撮り続けた「人と鉄道」写真家・南正時60年の軌跡

吹上浜駅の通学風景 鹿児島交通吹上浜駅 1977年8月(撮影:南正時)
鉄道は人生を運ぶもの
筆者の鉄道写真の始まりは、1964年6月に北陸線の汽車の窓から撮った「夢の超特急」東海道新幹線の試運転列車である。この写真がネガの現存するもっとも古い写真であるから、これを鉄道写真のスタートとしている。
【貴重な写真を一挙公開】▶東海道新幹線開業直前の試運転列車▶全国で最後の活躍を見せていた蒸気機関車と鉄道員の表情▶ブルートレインとその車掌や機関士▶そして生活に根差した昭和のローカル線の姿など
これまでに撮り続けてきた写真を改めて見ると、鉄道写真として列車が被写体となっているのは当然だが、シャッターを切るときに常に考えていたのは「鉄道は人生を運ぶもの」ということである。
列車の運行を支える鉄道マンたち、沿線住民、そして乗客……と鉄道は多くの人々の生活を乗せて走っている。列車そのものだけでなく、人の生活を感じられる姿を撮り続けてきたのが自分の作品だと思っている。
今ではなかなか難しくなっているが、鉄道の現場を取材する際は「働く人々」にフォーカスすることが多かった。筆者が映画好きであることも大きく影響している。鉄道を描いた名作といわれる映画はそこで働く人々のドラマを丁寧に描いたものが多い。そして、実際の鉄道の現場にもさまざまなドラマが展開していた。そういった瞬間をとらえたいという意識は強かった。
ブルートレイン「あさかぜ」の車掌長の撮影が思い出深い。定年を間近に控えた車掌長で、その姿には鉄道マンとしての風格が漂っていた。

「あさかぜ」の車掌長 山陽本線下関駅 1979年7月(撮影:南正時)
乗務する列車の前で撮影する際、どのようにその風格ある姿をとらえようかと思ったが、どうしてもカチカチのポーズ写真になってしまう。発車時間も迫っているので、筆者は「車掌さん、時間まだ大丈夫でしょうか?」と聞いた。車掌はふと腕時計を見た。その瞬間、車掌は長年定刻運行を支えてきたプロの目になっていた。その瞬間を切り取ることができた。
鉄道マンの風格
運転士や機関士の真剣な表情、そしてふとした瞬間の和やかな姿も素晴らしい被写体だった。
国鉄時代、ブルートレイン「さくら」に、機関区での出庫から終点到着まで同乗取材を行ったことがある。そのとき、機関区内での取材の際に案内してくれた指導機関士に、ぜひ「運転している機関士の姿」という写真を撮らせてほしいとお願いしたことがあった。
機関区内での姿だが、やはり運転台に座ってもらうと、その姿は真剣な機関士の表情そのものだった。

特急の機関士(運転士) (撮影:南正時)
筆者の鉄道写真家としてのデビューは、鉄道趣味誌やファン向けの書籍ではなく、一般の雑誌だった。初めて雑誌連載をしたのは青年漫画誌の『漫画アクション』だ。1970年代初頭、姿を消しつつあった全国各地の蒸気機関車(SL)を、同誌のグラビアページで連載した。
この取材のために各地の現役蒸気機関車を追ったが、そこで意識していたのはSLが走る地方ならではの郷土色、そしてSLを取り巻く人々の姿や生活をいかに描けるか、だった。

小海線龍岡城付近にて、C56形の牽引する貨物列車(撮影:南正時)
SLを動かす人々
米坂線では活躍を続けていた大正生まれのSL、9600形の活躍を追った。夕方の坂町機関区に戻ってきた9600形をとらえようと構えていると、キャブには前日の撮影の際に見た顔の機関士がいた。
あいさつしてその姿を撮影させてもらうと、夕方の光線に照らされて機関車の窓から顔を出すその精悍な表情は子どものころにあこがれた機関士の姿だった。

米坂線坂町機関区内 1971年10月(撮影:南正時)
山陰本線の浜田機関区を取材で訪れた際は、SLそのものはもちろんのこと、赤レンガの機関庫が非常に印象的だった。
山陰本線にはこのような建築の機関庫が多く残っており、地域や路線の特色を感じさせるものだった。そこに働く人々の姿があることで、SLとそれを動かす人々、そして地域の特色を描くことができた。

山陰本線浜田機関区 1974年3月(撮影:南正時)
「デゴニ」の休息
筆者の好きなSLとしてD52形(デゴニ)がある。第2次大戦中に製造が始まった戦時設計の機関車で、大型のボイラーを持ち貨物用として最強を誇るSLだ。筆者がアニメーションスタジオで働いていたとき、機関車好きのベテランアニメーター、大塚康生さんは「デゴニはね、斜め後ろから見るとボイラーの太さがよーくわかるんだよ」と言った。
函館本線で活躍するD52形を追った際、その言葉通り斜め後ろから撮ろうと停車中の機関車に向かってカメラを構えた。すると、ちょうど機関士と機関助士が休憩のために降りてきて煤を払っているところで、その光景をとらえることができた。これは偶然がもたらしたタイミングではあったが、そのような人の動きを入れたいと意識していたのは確かだ。

D52(デゴニ)の休息 函館本線大沼駅構内 1971年6月(撮影:南正時)
鉄道を取り巻く人々は、当然ながら鉄道員だけではない。乗り合わせた人々の人生が交差するのが鉄道である。
今ではほとんどなくなってしまった話だが、かつては列車、とくに長距離列車やローカル列車に乗り合わせると、乗客同士でどちらまで行かれるんですかと声をかけたり、帰省の時期であれば里帰りですか、どちらまで?などと言葉を交わしたりするのが普通だった。

ピカピカの一年生(キハ301形)岩手開発鉄道長安寺駅 1984年4月(撮影:南正時)
筆者の作品の中でもベスト3に入ると思っているのが、桜の咲くホームに入ってきた旧型気動車と子どもたちをとらえた写真だ。現在は貨物専用鉄道となっている岩手開発鉄道が旅客輸送を行っていた時代に撮ったものである。
桜の咲くホームに丸っこい旧型の気動車、それだけでも舞台としては整っているが、やはりそこに通学の子どもたちがいてくれたからこそ、完璧な写真になったと思っている。
「人の生活」が見える鉄道写真を
近年はプライバシーの問題もあり、写真に人が入るのを避けるのはやむをえない。ただ、最近のいわゆる「撮り鉄」の人は、人物が写真に入ること自体を好まない人が多いようだ。
筆者から見れば、そこで生活している人がいて列車が走っているということが、その土地の風景である。
そういった、鉄道と生活の関わりをとらえたいと思ってきた。
鉄道写真を撮り続けて60年、その間に被写体となる列車だけでなく社会も大きく変化した。かつてのような、鉄道と人の写真を撮るのは難しくなっているのは事実だ。
だが、たとえ人が写っていない風景や列車の写真であっても、鉄道を取り巻く「人の生活」がわかる写真を撮ることはできる。そのような写真を、今後も撮り続けたいと思っている。