長女は泣きだした。
担任の先生はふたりを引き離して、小1時間ほど事情を聞いていた。やがて、先生は困った顔で近づいてきた。
「なんで泣いてるのか、どれだけ聞いても答えてくれないんです」
泣いているときに理由を尋ねても、「言いたくない」と返ってくるときには、長女は絶対に答えない。その頃からそうだった。答えないときには、わたしはそれ以上聞かないようにしている。待つともなく待っていると、忘れた頃に「実は……」と話してくれることもあるし、話してくれないこともある。
「あんとき、うち転校生やったやん。だから人気者やってん。あの女の子はそれまで人気者やったけど、それをうちに取られたって思ったんやろな。うざいって言われて」
「それで泣いてたんか」
7年前のある夕方の出来事を、長女はそんなふうに話した。覚えていたことにびっくりしたが、それ以上に伝えてくれたことが嬉しかった。
未就園児なみに親子で一緒にいるいまの時間に考えていたことを、何年後か、何十年後かになるかもしれないが、長女がふりかえってどんなふうに話してくれるのかが楽しみだ。

仙田学著『ときどき女装するシングルパパが娘ふたりを育てながら考える家族、愛、性のことなど』