「中目黒」遊びに来る人が知らない意外な実態

中目黒=おしゃれというイメージは、どのように形成されたのか(写真:筆者撮影)
今回歩いたのは、「芸能人の街」というイメージが強い中目黒。今や日本のトレンド発信地だが、住民たちは「そんなおしゃれタウンじゃないし、意識の高い街でもないんだけどな……」と戸惑いがちだという。このギャップはなぜ生まれたのだろうか。
【画像】オサレイメージだが、渋い通りや店も…「中目黒」はこんなにも味わい深い街
「芸能人の街」というイメージはどこから?
「中目黒に住んでいると話すと、『セレブだね』『家賃高そうで住めない』と言われる。でも、路地裏には古いアパートもあるし、たまにネズミも見かける。芸能人は確かにいるけれど、普通に犬を散歩させている。ここは特別な場所ではなく、ただの便利な生活圏ですよ」
──そう語るのは、中目黒在住の担当編集K氏だ。
中目黒といえば、目黒川の桜並木を背景にしたドラマ、洗練されたセレクトショップ、そしてLDHをはじめとする芸能事務所がひしめく“キラキラした街”というイメージが強い。筆者も、一般人には敷居の高い場所だという偏見を持っていた。
しかし、一歩路地に入れば、年季の入った赤提灯や、謎のたぬきのオブジェが鎮座する商店街が残っている。メディアが映し出す「キラキラしたナカメ」と、住民が感じる「生活感あふれる実像」には、少なからずギャップがありそうだ。
中目黒はなぜ、これほどまでに「芸能人御用達」のイメージが強い街になったのか。実際に街を歩きつつ、歴史を掘り起こしながら、正体を探ってみたい。

おしゃれイメージのある中目黒だが、「そんなことない」と語る住民も(写真:筆者撮影)
駅周辺に併存する「おしゃれなナカメ」と生活感
中目黒駅の改札を出てすぐ、目に飛び込んでくるのはイメージ通りの「おしゃれなナカメ」の風景だ。ガラス張りのバー、洗練されたロゴのカフェ、圧倒的な人気を誇るドーナツ店。駅前だけを切り取れば、「中目黒=おしゃれ」というイメージはたしかに裏切られない。

意外と赤提灯系の居酒屋も多い。呑兵衛には嬉しいストリートだ(写真:筆者撮影)
ところが、その華やかさは長くは続かないようだ。駅前の大通りから一歩裏手へ入ると、焼き肉店や居酒屋、古い雑居ビルが密集する雑多な空間に切り替わる。落書きされたシャッターなんかもあり、イメージしていた「洗練された街並み」とのギャップに驚かされた。
中目黒の特徴は、この切り替わりの早さにある。おしゃれな街並みと生活感のある風景が、グラデーションではなく「隣り合って」存在している。その変化が、この街を歩く楽しみを増幅させているように感じる。

2002年オープンの中目黒ゲートタウン。中目黒地区の再開発事業の先駆けだ(写真:筆者撮影)
駅の東口側に広がる「中目黒ゲートタウン(中目黒GT)」に入ると、印象はまた変わる。スターバックスやカルディ、スーパー、図書館。テナントの顔ぶれは、どこか見慣れた日常的なものばかりだ。
実はこの施設、1987年ごろから地元の権利者を中心に再開発が進められた、住民にとっては「なくてはならない存在」だ。広場や壁面には、世界的なアーティストによるアート作品が点在。単なる商業ビルというよりは、地域の多目的ホールとしての役割も兼ね備えている。

2009年オープンの中目黒アトラスタワー。中目黒ゲートタウンに続く2大ランドマークだ(写真:筆者撮影)
道路を挟んで向かい側に立つ、高さ約164メートルの「中目黒アトラスタワー」も、中目黒のシンボル的な存在だ。45階建てという圧倒的な高さを誇るが、その足元に入っているのはサイゼリヤや焼き鳥店、庶民的な立ち飲み屋など、親しみやすい飲食店が多い。
タワーマンションといえば「高級」というイメージが先行する。しかし、この再開発はもともと「目黒川の氾濫を防ぐために立ち上がった地元の住民」が主導したものだという背景がある。
高層階には富裕層が住む一方で、1階レベルの風景は案外フラットだ。中目黒という街が、上層と地上で役割分担されていることを実感させられる。

(写真:筆者撮影)
目黒川沿いは「ナカメらしさ」を感じるエリア
目黒川沿いに出ると、さらに空気は一変する。洗練されたセレクトショップや話題の飲食店が並び、「ナカメらしさ」が最も凝縮されたエリアだ。
ハイセンスな装いの若者たちがショッピングを楽しむ姿が目立ち、普段着のコートで歩いていた筆者は、どこか背伸びをしたような落ち着かない気持ちになる。

筆者が訪問したときはなんと1時間待ちだった(写真:筆者撮影)
世界に6店舗しかない「スターバックス リザーブ ロースタリー」は、中目黒が「ここでしかできない体験」を売りにしている象徴的な存在といえる。
現在は桜の名所として有名な目黒川も、三田用水をはじめとする用水路網とともに、かつては農業や工業を支える実用のインフラとして機能していた。
そうした歴史を知ると、現在の洗練された風景が、過去の地元住民の地道な努力で、丁寧に積み重ねられたものなのだと気づかされる。

急な坂が多く、ここが台地であることを実感する(写真:筆者撮影)
「高級住宅街」エリアは思ったより限定的な範囲
目黒川から青葉台方面へ向かい、坂を登り始めると、街の表情はまた変わる。静かな住宅街、手入れの行き届いた低層住宅。いわゆる「高級住宅街」と呼ばれるエリアだ。自然豊かな公園もあり、子ども連れのファミリーが遊具で遊ぶ姿を見ると、ここが近隣住民の憩いの場なのだとわかる。
とはいえ、このエリアは中目黒全体から見ればごく一部。坂を下り、池尻大橋方面へ近づくにつれて、オフィスビルや交通量の多い道路が現れる。「中目黒=高級住宅街」というイメージは、かなり限定的な範囲を指しているようだ。

(写真:筆者撮影)
最後に向かったのは、駅周辺に広がる商店街。中目黒には「中目黒駅前商店街」「中目黒駅西銀座商店街」「目黒銀座商店街」「中目黒GTプラザ商店会」という4つの商店街があり、それぞれがタッグを組んで街を盛り上げている。

渋い商店街におしゃれな古着屋。なかには外国人観光客の姿も(写真:筆者撮影)

昔ながらのレトロなブティック。老若男女、誰もがショッピングを楽しめそうだ(写真:筆者撮影)
駅を出てすぐの「中目黒駅前商店街」から、1950年代に設立された「目黒銀座商店街」へと歩みを進めると、中目黒の「生活圏」としての顔がはっきり見えてくる。レトロなブティックや八百屋の合間に、おしゃれな古着屋が点在し、新旧が自然に混ざり合っている。
そこにあるのは、華やかさよりも実用性、ブランドよりも顔の見える関係性だ。再開発で生まれたタワービルの足元で、昔ながらの夏まつりやハロウィンイベントが開催されている。都会の真ん中にいながら、住民の「ジモト愛」を感じるあたたかい商店街だ。

商店街を歩いていると、建物の隙間に気になる路地を発見(写真:筆者撮影)

人が1人すれ違える程度の路地を抜けると、「目黒馬頭観音」が。こうした出会いがあるのも中目黒の魅力(写真:筆者撮影)
中目黒にはエリアごとに役割がある
歩き終えて感じたのは、中目黒は決して「おしゃれ一色」の街ではないということだ。
目黒川沿いの「おしゃれ」に特化した消費エリア。再開発ビルの中にあるスーパーや、商店街の八百屋といった生活エリア。高層タワーから路地裏のアパートまでの居住エリア。
街のどこを切り取るかによって、「セレブな街」にも「普通の住宅街」にも見えてしまう。その曖昧さこそが、中目黒という街の正体なのかもしれない。
街を歩いていて印象的だったのが、不動産の「振れ幅」の大きさだ。
中目黒駅周辺には、芸能人が多く住んでいると噂されるタワーマンションがそびえる一方で、一本裏道に入ると、築年数の経った木造アパートやワンルームの賃貸物件も珍しくない。実際、不動産サイトを見てみると、時期や条件によっては1Kで8万円台の物件も確認でき、決して「富裕層しか住めない街」というわけではないことがわかる。
ただし、街全体を見渡すと、住居費や日常の物価水準はやはり都内平均より高めだ。高級住宅街や洗練された飲食店が集まるエリアと、庶民的な住宅街が隣り合うことで、「選択肢の幅」は確かに存在している。
しかしその一方で、目黒川沿いを日常的に使う「おしゃれなナカメらしい空気感」を無理なく享受するには、一定のコストを引き受ける覚悟も必要になる。
つまり、中目黒は「おしゃれ一色の街」なのではなく、高級住宅街、庶民的な住宅街、そして消費を楽しむエリアが役割分担された街なのだ。生活と消費が分かれているからこそ、「住める人」と「使う人」が混在する独特の景色が生まれているのだろう。
中目黒はもともと「生活と労働の街」だった
では、いつから中目黒はおしゃれなイメージを持つようになったのか。歴史をさかのぼると、現在の「おしゃれ」「芸能人の街」というイメージからは想像しにくいが、中目黒はもともと華やかな消費の街ではなかった。
明治から大正にかけて、この一帯は軍需や工業を支える実務的なエリアとして発展してきた。明治24年には目黒川沿いに軍用麦粉工場が設置され、その後も日本麦酒醸造会社(現・サッポロビール株式会社の前身)や大薬製造など、大規模な工場が次々と進出している。
当時の目黒川は、今のような「花見の名所」ではなく、三田用水の一部として農業や工業を支えるための実利的な川だった。染物職人が川に入り、反物を洗う「友禅流し」が行われていたことからも、この川が生活と労働に密着した存在だったことがわかる。
街の性格を大きく変えたのが、1923年の関東大震災だ。都心部で家を失った人々が住む場所を求めて流入し、周辺の農地は急速に住宅地へと姿を変えていった。
東横線開通がナカメを作った?
1927年の東横線開通によって商店街と住宅地が形成され、1964年には日比谷線も乗り入れる。かつての工業地帯は、徐々に「都心に近い生活の場」として再編されていった。
こうした歴史を振り返ると、中目黒は最初から「選ばれし者の街」だったわけではないことがわかる。むしろ、仕事と生活の場を必要とする人々を受け入れながら、用途や役割を変え、東京の拡張に組み込まれてきた街だった。
その現実と、現在語られる「おしゃれ」「芸能人」というイメージの間には、やはり大きなズレがある。続く後編記事では、そうした「おしゃれ」なイメージが形づくられてきた過程を追っていく。