「不殺生」の戒律で機械化された乗り物に乗れず、海を渡れない…出家者が不在だった制約下で、北米のジャイナ教が遂げた「独自の発展」

不殺生の戒律を厳密に守り、原理的には微生物でさえ殺してはならない「世界一ハードな宗教」ジャイナ教。意外なことに近代以降、発祥の地インドを出て、世界各地にそのネットワークを拡げている。

今年出版予定の講談社現代新書『ジャイナ教』の著者による、「世界のジャイナ教」レポート第二弾。

北米のジャイナ教徒

1893年、ラーマクリシュナの弟子ヴィヴェーカーナンダを一躍世界的に有名にした世界宗教会議がシカゴで開催された。この会議には、ジャイナ教の出家者であるアーチャーリヤ・シュリー・ヴィジャイ・アーナンドスーリ(通称ムニ・シュリー・アートマーラーム・ジー)も招待されていた。しかし、ジャイナ教の出家者には海を越えて移動することが禁じられており、本人が渡米することはできなかった。そこで代理として選ばれたのが、グジャラート生まれの法律家で、インドのジャイナ教協会の書記を務めていたV・R・ガーンディーである。こうして彼は、ジャイナ教徒として初めてアメリカの地を踏んだ人物となった。

もっとも、アメリカにおいてジャイナ教の共同体が本格的に形成されるのは、その後さらに半世紀以上を経てからである。1966年、ニューヨーク市で20家族によって、アメリカ最初のジャイナ教のセンターが設立された。その背景には、1965年移民法の施行によって、アジアからの移民が広く認められるようになったことがある。1970年代にはシカゴやクリーブランドをはじめとする各都市に、1980年代にはワシントンD.C.をはじめとする多くの都市に、ジャイナ教のセンターや寺院、協会が次々と発足した。

このような流れのなかで、最も重要な出来事として挙げられるのが、1980年代初頭の「北米ジャイナ教協会連盟(JAINA: the Federation of Jain Associations in North America)」の発足である。これはアメリカ全土のジャイナ教のセンターをまとめ、指導的役割を担う統括組織であり、地域的慣習・言語・宗派的信念の枠を超える性格を持っていた。その目的は、北米生まれのジャイナ教徒の子どもたちに伝統を継承するための働きかけにあった。共同体間の交流を活発化させる一方、祭礼などを重視する共同体もあれば、教育プログラムに力を入れる共同体もあるなど、各グループは独自の性格と歴史を持っている。

北米ジャイナ教協会連盟のホームページ(httpswww.jaina.orgより)

北米におけるジャイナ教徒の分布を見ると、その80%はアメリカの10州およびカナダの1州に集中しており、最も人口が多いのはニュージャージー州である。また、ジャイナ教関係の活動に積極的に参加している人の約70%がグジャラート人であり、インド西部のグジャラート州、またはボンベイのグジャラート系共同体の出身であると推定されている。

職業面では、ジャイナ教徒は農業への従事を禁止されているため、伝統的に商業や専門職に従事してきたが、この点は北米でも同様である。32.1%が技術者、14.4%が医療関係者であり、その他に、不動産投資、銀行業、旅行業、ダイヤモンド等の取り引き、コンピュータ販売などに携わる者がいる。多くの者が経済的に安定していると答えており、このことも北米の組織の活発な活動を支える力になっている。

出家者不在の共同体

しかし、北米の共同体には、根本的な制約も存在する。ジャイナ教の出家者は、不殺生を厳格に守るため、機械化された乗り物に乗ることができず、前述のように、海外へ行くことができない。そのため、海外在住のジャイナ教徒の共同体は出家者不在のものとならざるを得ない。そのような断絶を埋めるため、インドからの訪問講師を呼ぶなどの試みもあるが、彼らの世界観や教えはあまりにインド的で、移民の第二世代の若者たちには響かないことも多い。しかし、北米の場合には、ムニ・チトラバーヌ、アーチャーリヤ・スシール・クマールという2人の人物が渡米したことにより、大きく状況が変わった。

ムニ・チトラバーヌは、31年間にわたる出家生活の後、1971年に渡米すると、出家生活を終えて結婚し、教師となった。彼の渡米は『ニューヨーク・タイムズ』の記事にもなり、その革新的な姿勢は教皇ヨハネ23世にも喩えられた。渡米後は、ニューヨークに「ジャイナ教瞑想国際センター(Jain Meditation International Center)」を設立して積極的な活動を展開した。

一方、アーチャーリヤ・スシール・クマールは、33年間にわたる出家生活を送った後、出家者のまま戒律を破って渡米した。そして各地で講演し、宗教間対話の会議にも参加しつつ、オハイオ州に「国際マハーヴィーラ・ジャイン・ミッション(International Mahavira Jain Mission)」(後にニュージャージー州に移り「シッダーチャラム・アーシュラム(Siddhachalam Ashram)」となる)を設立し、1994年に亡くなるまで指導者として活動した。

インドで発行されたアーチャーリヤ・スシール・クマールの切手

彼らが説いた教えは、開放的で実践的な改革的態度でありながら、ジャイナ教の深遠な精神を保持するもので、「新正統主義(neo-orthodox)」と評されている。宗派間の相違やカーストなどは重視されず、出家者の存在や複雑な儀礼の実施は抑えられ、「科学的」「合理的」アプローチが重視される。一方、白衣派の枝派であるテーラーパンタ派のように、出家者に準ずる身分の者を海外に派遣する宗派もある。テーラーパンタ派では、海外での活動が可能なサマン(男性)・サマニー(女性)という出家者と在家者の中間的な階位を設けて、海外での積極的な活動を行っており、大きな成果をあげている。

しかしながら、インド本国に比べて、移民社会における出家者との交流が非常に少ない点に変わりはない。そのような環境の中で伝統を維持するために新たに発達したのが、成人したジャイナ教徒による「スヴァーディヤーヤ」と呼ばれる自主勉強会である。この勉強会は、都市の家庭やジャイナ教のセンターで行われ、聖典の注釈書を読んで討論したり、インドから講師を招いて講演会を開催したりしている。

北米のジャイナ教の特徴

さらに、北米のジャイナ教共同体においても、次世代に対する宗教教育は重要な課題である。そこで、北米では、インドにおいて地域の師によって運営される「パートゥ・シャーラー」という宗教教育の場(寺子屋のようなもの)を再生させた。各パートゥ・シャーラーの教育には、地域のボランティアへの参加、劇の上演、母語の学習等々、それぞれの特色があるが、ジャイナ教の基本的な原理とプラークリット語の基本的な祈りを教える点は共通している。こういった教育の甲斐もあってか、1992年に発足したJAINAの傘下組織「アメリカジャイナ教青年会(Young Jains of America, YJA)」のように、若いジャイナ教徒たち自身の手で立ち上げられた組織もある。

また、新しい移民の共同体にとって結婚相手の選定も重要な問題である。JAINAが発行する機関誌『ジャイン・ダイジェスト(Jain Digest)』を通じて運営される「結婚情報サーヴィス」のほか、Jeevansathi.comやJain4Jain.comといったウェブサイトも存在し、オンライン婚活も広がりつつあるようだ。

ジャイナ教の婚活サイトのホームページ(httpswww.jain4jain.comより)

以上のことを踏まえると、北米のジャイナ教の特徴として際立っているのは、インドのジャイナ教に見られる宗派意識が薄れ、全体での一体感、連帯意識が前面に出ている点である。例えば、シカゴのジャイナ教寺院には、ひとつの聖域に、白衣派式の尊像と空衣派式の尊像が共存している。こうした傾向の背景には、出家者がいないという点に加え、異文化圏における少数派として新たに生まれた連帯感、次世代への伝統の継承という共通の目的が大きく影響しているものと考えられる。

【参考文献】

Jainism in America: The Pluralism Project. Harvard University (https://pluralism.org/jainism-in-america), Issues for Jains in America: : The Pluralism Project. Harvard University (https://pluralism.org/issues-for-jains-in-america) ※いずれも最終閲覧日は2026年1月20日.