サックス奏者・渡辺貞夫92歳「29歳の時、妻と子を日本に残してアメリカ留学へ。バークリー音楽院では、合理的なジャズ理論が確立されていることに衝撃を受けて」

〈発売中の『婦人公論』2月号から記事を先出し!〉

戦後まもなくジャズに出合い、サックス奏者として常に第一線を走ってきた、《ナベサダ》こと渡辺貞夫さん。92歳の今も、圧倒的なライブ演奏や、新譜の発表を精力的に続けています。音楽への情熱、そして驚異的な体力の秘密は……(構成:篠藤ゆり 撮影:馬場わかな)

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【写真】高校生の頃の渡辺さん

<前編よりつづく>

人生の転機となったさまざまな出会い

19歳の時、ジャズピアニストの秋吉(現・穐吉)敏子さんに声をかけられ、「コージー・カルテット」に参加しましたが、秋吉さんはじきにボストンのバークリー音楽院に留学することに。

その後、彼女はアメリカで活躍するようになりますが、凱旋公演で日本に帰ってきた際、「奨学金をとりつけてあげるから、ボストンのバークリー音楽院に留学なさい」と勧めてくれたんです。

僕はその時29歳で、すでに結婚して子どももいましたが、妻は快く「行っといで」と送り出してくれ、62年、アメリカに行くことになりました。

バークリー音楽院に入ってびっくりしたのは、合理的なジャズ理論が確立されていたことですね。それまでは耳で聞き、覚えて演奏していたけれど、日本の和声学や対位法ではわからなかったので、目から鱗でした。

バークリー音楽院留学のためボストンへ出発。1962年、羽田空港にて(写真提供:エムアンドエムスタジオ)

当時は200ドルしか外貨の持ち出しができませんでしたから、自分で稼がないと生活が成り立ちません。僕は日本ですでにアルバムを一枚作っていたので、すぐにミュージシャンとして仕事ができるようになりました。

65年の秋からニューヨークにいましたが、治安が悪い時代。でもみんなから「ブラザー、ブラザー」と呼ばれて、ハーレムにもジャムセッションに行きましたよ。怖い思いをしたことは一度もないし、本当に恵まれていたと思います。

そんなわけでアメリカ行きが大きな転機になったわけですが、次の転機は、ブラジル音楽との出合いです。65年の5月、ゲイリー・マクファーランドというヴィブラフォン奏者が、ブラジル音楽を取り入れた『ソフト・サンバ』というアルバムを作って大ヒット。

そのゲイリーが、バークリー時代の僕の先生にツアーメンバーを紹介してくれないかと頼み、先生が僕を推薦してくれた。そこからブラジル音楽に興味を持ち始め、68年以降はよくブラジルにも行き、演奏するようになりました。

アフリカとの出合いも大きかったですね。72年、日本テレビから声がかかり、ケニアに2週間、行くことになったんです。ケニアは人々が純朴。自然もダイナミックで、大好きになりました。

僕は渡米してから、徹底的に合理的なジャズをやってきましたが、ブラジルやアフリカと出合ったことで精神的にすごくオープンになった。音楽だけではなく、生き方も変わった気がします。たぶんそれが、僕の音楽にも表れているんじゃないかな。

近年のステージでのワンシーン(写真提供:エムアンドエムスタジオ)

いまだに自分の演奏に満足していない

10代から突っ走ってきたわけですが、50歳になるちょっと前に、一時仕事を休んだことがあります。ニューヨークでCMの撮影をして、そのままケニアに2週間ほど遊びに行ったんだけど、なんか体調が悪くてね。帰国したとたん立っていられなくなり、即入院。C型肝炎でした。

ただ、1年先までスケジュールがびっしりだったので、その時は1週間だけ入院して、ツアーをこなしてから本格的に入院して治療することに。結局、10ヵ月くらい療養していたんじゃないかな。

まぁ、入院中も曲を書いていましたし、退院後すぐニューヨークへレコーディングに行きましたけどね。おかげさまでその後はずっと元気です。

こうやって振り返ってみると、本当にいい時代に、いい出合いに恵まれたと思います。そして好きなことをやり続けて、気づいたらこの歳になっていた。その間、飽きたり、ちょっと休みたいなと思ったことは一度もありません。

ニューポートジャズフェスティバルで、敬愛するデューク・エリントンとの2ショット(1968年)(写真提供:エムアンドエムスタジオ)

最近は、とにかく演奏に集中したいので、新しい曲はあまり作っていないんです。

今まで作った曲も、作った直後はつい譜面に書いた音を忠実に吹いてしまうから、思うような演奏ができていない。それを改めて吹き直したいという思いでいますし、未発表の曲も結構あるので、やるべきことは山ほど。(笑)

24年にアルバム『PEACE』、25年は『HOPE FOR TOMORROW』を出しましたが、どちらも、この先の未来がもっとよくなることへの願いをタイトルに込めました。臨場感がほしいので、どちらもライブ録音です。

今も自分のプレイを「まだまだだなぁ」と思っていますよ。「これでいい」と納得したことは、一度もありません。これからも、常にチャレンジです。