「ミャンマー軍事クーデター」非道すぎる拷問に絶句

ショッピングセンター前でデモをする人々。プラカードには『私たちを助けて ミャンマーを救って 人道に対する罪を止めて』と書かれている。彼らが英語を使ったのは、SNSなどでこの様子を目にする海外の人に、何が起きているか気づいてもらうためだ(写真:2021年2月15日、筆者撮影)
激しさを増す軍の狂気
2021年3月10日。軍による残虐行為が、日々エスカレートしている。毎日どこかで誰かが銃殺され、実弾によって身体の一部を吹き飛ばされた人たちの生々しい写真がSNSで拡散される。
【現地写真】クーデター後、最大のデモの様子。軍に打たれたときのことを考え、ある色の服を着ている人が多く……
数日前にツイッターで見かけた、ヤンゴン在住の日本人の投稿には「自宅近くで、暴行を受けて腕を折られた挙句に拉致された、その仲間を返せ、と抗議に行った2人が撃たれて死んだ」と、どうしようもなく理不尽な状況が記されていた。私も「あぁ、今日はどこで何人が撃たれたんだ」と、その数字に伴うはずの感情を失い、虚ろな気持ちでスマホをスクロールし続けている。
3月3日にマンダレーでデモに参加し、頭部を撃たれて即死した19歳の女性は、彼女が着ていたTシャツに書かれた『Everything will be OK(きっとすべてうまくいく)』という希望のメッセージとともに、一気に抵抗運動のアイコンとなった。
これに対し軍は、彼女の死を「軍の武器によるものではない」と主張。あろうことか、遺族の許可なく彼女の墓を掘り起こして遺体を持ち去ると、勝手に「検死」を行い、「遺体の頭部にあった銃弾は軍のものではない」と発表した。墓の周囲に散乱した、血のついたビニール手袋。死者を二度殺すような陵辱行為に、心が凍りつく。
一般宅への強制立ち入りや逮捕も、過激さを増している。夜間の逮捕が本格化した2月中頃は、警察が誰かを拘束しにくると、誰かが鍋を鳴らし、それを聞いた住民たちが人間の鎖を作って警察の行く手を阻んでいた。
でも今は、それすら「あの頃は平和だったね」と言いたくなる。今なら容赦なく殺されかねない。拘束するターゲットも見境なしだ。デモ参加者やCDM(市民的不服従運動)に参加した公務員だけでなく、逃げてきたデモ隊を匿った住民や、もはや何の理由も見つからない人まで、次々に連行されている。一人ひとりの生殺与奪の権を、警察や兵士が握っているのだ。

町のいたるところに、軍車両が進入できないよう、お手製のバリケードが張られた。軍が、「バリケードを片付けなければ、その周囲の住民を撃つ」という狂った通達を出してからは、こうした光景も見かけなくなった(写真:2021年3月6日、筆者撮影)
暴力行為、拷問の末に殺害…なぜここまでできるのか
拘束された人々は、激しい暴力行為に遭っているらしい。警察の尋問から解放されたという男性の背中は、赤く腫れ上がり、皮膚が剝けていた。別の女性は、ショックが強すぎたのか薬物を打たれたのか、ぼんやりと焦点の合わない目でブツブツと何か繰り返している。軍に逆らえばこうなるぞ、という見せしめなのだろう。次から次へと突きつけられる凄まじい不合理に、もはや怒るパワーも枯れそうだ。
それでも、警察に強制連行されたNLD(国民民主連盟)の議員が、拷問の末に殺害されて帰ってきた、その遺体の写真を見たときには、思わず唸り声が漏れた。顔は別人のように腫れ上がり、歯はすべて抜かれ、代わりに口に何か詰め込まれている。胴体には、胸から下半身へと続く切開創。雑に縫い合わされた腹部の中にあるべき臓器は抜かれていたという。狂っている。狂っているとしか言いようがない。
日本の友人たちからは「なぜミャンマー軍は自国民にここまで非道なことができるのか」と聞かれる。確かに、ミャンマー人は概して非常に優しく、殺生を嫌って蚊も殺さない仏教徒も多い。なぜ軍は例外なのか。私の知る答えは2つある。
1つめは、軍の思想だ。実はミャンマー軍は、イギリスからの独立以来70年以上、世界で最も長い内戦を戦ってきた。その多くは、自治権を求める少数民族など、自国民との戦いだ。軍は「国の分裂を防ぐ」という大義名分を掲げて、武力によって少数民族の自治を阻止し、国民には「国軍のおかげでミャンマーは1つの国であり続けられる」と自らの存在意義を刷り込んできた。
一方、軍内部では「国家を守るために国軍が行うことは常に正しい」という歪んだ自負心が醸成され、外部からの批判を頑なに拒むメンタリティが培われてきた。その結果、軍政に反対する国民はすべて「国家の安寧を乱す敵」とみなされ、武力弾圧の対象とされていく。つまり軍は、自国民の殺傷さえも愛国心の延長線上のものとして正当化しており、そして実際、そうした行為に慣れていると言える。
もう1つは「洗脳」だ。友人たちはよくこう言う。特に下級兵士の中には、政治のことなど知らない貧しい農民や少数民族が一定数いて、そうした人々にとって国軍兵士になることは魅力的な選択肢なのだという。国軍に入れば、家族を連れて軍の宿舎に移り住み、軍の学校、軍の病院と、すべて「軍製」で完結でき、人生は安泰だからだ。
軍は、兵士や国民に「国軍だけが母、国軍だけが父。血縁のことだけを信じよ」と教え込む。その閉鎖空間の中で、兵士は同胞意識を高め、同質化していく。上官の命令は絶対であり、国民を殺せと言われれば殺す。
勝たなきゃいけないと思うようになった
久しぶりに会った近所のおじさんは「民主主義は勝つ。100%そう信じているよ」と胸を張った。実はクーデター直後、彼に「民主主義は勝つと思う?」と聞いた時、彼は一言「軍は強い」と、悲しそうに答えたのだった。
なぜ考えが変わったのか尋ねると、彼はこう答えた。「勝つかな、負けるかな、じゃなくて、勝たなきゃいけないと思うようになったんだ」
いつからそう思うようになったの?
「軍は無実の国民を、あまりに残酷に殺した。小さな子どもさえ殺された。私は最初、兵士だって同じ人間だと思いたかったんだ。仏教徒なら、ダルマ(≒道徳)を知っているはずだからだ。
でも、違った。あれは人間のすることじゃない。軍政はやっぱり絶対ダメだ。ミャンマーは今こうしている間にも、未来を失い続けているんだ」

2月22日、クーデター後、最大のデモが行われた。ヤンゴン中心部にあるインレー湖の土手には、人々がぎっしりと座り、声を上げていた。白い服を着ている人が多いのは、軍に撃たれたときに血の色がよく見えるからだという(写真:2021年2月22日、筆者撮影)
さらなる情勢悪化で中国系の工場には放火も
3月15日、ヤンゴンの情勢はさらに悪化した。日本の新聞では、ミャンマー全土で「38人が死亡」と報じられていたが、実際にはニュース源である地元メディアも、死傷者のカウントが追いついていないという。
ターゲットにされたのは、ヤンゴン北部から東部の工業地帯。ヤンゴン中心部に比べると、貧困者層の住宅が多いエリアだ。おそらく、各国大使館や軍関係者の居住地域などがある中心エリアは避けているのだろう。SNSには、雨あられのような絶え間ない銃声の中、走って逃げるデモ隊の姿。
中国系の工場には昨日の深夜、次々と「何者か」によって火が放たれた。軍はこれを暴徒化した市民の仕業だと断定し、非難した。一方、市民らは「軍の自作自演だ」とSNSで猛反発。軍にはこうした卑劣な工作についての前科がありすぎるほどあるらしい。この地区で工場を経営する友人からは「近くの工場が燃えた。次はうちかもしれない」とひどく動揺した声で連絡が入った。
「誰が犯人だとしても、火だけはつけないでほしい。もし機械も材料も燃えてしまったら、二度と立ち直れない」彼女の震える声を聞きながら、こんな悲痛な思いをする人があとどのくらいいるのだろう、と嘆息する。
拡散された動画や画像の中には、軍側から流出したと思われるものもあった。「これから○○地区で撃ちまくるよ。この瞬間を待っていたんだ」と楽しげに話す兵士。必死で逃げ惑う人々の様子を、橋の上からのんびり眺める警官たち。夜のパーティ会場で、制服のままカラオケやダンスを楽しむ警官と兵士たち。
どれも至近距離からの撮影で、内部告発にしては、撮影者が特定されるリスクが高すぎる。なぜこんなものが流出するのか。あるいはわざと流出させて、市民を挑発しているのか。わからない。
インターネット遮断による「深刻な問題」
さらに悪いことには、ついにモバイルインターネットが完全に遮断された。これまでインターネットの遮断は、深夜1時から朝9時までの8時間だった。しかし今日から、スマートフォンでのインターネットは24時間つながらなくなる。私は自宅にWi-Fiがあるので、家では朝9時以降インターネットが使える。しかしミャンマーの一般家庭で、Wi-Fiがある家は非常に限られている。
モバイルインターネット遮断による深刻な問題は、2つある。1つ目は、スマホでの情報共有ができなくなること。今まで人々は「〇〇通りで警官がデモ隊を弾圧している」「○○地区に軍のトラックが集まっている」などという情報を、SNSを使い、リアルタイムで共有・拡散していた。そうしてデモ隊は、できるだけ危険を回避しながら守備に徹してきたのだ。
しかしモバイルインターネットが切られると、こうした情報共有の手段が失われてしまう。
2つ目は、今目の前で起きていることを発信できなくなることだ。路上でデモ隊が武力弾圧されても、今までのように現場からのライブ映像は届かなくなる。
もちろん、動画を録画しておけば、あとでWi-Fiにつながったときに投稿することはできる。しかしミャンマーでは、録画を撮りためておけるような保存容量の大きい高価なスマホを持っている人がまだ少ないため、ライブ配信しか手段がない場合が多いのだという。実際、14日まではフェイスブックを開けばいつも、どこかで誰かがデモの様子を配信していたのだが、15日以降はほとんど見当たらなくなった。
これまで国際ニュースになってきた画像や映像などの中には、一般市民のスマホからの投稿が相当数含まれていた。まず誰かがSNSに投稿したものが、無数の市民によって瞬く間に拡散される。ローカルメディアがその真偽を確認し、ニュースとして発信する。あるいは、写真や動画を撮った「市民記者」が日時や場所などの情報とともにメディアに送り、それをメディアがウェブサイトに載せる。その内容を海外のメディアが引用し、報道する。
つまりリアルな一次情報の多くは、市民が路上から、モバイルインターネットを使って発信してきたのだ。そうした映像は、事実を伝えると同時に、軍による弾圧を記録する監視カメラの役割を果たし、国際社会に発信されることでミャンマー市民を守る盾となっていた。
今後、ミャンマー関連のニュースはガクッと減るだろう。銃声の中、デモ隊が逃げながら撮った臨場感のある映像。警官隊と対峙する若者の、張り詰めた表情。そうした「絵になる」情報は、もう消えかけている。
だけど、映像が届かなくなっても忘れないでほしい。市民たちは自由を諦めず、必死で抵抗を続けている。もはや警官だけでなく、迷彩服の兵士が直接制圧し始めたヤンゴンで、今日も自宅の窓には、風に乗ってシュプレヒコールが届いている。
最後にダメ押しで、信じられないニュースをひとつ。3月19日、ロシアからミャンマー軍に兵器が空輸されるらしい。ミャンマーの市民を殺すための兵器だ。やりきれない。なぜ世界は、こんなことがまかり通る仕組みになっているんだろう。
「非暴力は無力」悲しすぎる現実
この1カ月半、ミャンマー市民は軍の横暴に耐えてきた。だが、非暴力での民主化運動は、限界を迎えつつある。デモに参加する人数は、一時に比べると激減した。当然だ。殺されたくなかったら、デモになど参加すべきじゃない。
一方で、抵抗運動を続ける若者たちは精鋭化し、軍の銃撃に対して、ロケット花火やスリングショットを打ち返したり、お手製の火炎瓶を投げ返したりする動きも出てきている。自ら軍に攻撃を仕掛けるわけではなく、あくまでデモの最前線で、命を守るための最低限の反撃だが、それでもこれは、ごく最近まで決して見ることのなかった姿だった。
非暴力を貫いてきた若者たちが、少しずつ武器を手にし始める。それは、どうしようもない変化だった。人々の平和的な抵抗運動を支持していた私も、もはや非暴力に固執することが正しいこととは思えなくなっていた。
確かに、デモやCDM、ボイコットなど、彼らの非暴力の闘い方は、軍の残虐性を際立たせ、正当性を失わせ、国際世論を味方につけた。どんなに酷く打ちのめされても、理想を掲げて立ち上がり続ける彼らは、美しかったのだ。
だが、非暴力は無力だった。少なくとも私は、そう感じた。弾圧されないように非暴力を貫いても、むざむざと殺され続ける若者たち。それは、美談として片付けるにはあまりにも残酷な結末だった。それに、彼らの姿は間違いなく世界に発信されているのに、国際社会は「非難する」と繰り返すだけで、誰もこの虐殺を止めてはくれない。
人々が反撃を決意するまでに、どれだけの人が殺されただろう。青空の下で自由を叫ぶ丸腰の市民に、軍は銃弾やロケット砲を撃ち込んだ。それでもデモ隊は「暴力でやり返すな」と諫め合っていた。実弾で頭部を狙う「治安部隊」に、ロケット花火で対抗していた若者たち。
犠牲者はデモ隊だけではなかった。命を救おうと奔走した医療者。自由を綴った詩人。イデオロギーなど知らない小さな子どもまでも標的にされた。農村部では空爆による無差別爆撃が行われ、学校や教会も破壊された。
人々は国中で「ミャンマーを助けて」とプラカードを掲げ、国際社会に助けを求め、そして黙殺された。市民は、喜んで武器を手に取ったのではない。非暴力が、あまりに無力だったのだ。
日本の対応はどうだったのか
ところで、日本政府はこのクーデターにどう対応してきただろう。
まずクーデター当日、茂木外相が談話を発表し「重大な懸念」を示した。さらに軍政への要求として、①民間人への暴力の即時停止、②スーチー氏を含む拘束者の即時解放、③民主的な政治への早期回復、の3点を訴えた。
これらは最低ラインの内容にも思えるが、軍にとってはそれなりにハードルの高い要求だ。暴力や民主主義に関しては何とでも言い訳できるだろうが、スーチー氏を解放するわけにはいかないからだ。それでも日本政府は、ミャンマー情勢について問われるたびに「この3点を強く求めている」と繰り返してきた。
では、この難題を実現するために日本は何をしているだろうか。外務省は、日本には「独自の役割」があるという。軍に厳しい態度で臨む人権派の欧米とは違い、日本はミャンマーとの関係が深く、国軍側にも民主派側にも意思疎通のパイプがある「特別な国」なのだと。つまり日本には双方を仲裁できるポテンシャルがある、というわけだ。日本のメディアもこれに追随し「独自のパイプ」を連呼している。
揺らぐ日本への信頼
しかし今のところ、そのパイプはまったく機能していない。特別な国からの呼びかけ虚しく、軍の弾圧は日に日に凄惨さを増しているが、日本は欧米と連帯して制裁を加えることもなく、「状況を見て判断する」と繰り返すばかりだ。いったいいつまで何の状況を見れば気が済むのか、とヤキモキしてしまう。
「パイプ」、つまり双方との対話ができるキーパーソンとして真っ先に頭に浮かんだのは、外務省きってのミャンマー通と名高い、ミャンマー大使の丸山市郎氏(2024年退任)だ。丸山氏はクーデター後、沈黙を続けていたが、ようやく2月20日にメディアの前に姿を現した。
その日、少数民族のデモ隊が日本大使館を訪れると、館内から出てきた大使が、デモ隊から書簡を直接受け取ったのだ。流暢なミャンマー語で「日本政府はミャンマーの人々の声を無視しない」と伝える姿に、ミャンマーの人々は喜び、私も安堵した。
だが3月8日、大使が、軍が任命した外相と直接会談したことが報じられた。外務省によれば、例の3点を直訴した、ということだが、ミャンマー国営紙には豪華な会談の写真とともに「日本との友好関係を強化するために意見交換をした」と掲載されていた。軍との対話そのものを否定する気はないが、仲裁どころか、軍の広告として利用されているではないか。
さらに悪いことには、日本大使館も、軍側が選んだ人物を公式に「外相」と呼称してしまった。外相は、クーデター前までスーチー氏が務めていたポジションだ。SNSでは、ミャンマー市民から「私たちが選んだ外相ではない」「日本は軍政を認めるのか」と抗議の嵐が吹き荒れた。軍を正統な政府と認めるな、と国際社会に必死に訴え続けていたミャンマー市民の気持ちを思えば、これは無神経な発信だった。
この記事では割愛するが、他にも、日本が「軍寄り」と批判される理由がいくつも存在する。私は外交については門外漢なので、見落としていることもあるだろう。だが私は、この虐殺や人権侵害を看過しようとする日本政府の姿勢については、一国民としてはっきりと異を唱えたいと思う。それが言論の自由を保障された国で生まれた自分の責任だと信じるからだ。
国内でのミャンマー支援の動きに期待
なお、こうした流れに抗うように、日本国内でミャンマー支援の動きが広がっていることも記しておきたい。市民レベルでは、クーデター直後から始まったデモ活動に日本人も合流したほか、いくつもの市民団体が、軍を利するODA(政府開発援助)などへの抗議活動や署名運動、勉強会などを次々に展開した。
2021年3月には食料や医療を支援するクラウドファンディングが立ち上がり、実に1500万円を超える寄付を集めた。政治的には、政府間の公式対話ではないものの、超党派の議員連盟がCRPH(連邦議会代表委員会。ミャンマークーデターの正当性を否定する議員有志による政治組織)と会合を行い、同年6月には衆議院本会議でクーデターの非難決議が可決された。
また5月には入国管理局が、本国の情勢悪化に伴う緊急避難措置としてミャンマー人の在留・就労を認めると決めた。
こうした取り組みが民主化の実現をどれほど後押しするかはまだ未知数だ。しかし彼らの声に耳を傾け、苦難に寄り添い、未来をともに描こうとする日本人の存在は、確かな希望だと思う。