大衆食堂はなぜ「カレー」を名物にしたのか? 学生街と鉄道沿線の薄利多売が生んだ外食文化の歴史

鉄道から始まった外食店の「食堂」

 大衆食堂、社員食堂、学生食堂など、和洋さまざまなメニューを安価に提供する食事の場を意味する「食堂」。この言葉はもともと仏教用語。「じきどう」と読み、僧たちが集団で食事をとる部屋を意味していた。江戸時代になると、昌平坂(しょうへいざか)学問所や各藩の藩校、つまり学校における集団給食用の部屋にも食堂の名が使われるようになる。その意味では、学生食堂という名称は歴史のある名称であるといえる。この食堂という言葉が外食店に使われるようになるのは明治時代。鉄道に食堂車が誕生してから。

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 初期の食堂車は西洋料理専門であることが多く、精養軒などの西洋料理店がその運営を委託されていた。

 明治期の外国航路の汽船も西洋料理が中心。もともと鉄道も蒸気船も欧米由来の交通機関であったことから、そこで提供される料理も西洋料理となったのである。その結果、仏教用語が西洋料理店に使われるという、奇妙な習慣が生まれた。

駅の西洋料理店の名に食堂を採用

明治時代の南海鉄道食堂車(画像:近代食文化研究会)

 やがて乗降客の利便性のために、食堂車だけではなく駅内にも外食店が設置されるようになる。

 大阪では、この駅内の外食店にも食堂という名が使用されるようになる。おそらく食堂車にちなんだのであろう。

 1901(明治34)年には大阪駅に大阪駅食堂が開業。そのメニューは全て西洋料理。鉄道=西洋料理の図式はここにも当てはめられた。

 1912(大正元)年ごろには私鉄の南海鉄道が南海食堂を開業。やはり西洋料理専門店で、コーヒー付きの大盛りカレーライスなどを30銭均一で提供していた。

 これを模倣したのが阪急鉄道。1912年に阪急食堂を神戸駅、梅田駅に開業。コーヒー付きの大盛りカレーライスなど30銭均一という値段まで南海食堂を模倣していた。

 この梅田駅阪急食堂に小売店を併設する形で開業したのが阪急百貨店。阪急食堂から引き続き、阪急百貨店食堂においてもカレーライスが名物となった。

外食業における駅前ビジネスのはじまり

大正元年の南海食堂。村上義久編『南海の栞』国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)

 このように大阪の食堂は西洋料理専門店から始まったが、和洋さまざまなメニューを安く提供する大衆食堂の原型が生まれたのは1905(明治38)年の東京において。その成立にも鉄道が関係する。

 1905年、神保町に「三銭均一食道楽おとわ亭」という激安西洋料理店が開業。南海食堂では30銭であったカレーライスを、十分の一の値段3銭で提供し、オープンとともに顧客が殺到した。

 おとわ亭は翌年に本郷、牛込に支店を展開する。三か所の立地に共通するのが、学生の下宿街であったということ。食欲旺盛な若い男性の固定客を多く抱えることで、薄利多売を可能としたのだ。

 もうひとつの共通点が、路面電車の停車場が近くにあったこと。現在でも安さが売りの飲食チェーン店は駅前の立地を好むが、この乗降客を取り込むことによる薄利多売ビジネスはおとわ亭から始まったのだ。

 おとわ亭には安さ以外にも特徴があった。西洋料理を中心としつつも、和食も提供していたことだ。

 それまでの東京では、安い和食を提供する店を「一膳飯屋」あるいは「縄のれん」、安い西洋料理を提供する店を「一品料理店」もしくは「一品洋食店」とよんでいたが、いずれのカテゴリにも属さない店がおとわ亭だったのだ。

 おとわ亭のような、和洋さまざまなメニューを安価に提供する外食店を食堂と呼ぶようになるのは、大正時代に入ってからである。

米騒動と食堂

上野の公衆食堂。東京市社会局編『市設食堂経営策に関する調査』国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)

 明治時代中頃から、農村などからの上京者が増え、都市部の人口は肥大していく。産業革命により、農林水産業から製造、サービス業へと就業人口がシフトしたからである。

 上京者の多くは独身男性であり、彼らは毎日の食事に悩まされることとなる。

 コンビニもスーパーも弁当チェーン店も存在しない時代である。冷凍食品もインスタント食品もなく、自炊しようにも冷蔵庫も電子レンジもなし。家によっては水道やガスさえもない時代だ。各都市の自治体は、彼ら食事難民の救済対策を迫られるようになる。

 1918(大正7)年には物価高騰に対する抗議運動、いわゆる米騒動が起きる。物価対策のために東京市は公衆市場、公衆浴場、公衆質屋などの市営サービスを開始。商品やサービスを安く提供することで物価の沈静化を図る。

 物価対策と食事難民救済を兼ねて東京市が設立した市営食堂が「公衆食堂」である。大阪市・京都市では「簡易食堂」、神戸市では「公設食堂」と自治体によって名前は異なっていたが、食堂という名前は共通していた。

 各市営食堂は和食だけでなく、カレーライス・カレー丼も定番メニューとしていた。他にもうどんや丼ものなど、和洋関係なく安く早く提供できるメニューが採用された。

 市営食堂の全国展開とともに、、和洋さまざまなメニューを安く提供する店を食堂とよぶ習慣が定着。「一膳飯屋」「縄のれん」「一品料理店」といった名称は消えていったのである。