「子どもとも14歳差、私とも14歳差」シングルマザーだったヤマザキマリが20歳のイタリア人大学生との結婚を決断できた理由
古代ローマ帝国の浴場設計士ルシウスが、現代日本の温泉にタイムスリップするコメディ漫画『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家・文筆家・画家のヤマザキマリさん。高校を中退してのイタリア留学、極貧、シングルマザー、そして挫折の日々を語ったNHK Eテレの番組は大きな反響を呼びました。今回、その内容を書籍化した『最後の講義 漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリ』より、一部を紹介します。(全3回の2回目)
フィレンツェで肖像画を専攻していたヤマザキさん。先行きが見えず、お金もない日々の中、“自称詩人”の恋人との間に子を授かります。そして出産の瞬間、子どもと生きていくために売れない肖像画から離れることと彼との別れを決意、周囲の勧めで漫画を描くことに。
完成した漫画が日本の漫画誌で努力賞を得、その賞金で帰国したら、日本はイタリア料理ブームの真っ最中でした。本場を知るヤマザキさんは、テレビ番組で手頃な材料でリアルなイタリア料理を作るコーナーをもつようになったものの……。

フィレンツェ留学中、17歳ごろのヤマザキマリさん。
料理を作る人から温泉リポーターに
「週末はイタリアン」のコーナーを持っていたテレビ局には、北海道中で名前が知られている、テレビで作った料理数がギネス1位になった料理研究家の女性がいまして、そのかたの意見だったのかわかりませんが、あるときを境目に私はテレビで料理ができなくなりました。突然プロデューサーに呼び出され、「ヤマザキさん、あなたは今まで料理を作る人だったけれど、今後は料理を食べたり、温泉に入ったりする人になりませんか?」と言われたんです。いきなり何で? と思ったら、「イタリア時代に浴槽のない家に住み続けて、お風呂に接触できなかった苦しみみたいなものをどこかで話していましたよね? だったら、これからは思う存分、温泉に入るのはいかがですか?」という提案理由でした。
私は別に料理にこだわりがあったわけではありませんし、作るよりも食べるほうがありがたいですし、しかも温泉にも入れるときたら絶対そっちのほうがいいわけです。快諾して、その後は温泉リポーターをすることになりました。
最近、私がテレビに出ていると「漫画が売れたから、テレビにどんどん出るようになった」などという言葉を目にすることがありますが、逆です。私はもともとテレビで働いていた人間であり、漫画が売れてテレビに出てみたら「この人、漫画家なのにずいぶんテレビ慣れしてるね、ああ、リポーターやってたんですか、どうりで!」という流れでテレビの仕事も増えていったということです。
14歳の欧州ひとり旅での出会いがまさか……
温泉リポーターをしながら札幌にある3つの大学でイタリア語を教え、時間があれば漫画を細々と描きつつ子育てをしているときに、私は結婚をしました。子どもはすでに6歳になっていました。相手は、私が14歳のときにヨーロッパ旅行で出会ったマルコじいさんのお孫さんです。
出会いはマルコじいさんが亡くなったあとです。母はマルコじいさんの娘家族とも仲良くしていて、イタリアの家に足しげく通っていました。日本に戻ってから数年後、久しぶりにイタリアへ行かないかと母に誘われ、子どもを連れてそのマルコじいさんの娘家族に会いに行くことになりました。私が34歳のときですね。マルコじいさんの孫は当時まだ20歳の大学生で、イギリスに留学中でしたが、ちょうどイタリアに帰国したタイミングでした。
彼は歴史を学んでいたのですが、特に古代ローマのフリークで、共和制から帝政の歴代の王や皇帝の名前を全部暗記していて、おまけにローマ教皇の名前もスラスラと出てくるほど。彼と話をしていると、体裁を気にせずローマに対するパッションというものを発揮することができるのですから、三日三晩、寝る間も惜しんで話し込みました。情熱の横溢(おういつ)を嫌がらない人と話し込めるのは楽しいものです。14歳年下の20歳の彼もよほど楽しかったらしく、私が日本に帰ったあと、寂しくて病気になり、入院してしまいました。

ヤマザキさんと息子のデルスさん。
ある日イタリアの病院の集中治療室から私の家に電話をしてきて、「どうやら僕はきみと結婚したほうがいいように思うんですが、どうでしょう」と提案をしてきたので、この人は結婚がどんなものかわかっていないのかなと思いつつ、でも知識と教養の触発は本当にありがたかったので、一緒に暮らしてもいいかなという気持ちになりました。私は経済的にはもう自立できていたし、経済面で補い合うための結婚ではないのだったら、こういうのでもいいかなと。それに子どもとも14歳差、私とも14歳差で、普通の家族というフォーマットではありえない集合体だけれど、共同体としてこういう家族単位もありだと感じて承諾しました。
前置きが長くなりましたが、この結婚がのちに『テルマエ・ロマエ』を生むきっかけになるのです。
お風呂に入れない欲求不満が限界点に
当時、彼はエジプトのカイロ大学(※1)に留学をしていたので、カイロのイタリア大使館で結婚式を挙げました。その後、中東のシリアに移動してそこでしばらく暮らし、その次はポルトガル、アメリカといった国々を転々としました。別に旅行が好きなわけではなく、彼が比較文学という、しょっちゅう場所を変えなければならない学術研究をしていたので、そうせざるをえなかったのです。
私たちは無意識のうちに、古代地中海文明が繁栄した地域をあちこち訪れるという顚末(てんまつ)になりました。東はそれこそユーフラテス川までが古代ローマのテリトリーになるわけですが、シリアやヨルダンのような砂漠化した土地を巡っていると、どこもかしこも遺跡にお風呂が残っていることに気がつきました。結婚を機に日本を去り、再び、浴槽のないお風呂の体積と接触できない生活が始まっていたので、改めてお風呂に入りたい、という思いがどんどん募っていました。なので、遺跡に使われていない浴場の跡があると、やり場のない悔しさが込み上げてきました。

ローマに残るカラカラ浴場。3世紀に造営されたローマ帝国の公衆浴場で、世界遺産に登録されている。🄫アフロ
なんとかがまんをしていたんですが、お風呂に入れない欲求不満はポルトガルに移り住んだときに臨界点に達しました。ポルトガルの家は築年数が100年、浴槽を置くと床が抜けるので、置かないでくださいと言われていてシャワーしかついていませんでした。仕方がないので、ベビーバスを買ってきてそこにお湯を入れて体育座りで腰までつかり、桶にためたお湯を体にかけるなりして、お湯に接触していました。かけ湯だとお湯との接触面積がシャワーよりは広くなるので、体の温まり方も違うということに気がつきました。
ポルトガルは、私がそれまで暮らしてきた国々の中でも特化して住みやすい場所でした。ちょっと古き良き昭和の時代に似ているというのでしょうか、古いものが人々にリスペクトされ、愛され続けているという空気が心地よかった。大航海時代(※2)の名残で、ブラジルやアフリカ、インドといった旧ポルトガル植民地出身の人々がたくさん住んでいて、私たちも特化した異邦人の扱いを受けているような気持ちになることはそれほどありませんでした。
人々も、家族が昔から懇意にしている八百屋さんを贔屓にするような傾向があり、そういうお店は質素で素朴だけどしっかり経営が続いている。そんな環境での暮らしの中で、私は祖父母と一緒に通っていた銭湯を思い出すようになっていました。それと、それまで見て回ってきた古代ローマ遺跡にあったお風呂の跡というものとどこかで合致したんでしょうね。
「昭和のお風呂にローマ人が飛び出してくる」アイデアの誕生
ある日、家でアイロンをかけていたら、急に昭和のお風呂にローマ人が飛び出してくるというイメージがひらめきました。それを絵に描いてみたら、非常にばかばかしい絵になって、アホらしくて、おかしくて一人で大笑いしたんです。日本の友人にファクスで送ったら、「マリ、アタマ大丈夫?」と言われたのですが、もしかしたらおもしろい漫画になるかもしれないとプロットとネームを一つ描いてみたんです。友人に見せたあと、大手出版社の青年誌編集者を紹介してもらい、持ち込みました。その人は「自分はおもしろいと思うけど、世間的にはどうかなあ、ちょっとニッチなテーマだからなあ、うーん」とうなっていました。

漫画家・文筆家・画家のヤマザキマリさん。Photo:ノザワヒロミチ
次に、それほど発行部数は多くないけれど、エキセントリックな力を持った作家が集まっている編集部に持ち込んだら、一発OK。「あなたのメンタリティちょっとおかしいですよ」などと言われたけれど、これはすぐに掲載しましょうという流れになったのです。
私は漫画で大成したいとか、有名になりたいとか、成功したいという思いは一つもありませんでした。油絵も断念しましたし、絵で結果を出したいという気持ちは皆無でした。だけど、せっかく留学までしたわけですし、どんな些細(ささい)なものでもいいから、絵を描くという仕事は何がしか続けていきたい、という願望はありました。なので、そこで掲載してくれると言われたときは、「やった! 万歳!」と思いましたね。
※1 カイロ大学 1908年に創設されたエジプトのギーザにある総合大学。古代エジプト研究の中心的存在で、考古学研究には世界中から留学生が集まる。
※2 大航海時代 15世紀から17世紀前半にかけて、ポルトガル、スペインを中心とするヨーロッ パ諸国が新航路を開拓し、アフリカ、アジア、アメリカ大陸へ進出。植民地を広げていった 時代。
ヤマザキマリ
漫画家・文筆家・画家。日本女子大学 国際文化学部国際文化学科 特別招聘教授、東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞2010受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受賞。2024年『プリニウス』(とり・みきと共著)で第28回手塚治虫文化賞のマンガ大賞受賞。著書に『ヴィオラ母さん』『ムスコ物語』『歩きながら考える』『扉の向う側』『貧乏ピッツァ』など。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中。

最後の講義 完全版 漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリ
定価 1,760円(税込)
主婦の友社