八百長疑惑もあるが…否定しようのない事実は一つ!K-1、RIZINも…沢村忠がいなければ「今日の格闘技は存在していなかった」

細田昌志

1971年生まれ。職を転々としたのち作家に。3作目のノンフィクション『沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)で第43回講談社 本田靖春ノンフィクション賞を受賞、近著『力道山未亡人』(小学館)で第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

前編記事『沢村忠に~ 特別付録 前編』より続く。

「ふたつのキック」が存在していた

沢村忠の訃報が伝えられてから、いくつかの追悼稿を目にした。

その多くが往年の人気から生じたエピソード、実直な人柄に関するもので、試合の情実に言及したものは、地方紙に載ったコラムの一文、《実際にはエキシビションマッチも多かったといわれている》(『熊本日日新聞夕刊』2021年4月15日付)を除いて見当たらなかった。追悼稿という性格上、不穏当と判断したのかもしれない。

しかし、現役時代から引退後にかけて、彼がこなした試合について論じられてきたのは、隠しようのない事実である。芥川賞作家にして政治家としても顕職を飾った石原慎太郎は《STというフェイクによって仕立てられた無敵(?)のチャンピオンがいて大層な人気だった》(『わが人生の時の人々』文春文庫)と容赦なく書いた。

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元テレビ東京専務取締役の白石剛達は「僕には片八百長だってわかっていた。当たっていなくても倒れるんだからね」(『ゴング格闘技』2010年12月号)と躊躇なく述べた。

前出のコラムを地方紙に寄稿したスポーツライターは、沢村忠と対戦経験のあるタイ人の自宅に招かれた折、そこで聞き知った真空飛び膝蹴りの内幕を仔細に書き留めている。そして、往年のキックボクシングを次のように結論付けた。

「ショーとしてのキックとスポーツとしてのキック。その頃世の中には「ふたつのキック」が存在していたと言っていい」

このように、数多の記述や証言を目にした以上、いくら追悼稿とはいえ、格闘技の専門媒体がそのことに触れないのは、はたして本当に正しいのかという逡巡はある。

また、そのことに触れないで、生前の彼の心情まで汲み取れるはずはないという訝しさもある。

「否定」か「美化」か

筆者自身バンコクまで飛んで、沢村忠と対戦した前出のポンサワン・ソー・サントーンに直接話を聞いている。そこで行われた試合がいかなるものだったか、噂や都市伝説の類ではないことを確信した。

とは言え、前出の主張に対しては、さしたる異論はなくとも些かの不満はある。「沢村忠こそ功労者」という視点に乏しいことだ。一方、無条件に褒めそやすことに対しても、筆者は埋めがたい懸隔を感じる。

二〇〇一年に刊行された『真空飛び膝蹴りの真実──「キックの鬼」沢村忠伝説』(加部究著/文春ネスコ)では、真剣勝負だった前提で物語を紡いでいる。本作が労作ではあるのは疑いようがないとしても、違和感は残った。

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筆者が拙著を上梓した際にも、熱狂的ファンと思しきアカウントから「許せない、すべて真剣勝負だ」といった意見が寄せられた。純粋な夢を壊したことに対して、著者として弁解の余地はない。

ともあれ、沢村忠を取り巻く言語環境は、「否定」か「美化」しかないのである。

筆者が拙著を上梓するにあたって、主人公、野口修と同様に、主要な登場人物である沢村忠の名誉を少しでも回復させたかったのは、通読された読者なら理解されるものと信ずる。

少年時代から抱き続けた俳優の夢を一度は叶えながら、スターの座には届かなかった彼が、キックボクシングという未開の世界の、前例のない表現者として捲土重来を期したことは、あくまでも想像の範疇ではあるが、理解出来なくもない。

そして、仕掛人たる野口修に対し「この人に付いて行くしかない」の意を強くしただろうことも、大いに納得がいくのである。

程なくして望外の大成功を収め、情況も刻々と変化するに至って、彼の心境に些かの迷いが生じただろうことは想像に難くない。

自身の存在が大きくなればなるほど、現実との乖離は実直な彼を悩ませ、影を落としたはずだ。心を痛めたかもしれない。そんな彼をどうして責められようか。

しかしである。その一事を全面的に肯定することは出来ずとも、日本の格闘技界に希望の陽光を照らしたのは、まごうことなき事実だった。

沢村忠が作った日本の格闘技

「沢村さんに憧れてキックボクシングを始めた」と語った藤原敏男は、外国人で初めてタイ式ボクシングの王者に輝くという揺るぎない偉業を成し遂げた。それもこれも、沢村忠があの活躍を見せていなければ、実現しなかったことになる。

また、沢村忠がいなければ、キックボクシングはおろか、「K‐1」をはじめとする、すべての立技格闘技は隆盛を迎えていないはずだ。それどころか「RIZIN」に代表される総合格闘技のビッグイベントも行われなかっただろう。これらのことを我々は見落としていないか。

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併せて筆者は、前述の「ふたつのキック」には賛同しかねる。野口プロモーションの成功が誘い水となって萌芽した後発の競合団体も「沢村的世界観」の延長線上に立脚していたのは、拙著でも詳述したように、隠しようのない事実だからだ。

キックボクシングに二つも三つもない。あるのは「その始まりにおいて、沢村忠がいた。だからこそ定着し、今も続いている」という一つの事実のみではないか。