「夕焼けだんだん」の隣にマンション、真の問題は

東京都台東区にある「夕やけだんだん」。「下町情緒」を感じられる景色を見下ろせるこの階段の隣に高層マンション建設予定があり、さまざまな声が上がっている(写真:まちゃー/PIXTA)
東京都台東区の、1950年頃から続く昔ながらの商店街「谷中銀座」にある「夕やけだんだん」が話題だ。
谷中銀座商店街に通じる階段のことで、ここから美しい夕やけが見られる場所だった。
「だった」、と書いたのは、その隣に高層マンションが建つらしく、その夕やけがもう不十分にしか見られなくなるかもしれないからだ。
こう書くと「日本の都市開発、なんて酷いんだ!」と怒りたくなる。ただ、筆者としてはそうやって「怒る」ことに違和感を覚えなくもない。なぜか。
「夕やけだんだん」の横に建つマンションの実態
谷中銀座は、いわゆる「下町情緒」を感じられる場所として国内のみならず、海外からも訪れる人が多いスポットである。
「夕やけだんだん」は、そんな谷中銀座を見下ろすことができる場所。「インスタ映え」なども相まって、谷中銀座といえばこの「夕やけだんだん」からの写真が使われるほどである。
問題となっているのは、この横に建設中の大きなマンション。その名を「ウィルローズ谷中銀座」という。7階建てのマンションで、2026年5月下旬に竣工予定だという。

夕焼けだんだんの隣に建つマンションの外観イメージ(「ウィルローズ谷中銀座」公式HPより)
公式サイトには「谷根千の情景、夕やけだんだんに寄り添う住まいへ。」というマンションポエムが添えられている。
全体はグレーを基調としたデザインで、エントランス前に谷中にふさわしいアーティスティックなオブジェが置かれる予定だ。

どうやら、光と影がおりなす独特な日本美「陰翳礼讃」をモチーフにするとのこと。「(「ウィルローズ谷中銀座」公式HPより)

谷中にふさわしいオブジェ……?(「ウィルローズ谷中銀座」公式HPより)
「マンションが建ったら夕やけに寄り添えない」の声
まあ、最近よくある「隈研吾風分譲マンション」といったところだが、立地がまずかった。
なにせ、夕やけだんだんのすぐ隣で、谷中銀座のシンボル的な光景を変えてしまうおそれがあるからだ。

建設予定のマンションと夕焼けだんだんの近さたるや(「ウィルローズ谷中銀座」公式HPより)
公式サイトにある「夕やけだんだんに寄り添う住まいへ」に対しては、「マンションが建ったら夕やけに寄り添えない」「マンションに住める人だけが夕やけを独占できるのか」といった声が続出した。
私も何度も現地に足を運んだことがあるが、確かにここにマンションが建つと、その景観はかなり変わるだろうなあ、とは思う。
景観が統一されない裏にある、日本の“制度的な問題”
ヨーロッパなどの街を見ると、そこにはかなりの統一感があり、いわゆる「美しい」街並みが広がっている。

エストニアの街並み。屋根の形、色、外壁…非常にまとまりがあり、絵になる風景だ(写真:筆者提供)
では、今回の谷中の例もそうだが、なぜ日本ではヨーロッパのような統一した街並みが生まれないのだろうか。
その背景には、日本における土地所有に関する考え方がある。日本では伝統的に土地所有者の権利が強く、「街全体で景観を維持していこう」という意識は弱い。東京の街を空から見ると、高い建物と低い建物が混在していて、非常に統一感がない。それぞれの土地所有者が好きなように自身の建物を設計しているからだ。

新宿の一角。さまざまなタイプの建物が雑然と並び、ヨーロッパとの差は歴然だ(写真:筆者提供)
一方、欧米などでは「土地は神から与えられたもの」という認識が強いために、公共性が強く意識されていて、土地所有者に対する規制が厳しい。そのため、市街地にしても比較的統一された街並みが生まれやすいのだ。また、観光地のような場所であれば、なおさらその規制は強くなる。
日本でも2005年に景観法が施行され、自治体が景観条例をつくるようになった。しかし、欧米並みに規制が機能している地域はまだ限られ、兵庫県の芦屋市など、例外的な存在にとどまる。
今回の「夕やけだんだん」騒動でも、「マンションの土地所有者の好きにすればいいんだから、他人が口を挟むべきではない」というコメントがある。突き放したようにも見える意見だが、これは一面では真理だ。その「土地所有者の権利の強さ」が日本の都市を、良くも悪くも変えてきた。
以上をふまえると、夕やけだんだんの一件から考えるべきは「日本でも景観に対する規制をより強めるべき」ということかもしれない。
ただ、その手前で私が思うことがある。
そもそも、夕やけだんだんの景色は守るに値するほど「美しい」ものなのだろうか。
そこからの景色は、さまざまな商店の看板が突き出ているし、だらしなくたるむ電線に、電柱も見えている。視線の先には大小様々なマンションが見えていて、本来の意味で「いい景色」なのか、疑わしい。伝統的な都市景観の観点から考えるなら、正直、これは「美」ではない。どちらかといえば「猥雑」すぎる風景だ。
先ほども述べたように、日本の都市景観は、その土地所有のシステム上、いろいろなものが渾然一体とする猥雑なものである。そう考えると、低層のごちゃついた商店街に謎の高層マンションが建つのは、ある意味、日本の街並みの「典型例」だとさえ言える。
『三丁目の夕日』にみる谷中銀座の「ノスタルジー」
こんなことを言うと、「いやいや、この景色がどうのこうの、じゃなくて、そこが昔からある伝統的な景色だからいいんだよ。それをマンションが壊すなんて、もってのほかだ」という人がいるだろう。
そういう人には、こう言いたい。そもそも、谷中銀座が誕生したのは1945年。戦後の闇市からスタートしている。都市の景観としては新しく、欧米の「歴史ある街並み」とは、比ぶべくもない。しかも「夕やけだんだん」という名称は、エッセイストの森まゆみ氏が1990年に命名したものである。わずか30年ほどの歴史しかない。
大きなスケールで見れば、谷中銀座自体、新しいのである。「昔ながらの風景」だからこそいい、というのは通用しない。
谷中銀座がこのように「昔ながらの風景」として賞賛されるのは、「夕やけ」「商店街」といった対象に我々がノスタルジーを覚えるからだろう。いわば『三丁目の夕日』症候群だ。
『三丁目の夕日』は昭和30年代の商店街の街並みを描いたマンガ・映画であり、「昭和ノスタルジーブーム」に火を付けた。その映画のポスターはオレンジ色で、「夕日」がこれでもかと強調されている。
谷中は、こうした我々の「ノスタルジー」感情を喚起させるのである。
しかし、現実の都市はノスタルジーではない。マンションが建つのを感覚的に批判する(そして、それをマスコミがPV稼ぎに利用する)のではなく、現実的にマンションを建てることの是非を検討すべきだと思う。
マンション建設の「本質的な問題」を考えたい
今回のマンション建設で考えるべき本質的な問題は多い。
谷根千エリア(谷中・根津・千駄木)の住民が危惧するように、マンション建設による日照の問題や、外国人による投機目的でのマンション購入といった負の側面もある。
また、都市論では「街の活気はごちゃごちゃした低層の建物で生まれる」と主張している人もいる。商店街が顕著なように、谷中は基本的に街全体が「低層の建物」で構成されているから、そこに高いマンションが建つと谷中の街そのものが質的に変わる……というおそれもある。
一方、谷根千エリアは人気であり、住宅需要も高い。そこに新しく住む人が増えれば街の活気がさらに生まれるかもしれない。その意味ではマンション建設の利点もあるはずだ。
いずれにしても、このような建設的な観点からこのマンション建設について考えたい。
繰り返すが、「ノスタルジーに基づく感覚的な反対論」はやめるべきだ。今の論調を見ていると、SNSやマスコミの中で、特に谷根千に直接は関係のない人がいっちょかみしているような印象を覚える。一律的な「タワマン反対」論だけが流布していて、それに対して「ほんとかな?」と思う自分がいる。
何より怖いのは、そうやって本質的な検討がなされないままマンションが建ち、そこで起こったいろいろな問題を忘れていくことだ。というか、たぶん、そうなる。
おそらくこうやって騒いでいるのは今だけで、タワマンができたら結局、多くの人はマンションのある夕やけだんだんの景観に慣れていく。そして、また別の「下町再開発」の話題に首をつっこむだけである。
日本の都市は、そのように良い意味でも悪い意味でも「忘却」の歴史の上に成り立ってきた。「夕やけだんだん騒動」を俯瞰的に見るなら、日本の都市はそのような歴史を繰り返してきたことを、私たちに突きつけている。