「心臓マッサージはしません」2000人以上を看取った緩和ケア医が延命治療をやめたワケ

無駄な延命治療によって苦しみながら迎える最期は恐ろしい――。そう考え、「延命より満足を、治療より尊厳を」を掲げている緩和ケア医・萬田緑平さん。なぜ、その考えに至ったのか。新著「棺桶まで歩こう」に記された萬田さん流の最期との向き合い方とは。
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みなさん、「大往生」という言葉をご存じだと思います。どんなときに使いますか。80歳まで生きた人が亡くなったら? それとも90歳を超えなければ使わないのでしょうか。
大往生というのは、定義が難しい。亡くなった年齢で決まるわけではない、と僕は考えます。あえて言うなら、「本人や家族が満足していれば大往生」ではないでしょうか。
家族がまだまだ死んでほしくないと思うなら、たとえ90歳でも95歳でも「大往生」ではない。対して、70歳でも80歳でも、「大往生」はあり得るのです。
死亡診断書の病名もまた、絶対はありません。僕の診療所では、家族が死亡診断書の病名を決めるのです。家族に「何にしてほしいですか?」と聞きます。がん患者だとしても、僕は家族が穏やかに看取れた場合「老衰」を提案する。家族が「生き切った」と思うなら「老衰」だし、「がんにやられた」と思うなら「がん」になるのです。
たとえばがん患者が70歳で亡くなっても、家族が「お母さんは、十分がんばった」「生き切った」と思えるのなら、「老衰」「大往生」です。対して、90歳で亡くなったとして、家族が「がんにやられた」と思うなら、病名は「がん」にしますし、家族にとって「大往生」ではなくなるのです。
■病院で亡くなる人の大部分が大往生ではない
人は必ずいつか死にます。
厳然たる事実なのに、いざ身内や自分が死を意識する状況になるとそうは思えない人がほとんどです。
多くの方は、頭ではわかっていても、いざ身内が病気になると、「死なせたくない、死なせたくない」という思いでいっぱいになってしまいます。
人工呼吸器、心臓マッサージ、点滴、血圧を上げる薬、胃ろう……、どんな方法でもいいから「死なせたくない」「生きてほしい」となってしまう。しかし、身体はどんどん衰えますから、気がついたら認知症になり、「こんなはずじゃなかった」ととまどい、慌てる。病院で亡くなる人は大部分が、「大往生」にはなれないでしょう。
「人はいつか死ぬから仕方ない」。迷いなく思える人は、日本人の1割もいないのではないかと感じます。
そして、その1割弱くらいの人たちがやって来るのが、僕が群馬県前橋市で開いている萬田診療所です。

■新米外科医には「看取り」はつらすぎました
ちょっと、僕自身のことを紹介しておきましょう。
僕は2浪して群馬大学医学部に入学しました。高校卒業も間近、勉強もせず適当に大学受験をして、当然ながら全滅。1浪した翌年も、またいい加減に受験し、ことごとく落ちました。2浪目になると、さすがに「自分はどうしたいんだ?」ということを考えるようになりました。
友だちと真剣に話をしていたら、自分は「人間が好きだ」ということにやっと気づいたのです。そして、職業に関する当時の狭い知識の中で、「だったら目指すは医師か教師だ!」と決意しました。
2浪したその頃僕の成績は、教育学部にはまず合格するだろう、国立の医学部も「がんばれば合格する」くらい。そこで一念発起して猛勉強を始め、群馬大学の医学部になんとか合格できました。
大学ではサッカー部に入りました。サッカー部の元気な先輩たちの半分くらいは、卒業後外科医になっていました。先輩たちには「外科は一番きついし、自分の時間もあまりないよ」と言われましたが、やはり外科を選びました。そう言っている外科医の先輩たちがかっこよく見えたし、外科というのは何といっても医師としての守備範囲が広い。
眼科医だったら眼しか診られないけれど、外科医はケガも診られる、手術もできる、緊急もできる──。眼科の100倍くらい幅広く、患者に対応できると考えたのです。
卒業後は、群馬大学医学部附属病院で外科医になりました。
■心臓マッサージはかわいそうだから…
仕事はたしかにきついけれど、患者さんと接するのも好きでした。かっこいい外科医になりたかったし、将来は外科部長になるのが夢でした。院内で担当ではない患者さんにも、よく「元気~?」なんて声をかけたものです。ただし唯一「看取り」が苦しかった。
当時の「看取り」は、患者さんが苦しくなると人工呼吸をし、血圧を上げる薬を入れ、心臓が止まるとマッサージをする。家族があきらめて「もういいです」と言うまで心臓マッサージを続けるのです。患者本人も、もうとてもつらそうなのに……。
僕は「なんでこんなに苦しんで死んでいかねばならないんだろう」と考えたし、そういう看取り方はおかしいと思っていました。そこで、先輩に内緒で、担当患者のご家族に「心臓マッサージはかわいそうだから、しないように頼みましょうか。人工呼吸もやめましょうよ……」などと話してみました。
そうすると、けっこうな数のご家族が、主治医である先輩医師に「心臓マッサージは、もうしなくていいです」などと頼むようになったのです。
患者さんが亡くなると、5人ほどの医師チームが家族側と挨拶するのですが、そういうご家族は微笑んでいました。
「うまくいったよ。最期にありがとうと言えました」と、ご家族がこっそり僕に伝えてくれるのです。僕は、「よし、ご家族もきちんと話せばわかってくれるんだ」と確信を深くしました。

■がんの告知を勝手に始めました
2年目になると、主治医を務めるようになったので、こっそりではなく堂々と無理な延命治療をやめました。自分の患者には、人工呼吸器はつけず、昇圧剤も使わず、心臓マッサージもしません。心電図のモニターさえも、10年目くらいからつけなくなりました。
また、がんの告知もしました。今となっては信じられないかもしれませんが、当時はほとんどの場合、がんだとわかっても患者本人に「潰瘍です」などとウソを告げることが多かったのです。
その頃よく語られた、ある高僧ががんを告知され自殺したという有名な話がありました。
「修行を積んだ高僧でも、死病であると告知されることは耐えがたいもの。ましてやごく普通の人間は……」。であれば、「本人へのがん告知はしないほうがよい」という考え方が常識だったのです。
けれど僕は、医師になった当初から「たとえがんだとしても、ちゃんと本人に話せばわかってくれるはず」と思っていました。当時、すでに全国的にはがんの告知を始めた医師もいたのでしょうが、少なくとも群馬大学病院やその周辺ではいなかったと思います。
■「ありがとう」と送ってあげましょう
病院の方針というわけではなく、僕が個人的に勝手に始めたのですが、だから叱られたという記憶はありません。僕はやんちゃなキャラで、先輩たちからかわいがられていました。「萬田はしょうがねえなあ」という感じで見ていてくれた気がします。今思えば、ほんとうにありがたかった。
最近の講演会で、こんなことがありました。その講演会の関係者である介護従事者の方から、「萬田先生、ようやく会えました」と声をかけられたのです。僕は覚えていなかったのですが、その方のお父さんは群大病院で亡くなられたということでした。そして、亡くなりそうな時、ご家族が「萬田先生を呼んでください」とお願いしたそうなのです。ナースは萬田先生は担当ではないと断ったのですが、「どうしても」と言うと呼んでくれました、と。
僕は、担当ではない患者にも「おはよう」「おやすみ」「調子どう?」なんて声をかけていたので、お父さんは僕を好きでいてくれたのだそうです。息子であるその方は、「父は萬田先生のこと、大好きだったんですよ」と言ってくれました。
僕が病室に入ると、ご家族は僕に「どうしたらいいでしょうか」と聞きました。僕は、「『がんばれ』はもういいでしょう。『ありがとう』と送ってあげましょうよ」と言ったそうです。
息子さんによると、「あの時の萬田先生の言葉で、家族が気持ちを切り替えて『お父さん、ありがとう』と言えたんです。おかげさまで心残りなく、すっきりと送れました」というお話でした。
その方のお父さんが亡くなられた時は、僕がまだ1年目の年でした。2年目から主治医になって勝手なことをしていたと思っていたのですが、1年目からすでに自由にしていたようです。僕にとって新たな気づきでした。
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