「リタイアします」が一転。『ラストマン』福山雅治も体験した暗闇が「もう一度戻りたい場所」に変わった瞬間
1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案で誕生した体験型プログラム「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下、DID)」。参加者は、特別な訓練を受けた視覚障碍者のガイド「アテンド」に導かれ、光を完全に遮断した“純度100%の暗闇”を体験する。
視覚以外の感覚を使い、人との関わりや対話を通し、他の感覚の豊かさや、他者と助け合い、信頼し合うことの大切さに気づいていくプログラムだ。これまでに世界47カ国以上で900万人を超える人が体験し、日本では1999年の上陸以来、30万人以上が参加してきた。
また「DID」は、福山雅治さんが全盲のFBI捜査官を演じる人気作品「ラストマン」で、2023年のテレビドラマから全盲所作指導を行ってきた。今回『映画ラストマン -FIRST LOVE-』の公開を記念し、主人公・皆実広見の日常である“純度100%の暗闇”を追体験できる特別プログラム『ラストマン・イン・ザ・ダーク −FIRST LOVE−』を開催している。
本記事では、すでにDIDの体験プログラムを経験している筆者が、前後編に渡ってその様子をリポートしている。

全盲所作指導を担当した視覚障碍者のスタッフ。映画の撮影現場である函館に同行。写真提供/ダイアログ・イン・ザ・ダーク
前編では、初めての暗闇体験にリタイアをしかけながら、一緒に体験した方に支えられ、徐々に暗闇だからこそ感じた思いなどレポートした。続く後編では、いくつかのチャレンジの先に待っていたカフェコーナーでの時間を中心に紹介する。さらに「DID」の代表である志村夫妻に聞いた、暗闇体験から得られることについてもお伝えする。
暗闇でカフェを体験する?
これまで歩き続けてきた空間とは異なる気配を感じた。BGMに流れているジャズのような音楽と、グラスが触れ合った音ーー。アテンドがカフェに到着したことを教えてくれた。
「暗闇の世界に来て、60分がたちました。少し休んでいきましょう」
参加者がテーブルにつくと、店員役のアテンドがオーダーを取りに来てくれた。この日はコーヒーや紅茶などの喫茶に加えアルコールも用意されていた。それから「おやつもありますよ」と教えてくれる。
時間はすでに18時近く。たいていの参加者がアルコールを頼む。
「ビールとワインがあります」
私はワインとおやつをお願いすることに。メンバーで歓談を始めていたら、それぞれが注文した飲み物が順に運ばれてくる。
「紅茶の方」
「こちらはビールになります」
支払いは、それぞれが事前に準備しておいた硬貨で行う。大きさや形の違いで種類を判別し、手渡す。釣り銭があればそれも受け取る。

写真提供/ダイアログ・イン・ザ・ダーク
「お待たせしました、ワインです」
「はい、私です」
目の前にグラスが置かれたことは、音で理解できた。ワイングラスの形状を想像し、倒さないよう、ゆっくりと手をテーブルへ伸ばす。
「何かを触る際は手の甲から触れるようにしてください。いきなり指先から触れると怪我をすることもあります」
アテンドが入り口で教えてくれた言葉を思い出し、そのとおりにする。グラスに指が触れたことを確認し、そっと指でワイングラスのステムを持ち上げた。
常温だ。
ということは、赤ワインだろう。香りを確かめると、その予想は確信に変わった。ビールの人は缶が置かれたようだ。「プシュッ」という、プルタブを開ける音がする。
おやつは小さな紙袋に入っている。数種類のアソートタイプが入っているようだ。ひとつ紙袋から取り出し、指でその形を確かめる。コロンとした円すい形のフォルムのようだ。
「あ、キスチョコだ」
そして、もうひとつ。正体がわからないまま口に運ぶと、それはおかきだった。
スナックは形状でわかるものもあれば、口に入れて初めて正体が明らかになるものもあり、その小さなサプライズは案外、それはそれで楽しかった。
視覚障害者がコンビニエンスストアに求めること
アルコールの力もあったのだろうか、すっかり打ち解けた参加者たちとアテンドの間に、おしゃべりの時間が生まれた。偶然、同じ体験に参加しただけの人たちが、いつの間にか「仲間」のような存在になっていた。
これまでの体験してきた感想を話す中で、何度か体験しているというリピーターの男性が、その理由を私たちに話してくれた。
「ここにくるのは、休みたいなと思った時です。リラックスできるんですよね」
続いて、アテンドに質問が投げかけられた。日常についての疑問だった。
「コンビニのおにぎりには、種類がたくさんあります。選ぶ際にはどうしているんですか」
暗闇の中でおやつを選んだ体験が、そのままこの疑問に繋がったのかもしれない。
「店員さんに聞くこともありますよ。限定商品を教えてくれることもあって、そこから仲良くなることもあります。
でもあえて聞かず、食べるまでの“お楽しみ”にすることもあります。お菓子なんかもそうですね」
「見えない」ことをこんなふうにユーモアに変え楽しんでいるなんて、私はこれまで一度も想像をしたことがなかった。だからこそ、続けて投げかけた質問への答えが、今でも強く心に残っているのかもしれない。
「コンビニエンスストアは、どうなると便利だと思いますか」
「うーん、そうですねぇ…。もっと通路が広くなると、車椅子やベビーカーも通りやすくなりますよね。それが結果的に、みんなにとっていいことに繋がると思います」
私はてっきり点字や音声による案内など、「見えないこと」による不便さへのリクエストが返ってくると思っていた。しかし、アテンドは自分たちのためだけでなく、コンビニを利用するすべての人にとってどうあるべきか、という視点でこの問いを受け止めていたのだ。
筆者はその寛大で優しい視点に、暗闇の中で静かな衝撃を受けていた。
ゴールが近づき、安堵ではない感情が
カフェを後にし、いよいよゴール。その手前でアテンドが言った。
「さあ、元の世界に戻りましょう。ここからは明るくなります。少し眩しく感じると思うので、目を少しずつ開けるなどして慣れてくださいね」
その言葉を聞いた筆者は、安堵感よりも先に浮かんだ感情があった。それは意外にも見送られる「寂しさ」だった。暗闇の中で、助けられながら感じていたつながり。
その世界では誰もが等しく存在していた。しかし、ゴール前にアテンドの言葉を聞いた瞬間、その世界を離れることで、視覚障碍者の人たちと、また別の世界に戻らなくてはならないと思ったのかもしれない。
私と視覚障碍者の日常。
一瞬、「元の世界」に戻ることに寂しさを感じたのだろう。しかし、暗闇の中でともに過ごし、助けてもらったり、教えてもらったあの時間は確かに存在した。
私たちは日々、電車にも乗るし、コンビニも利用する。自炊もすれば掃除もするし、仕事もある。
彼らと私の日常に、違いはあるのかもしれない。しかしそれは決して「別の世界」ではないのだと、この体験を通して理解することができた。
ふと、何度もこのプログラムを体験した人の言葉が頭の中で蘇った。
「ここにくるのは、休みたいなと思った時です。リラックスできるんですよね」

写真提供/ダイアログ・イン・ザ・ダーク
日々の忙しさに疲れたり、誰かの言葉に傷ついたりーー。ストレスを感じた時、この優しい世界に戻りたくなるのだろう。今の著者なら、その気持ちがよく理解できる。
誰かが困っている時に、手を差し伸べることが当たり前である社会。それは誰もが心地よく生きていくことのできる人生に直結しているのではないだろうか。
何かを見失いそうになった時、きっと私もまたここに戻ってくるだろう。純度100%の暗闇に存在する優しい世界に。
目の前にラストマンが!
さて、特別公開プログラム「ラストマン・イン・ザ・ダーク」だが、こちらも体験をさせていただいた。詳細に触れることは“ネタバラシ”になってしまうため控えたいが、どうしても入り口でのアテンドの様子だけ伝えさせてほしい。
それは体験の説明が行われていた最中のことだった。突然、スマートフォンのメール着信音が鳴った。音や光を発するデバイスは持ち込み禁止のはずである。持ち主はどうやらアテンドだとわかる。
「失礼。これは皆さんをお連れする上で、大事なミッションのメールのようなので“読む”ことにします」
そう言ってアテンドはスマートフォンを耳に近づけ、音声認識ボタンを押した。彼が使ったのは、文字情報を音声化するボイスオーバー機能である。スピーカーがオンになっていたため、音は私たちにも聞こえたのだが…。
その再生速度はあまりにも早く、内容はまったく聞き取れなかった。

©︎2025映画「ラストマン」製作委員会
「…と、いうことでした。皆さんわかりましたか? え、わかりませんでしたか。聞き取れなかった方のために、私が通訳しましょう。これからのミッションは皆さんを…」
これは『ラストマン』の作中で何度も描かれてきた、皆実広見がスマートフォンを耳に当て、高速で再生される音声を正確に聞き取るあのシーンだった。まさか目の前でその“神業”を見ることができるとは…。
アテンドは常にこのボイスオーバー機能を使って、高速で情報を聞き取っているという。

特別プログラム『映画ラストマン -FIRST LOVE-』×ダイアログ・イン・ザ・ダーク開催中。入り口にはメッセージが。写真提供/ダイアログ・イン・ザ・ダーク
「僕たちはこの機能を使ってネットの記事を読み、ショッピングもします」
特別プログラムでは他にも、皆実広見の日常を体験できる場面が用意されている。ファンはもちろんのこと、作品を知らない人であっても、この暗闇の体験は、確実に心を揺さぶる体験となるはずだ。
暗闇の体験に、一度はリタイアが頭をよぎった筆者が、再び暗闇の世界に戻りたいと、二度目の体験を楽しみにしていたのだから。
ちなみにカフェは数日間の限定プログラムだった。「DID」体験プログラムは常に同じではない。手を変え品をかえ、さまざまな「暗闇体験」をさせてくれるのだ。
『ラストマン』特別プログラム
期間限定で開催される「ラストマン・イン・ザ・ダーク」で注目すべきポイントを代表の志村季世恵さんと志村真介さんご夫妻に聞いた。
「通常のDIDに加え、皆実さんの感じている世界を追体験できるようなプログラムとなっております。
目以外の感覚の豊かさや可能性を肌で感じ、ドラマや映画でおなじみのエッセンスに暗闇で触れることで、参加者の皆さんにも皆実さんの感覚や気持ちを身近に感じていただけるのではないかなと思います。ぜひご期待ください。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク代表・志村季世恵さん。写真提供/ダイアログ・イン・ザ・ダーク
これまでのゲストの方々のアンケートで『誰にDIDを体験してほしいですか?』という問いに対して、恋人、両親、兄弟、友人、同僚、政治家などの他に『みんな』という答えが書かれていることがよくあります。理由をお聞きすると『みんな』が、DIDを体験すると社会が平和になるからです、と。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク代表・志村真介さん。写真提供/ダイアログ・イン・ザ・ダーク
私たちもDIDを体験するとこれまでの『知らない人』が『知っている人』に90分で変わるのは、隣の人は私を助けてくれる大切な人であり、自分も隣の人を助ける存在でもあるという相互扶助の関係に自然と楽しみながら気がつくからです。皆実さんのように目以外の感性を研ぎ澄まし、人と対等に関わって対話していくことで信頼が生まれるのです。
ですから、私たちも老若男女、立場や年齢を超えて「みんな」に漆黒の暗闇の中でDIDを体験していただきたいと願っています」

『映画ラストマン -FIRST LOVE-』×ダイアログ・イン・ザ・ダーク参加者が体験後に寄せたメッセージ。写真提供/ダイアログ・イン・ザ・ダーク