「消えるドアハンドル」は進化か、退化か?――15人の犠牲者が問い直す安全の定義とは
次世代ドアハンドルの格納化
かつて国産車のドアハンドルといえば、薄い板状の取手を指先で持ち上げるフラップ型が当たり前だった。取手の下に手を差し込み、てこの要領で引き上げる。構造は簡素で、部品点数も少ない。量産しやすく、費用も抑えられる。出っ張りが小さいため、外観の邪魔をしないという利点もあり、長く標準の形として使われてきた。
【画像】「えぇぇぇ!」 これが日産自動車の「平均年収」です!(7枚)
やがて主流はグリップ型へ移っていく。取手を握り込んで開ける、いまでは見慣れた形だ。上下どちらからでも手をかけられ、力を入れやすい。体格や年齢に左右されにくく、扱いやすさの面で分があった。事故時にはロープやフックを引っかけて外から引き開けることもできる。救助のしやすさまで含めて考えると、実用面での安心感がある。海外メーカーがこの形式を長く採用してきたのも、そうした現実的な理由によるものだろう。
ここ数年、そこに別の流れが加わった。いわゆるフラッシュドアハンドル、格納式と呼ばれるタイプである。テスラやメルセデス・ベンツのSクラスが先行し、国内でも新型リーフが前席ドアに取り入れた。外から見ると取手は見当たらない。電子キーを持って近づくと、扉の面からすっとせり出してくる。走行中や駐車中は引っ込んだままで、表面は平らなままだ。
見た目の変化は小さいが、部品の中身は大きく変わっている。従来は金属や樹脂の単純な機構だったものが、センサーやモーターを内蔵した電動式に置き換わった。量産部品のひとつにすぎなかった取手が、電子制御をともなう高付加価値のモジュールへと姿を変えた格好だ。価格も上がるが、その分、差別化の余地が生まれ、利益率も取りやすい。ドアハンドルという小さな部位が、メーカーにとっては商品力を語る材料になりつつある。
なぜここまで手間をかけるのか――。背景には、外観の一体感を求める潮流と、空気抵抗を少しでも減らしたいという事情がある。電動化が進み、燃費や電費への目線が厳しくなるなか、わずかな凹凸も無視できなくなってきた。目立たない部品であっても、積み重なれば走行効率に影響する。取手の扱いも、その延長線上にある。
こうして見ると、ドアハンドルは形を変えながら、時代ごとの優先順位を映してきたことがわかる。使いやすさを重んじた時期があり、安全を意識した時期があり、いまは効率や商品性が前に出ている。格納式が選ばれ始めた理由も、その流れのなかにある。目立たない部品の変化だが、車づくりの考え方がにじむ部分でもある。
ドアハンドル平面化の背景

ユーシンが出品したフラッシュドアハンドル(画像:ミネベアミツミ)
フラッシュドアハンドルが広がり始めた背景には、車体表面の凹凸を極力なくそうとする
「フラッシュサーフェイス」
志向の強まりがある。ドアハンドルはひとつひとつ見れば小さな部品にすぎないが、外から車を眺めたときの印象を左右する存在でもある。取手が引っ込み、扉の面が途切れなくつながれば、全体の造形が崩れにくい。結果として、上質さを演出しやすくなり、車種ごとの違いを際立たせる材料にもなってきた。
表面が平らになることは、見た目だけの話ではない。走行中に受ける空気の流れが整い、抵抗が減る。エネルギー消費を抑えられれば、燃費や電費の改善につながる。とりわけ航続距離が評価軸となる電気自動車では、この差は無視しにくい。わずかな改善の積み重ねによって、電池を大きくせずに距離を伸ばせるのであれば、車両全体の原価を抑えるうえでも意味がある。高速走行時の風切音が減り、車内の快適さが保たれる点も見逃せない。
電動化が進み、エンジン音が消えたことで、車内の騒音に対する目線は一段と厳しくなった。こうした流れのなかで、格納式ドアハンドルを扱うユーシンは、この分野を付加価値の高い主力と位置づけている。
日産自動車も、電動で動くアウトサイドドアハンドルについて、外観の一体感を高めるだけでなく、空気の流れを整える役割を担うものだと説明している。燃費基準への対応と商品力の底上げを同時に進める手段として、格納式が選ばれている事情がうかがえる。
フラッシュドアハンドルが抱える課題

テスラ モデルY(画像:テスラ)
外観をすっきり見せ、空気の流れも整えられる。フラッシュドアハンドルは、ここ数年で電気自動車(EV)を中心に一気に広がった。車体の面が途切れずにつながるため、先進的な印象が出る。メーカーにとっては、燃費や電費の改善にも効く部位であり、商品力を語るうえで都合のいい存在でもあった。
ただ、その評価に水を差す出来事が続いている。
中国では2024年4月、AITO M7が衝突後に炎上し、格納式のドアハンドルが動かず、乗員3人が車外に出られないまま死亡した。翌2025年10月には、シャオミSU7とみられる車両が同様に衝突後に火災を起こし、通行人が外から扉を開けようとしても開かなかったという。救助の手が届く距離にありながら、扉が壁のように立ちはだかった格好だ。
多くの車種では、取手が電子的な施錠の仕組みと一体になっている。衝撃で電源が落ちれば、外側から操作する手段が失われかねない。普段は便利でも、事故時にはそれが裏目に出る。そうした懸念を中国当局も放置できなかった。2026年2月3日、新たな強制国家基準を公布し、救助者が物理的に取手をつかめる構造を求めるなど、技術面の条件を引き上げた。従来の造りを前提にしてきたメーカーにとっては、小さくない方向転換になる。対応が遅れれば、世界最大級の市場で販売の機会を失う可能性も現実味を帯びる。
似た議論は米国でも続く。テスラ車の扉が緊急時に開かない問題は数年前から指摘され、米運輸省道路交通安全局がモデルYについて欠陥の可能性を視野に予備調査を進めてきた。ブルームバーグも電子制御式ハンドルの危うさを追い、扉の不具合が関わった死亡事故を2025年に集計している。過去10年に起きた十数件の事故のうち、少なくとも15人が、扉が開かない状態のまま命を落としていたという数字が残った。
見た目の新しさや使い勝手を優先してきた結果、いざというときの脱出が確実かどうかという基本的な点が、あらためて問われている。これは品質の話にとどまらない。事故が重なれば法的な賠償や評判の低下に直結し、収益にも跳ね返る。安全性への不信は、企業にとって市場そのものを揺さぶる現実的なリスクとして、すでに表面化している。
安全・機能両立フラッシュドアハンドル成長期待

新型リーフのフラッシュドアハンドル(画像:日産自動車)
まだ論点が解消されたわけではないが、外見の美しさや空気の流れを優先するあまり、安全が後回しにされているわけでもない。ユーシンは、衝突時の衝撃で扉が不用意に開くのを防ぐ仕組みを備えつつ、取手を自動と手動の両方でせり出せるようにしてきた。
日産自動車も、通電しない場面を想定し、取手を指で押し込んで引き出すことで開閉できる構造を用意している。電子制御が高度化するほど、こうした物理的な逃げ道を残す姿勢が重要になる。
ビジネス・リサーチ・インサイツの報告書では、この部品の市場規模を2026年時点で24億7000万ドルと見積もっている。2026年から2035年にかけた年平均成長率は47.03%に達し、2035年には793億1000万ドル(約12兆4400億円)まで広がる見通しだ。
一方で、高い技術力と精密な製造工程が求められるため、コストの高さが普及の足かせになっている現実もある。今後は、厳格化する規制に対応しながら、量産による価格低下を実現できる供給元だけが、市場拡大の恩恵を受ける構図になりそうだ。
燃費向上と電動化の流れは、エネルギーの使い方を見直す動きを加速させてきた。その結果、空気抵抗を減らす工夫はこれまで以上に重みを増し、外装の細かな部位にも改善が求められている。こうした事情を踏まえれば、この方式が今後も採用の幅を広げる可能性は小さくない。近未来的な見た目や洗練された使い勝手は確かに魅力だが、それが広く受け入れられるかどうかは、安全という条件を確実に満たせるかにかかっている。
「開くクルマ」への転換

進化するドアハンドルの課題。
車の扉から取手が姿を消していく流れは、すでに珍しいものではなくなった。外板と一体化した形状が当たり前になりつつあり、流れは簡単には戻らないだろう。空気抵抗を少しでも減らし、高価な電池の力を無駄なく使う。そうした判断は、競争が激しい電動車の世界ではきわめて現実的だ。企業の立場に立てば、理屈は通っている。
ただ、効率や見た目の整い方に目が向くあまり、非常時に人が外へ出られるかどうかという基本が揺らぐなら話は変わる。事故の現場で扉が開かず、取手に手が届かない。そうした事態が起きれば、そこにあるのは便利さではなく、文字通りの壁だ。技術の進歩と呼ぶには、どうしても違和感が残る。
2026年2月、中国が打ち出した規制強化は、その現実を突きつけた。救助する側が物理的に取手をつかめる構造を求めるなど、条件は明確で、各社に猶予はない。世界最大級の市場で事業を続ける以上、応じるしかないというのが本音だろう。見た目の美しさを競う段階から、機械的な仕組みと電子制御をどう両立させるかという、より地に足の着いた信頼性の勝負へと軸足が移りつつある。
消費者が本当に求めているのも、その点に尽きるはずだ。未来的な外観は魅力だが、それだけで車を選ぶ人は多くない。最悪の場面でも扉が開き、外に出られるという確信があってこそ、はじめて安心して乗れる。各社には、この重い責任を引き受けたうえで、技術を磨き続ける姿勢が問われている。