「株の含み損が大変なことに(笑)」サッカーで挫折、人気絶頂期に結核感染…波瀾万丈なJOYの今「夢は群馬への移住」
イギリス人の父親と日本人の母親、仲よしの姉の4人家族で育ったというタレントのJOYさん。サッカー少年からギャルモデルを経て、現在はパパタレントとして活躍していますが、その道のりは決してアゲアゲだった訳ではなくて── 。(全2回中の2回)
体力を持て余した僕を見かねて

JOY
浜辺で夕陽を眺めるJOYさん── 幼少期はどんな家庭で育ちましたか?
JOYさん:両親がとても仲よしで、常にお互いを思いやる言葉をかけ合っていました。「好きだよ」とか「ありがとう」をナチュラルに言い合う両親です。子どもながらにすごくいいなと思ったし、今の僕にとっても理想の夫婦です。
── 小さいころからサッカーをされていますね。
JOYさん:3歳のときに母親がサッカーのクラブに入れてくれました。僕が元気すぎて体力を持て余していたようで、ここで発散しなさいと(笑)。家の近くにクラブチームがなかったので、母親がわざわざ探してくれたんです。そこからサッカー少年になって、毎日ボールを追いかけていましたね。サッカーが大好きで、小学校・中学校と続けました。中学を卒業後はサッカーの推薦で高校へ進学しました。

JOY
3歳でサッカーを始めた、幼い日のJOYさん── 中学時代は群馬県選抜に選ばれるほどのサッカー選手だったと聞きました。
JOYさん:勉強は苦手だったのですが、サッカーは大好きでしたね。両親も「好きなことを伸ばせばいい。好きなことに夢中になって、のびのび自由に楽しく過ごしてほしい」という教育方針だったので、僕も思いきりサッカーを楽しんでいたんです。でも、高校1年生のときにヘルニアになってしまい、プレーができなくなってしまいました。
逃げたことへの後悔は今もまだある

JOY
仕事でもプライベートでもサッカーを楽しむJOYさん── その後、どうされたのですか?
JOYさん:そのときも、両親は「あなたが決めたことだから」と反対はしませんでした。通信の高校に移ってからは、好きなサッカーもやらない生活で、なんとなくその日を過ごす毎日でした。バイトをして友達とつるむという感じで、目標はなかったように思います。その当時はそういうものだと思っていたし、あまり将来のことも深く考えていませんでした。
── そうだったんですね。
JOYさん:ただ、大人になってから「あのときサッカーを続けていたら…」と思うことは多々あります。もちろん続けていたからといってプロになれたわけではありません。でも、逃げるようにサッカーを辞めてしまったことへの後悔はやはり強いです。もっと食い下がっていたら別の道もあったのかな?と思うことはあります。サッカーをずっとやっていたかったという心残りがありますね。
ギャルモデル時代はただ毎日が楽しくて

JOY
ギャルモデルとして活動していた当時── ギャルモデルとして活動を始めたきっかけを教えてください。
JOYさん:もともとファッション雑誌が好きで『men's egg』などを読んでいました。サッカーを辞めて、毎日なんとなく過ごすなかで、当時モデルをしていた姉のツテで『men's egg』に呼ばれたんです。最初は“スーパー高校生”という形で紹介されました。そこから特集ページのモデルとして呼ばれるようになり、毎月誌面に出させてもらうようになりました。『men's egg』はずっと読んでいた憧れの雑誌だったので、うれしかったですね。
── いきなり大活躍だったんですね。
JOYさん:『men's egg』に毎月出られてうれしかったんですが、月に2〜3回の稼働で1日拘束されて、ギャラは3000円〜5000円の世界でした。だから高校卒業後は、モデルの仕事を続けながらアパレルの会社で社員のような形で働いたり、地方のイベントに呼んでもらったりして生活をしていました。
── 毎日どのように過ごされていたのですか?
JOYさん:不安定な仕事ではありましたが、とにかく楽しかったですね。仕事がある日はモデル仲間と撮影に参加して、撮影のない日はモデル仲間とみんなで遊んで…という感じです。振り返っても楽しい思い出しかないです。『men's egg』に出ること自体が自分の目標みたいなところがあったので、それ以上の夢や目標もなく、ただ楽しい毎日を送っていました。
人気絶頂期に結核と診断され
── テレビに出るようになったきっかけは何ですか?
JOYさん:益若つばさちゃんが『しゃべくり007』に出るということで、ひとつのコーナーに一緒に出演させてもらったことがきっかけですね。そこでギャルモデルとして話題になって、その流れで『さんま御殿』に出ることになりました。
当時は「爪痕を残してやろう!」とか、そういう気持ちはまったくなくて。ただ楽しくてがむしゃらにしゃべっていたら、さんまさんが僕の話をとてもおもしろく広げてくださいました。『さんま御殿』の放送中に、複数のテレビ局から出演オファーが入ったと聞きました。業界慣れしていない感じがよかったのかなと思います。あとはもう運ですね(笑)。運とタイミングがハマったんだと思います。
── あっという間に売れていったイメージがあります。
JOYさん:そうですね。でも、露出が増えて仕事が忙しくなったタイミングで結核と診断されました。レギュラー番組もあったのですが、長期入院することになり仕事が一気に減りました。それまではがむしゃらに働いていたのですが、そこから睡眠や食事、運動などの日々の生活の大切さに気づいて、仕事をきちんとセーブするようになりました。
── 仕事に対する考え方は変わりましたか?
JOYさん:退院後、働き方を調整しながらタレントの仕事を続けるなかで、25歳くらいのときに「そろそろ年齢に合った等身大の自分で活動してみようかな」と考えるようになりました。年齢に合った自分の出し方ができるんじゃないかと思ったんです。
いつか生まれ故郷の群馬へ

JOY
帰省中。生まれ故郷の群馬にて── 落ち着いた大人の男性にシフトされていったイメージがあります。
JOYさん:無理やりキャラを変えたというよりも、年齢やライフステージに合った自分らしい自分になっていったという感じですね。とはいえ、ギャルでいたことはマインドとして染みついています。場を盛り上げたり、その場のノリを楽しむ姿勢は今でもすごく役に立っていますし、自分のアイデンティティーだと思っています。年齢に合わせて、自然体で活動していって、今に至るという感じでしょうか。
── 今後の目標などはありますか?
JOYさん:今の僕の夢は、何年かかけて拠点を故郷の群馬に移すことなんです。生まれ育った群馬の景色や空気が大好きで、家族で移り住んで暮らしたいと考えています。昔は「109」の前で遊んでいたのに不思議ですよね(笑)。年齢とともに、故郷への思いが強くなっている気がします。
── 仕事以外ではまっていることなどはありますか?
JOYさん:仕事以外では最近、資産運用をしていますね。4年前に税理士さんに「少額で資産形成をするのもいいですよ」と言われて株を始めました。そしたらおもしろくなって、それ以降続けています。最初はかなり利益が出ていたんです。
── すごいですね!最近はどうですか?
JOYさん:調子に乗って、だんだん金額を増やしていったら、ことごとく失敗して含み損が大変なことになっています。どうしたらいいんでしょうか!? 取り返せるように頑張るので、みなさんに温かく見守っていてほしいです(笑)。
…
さまざまな仕事やライフステージを経て、自然体で無理なく活動を続けるJOYさん。現在はパパタレントとしても活躍の場を広げています。渋谷でモデルをしていた10代、20代を経て、今後は群馬に拠点を移したいと考えるJOYさんの姿から目が離せません。
取材・文/大夏えい 写真提供/JOY