学校の合理的配慮「正しいけどモヤモヤ」する理由

誰もが過ごしやすく教室づくりをするため、新年度に向けて学校の「ふつう」を問い直してみましょう(画像:Ushico / PIXTA)
新年度を前に、「今年こそは、もう少し子どもが過ごしやすい教室にしたい」と感じている先生も多いのではないでしょうか。一方で、多様性に応えることが大切だとわかっていても、実際の学級経営を考えると、簡単には割り切れない――。「合理的配慮」という言葉に、どこか引っかかる感覚を抱えている方も少なくないかもしれません。
【画像】「みんなと同じ」が難しければサポートが必要。そうわかっていてもモヤモヤするのはなぜ?
ここでは、合理的配慮をめぐって現場に生まれやすい「3つのモヤモヤ」を整理したうえで、もう1つの重要な考え方である「基礎的環境整備(事前的改善措置)」に焦点を当てます。新年度に向けて、学校の「今のふつう」を問い直してみましょう。
合理的配慮や多様性対応をめぐる3大モヤモヤ
この図を見たことはありませんか。一人ひとり違うのに、「みんなに同じ対応」をしていては権利が保障されない。だから、必要な人に必要なだけ箱を用意し、野球の試合を見られるよう、つまり参加やアクセスが保障できるようにしよう、という図です。

(出所)Interaction Institute for Social Change
何らかの事情や背景があって、みんなと同じ方法では参加・機会へのアクセスが難しい人に対して「必要なサポートを行うべき」という点は、納得する人が多いのではないでしょうか。
合理的配慮はとても重要なものです。ただ学校現場では、「特別に許す」「あの子には事情があるから例外にする」といった“例外的な個別対応”や“特別扱い”として理解されやすい。その結果、先生の中にも、教室の中にも、モヤモヤが生まれやすくなっているように思います。
合理的配慮をめぐる違和感は、だいたい次の3つに集約できると思います。
1.「本当に無理なのか」問題
板書が間に合わない、じっと座れない、音がつらい……。困っている様子は見えるけれど、「もう少し頑張ればできるのでは」「甘えなのでは」と疑念が生まれる。一方で、本人は「できない」経験を積み重ね、自己否定を深めていく。
2.「ずるい」問題
特定の子だけ違う対応をしていると、「なんであの子だけ?」という声が出る。その不満に丁寧に答えようとすると、本人の事情を説明せざるをえなくなり、アウティングやラベリングのリスクも生まれる。
3.「全部やったら現場がもたない」問題
ただでさえゆとりのない学校現場で、35人・40人学級一人ひとりに個別対応するのは現実的に不可能に感じる。結果として「空気を読んで合わせてほしい」という気持ちになってしまう……。
この3つは、別々の問題のように見えて、実は同じ構造から生まれています。それは、困りごとが起きてから、その子にだけ対応するという設計です。
「多様な人がいる前提」でみんなが困りにくい環境に
合理的配慮は、「その人のふつう」と「その場のふつう」が合わないことによって生じる社会的障壁(バリア)をなくし、平等な参加やアクセス・権利を保障するためのものですが、【事後的・個別的】に行うことを前提にしています。
つまり、「誰かが困っていることが明らかになってから」「その子に対してのみ」行われる調整を指しています。
例えば「ADHD診断のあるAさんだけ授業中の立ち歩きを認める」「トランスジェンダーのBさんにのみ個室の着替えスペースを用意する」といったイメージです。
3つのモヤモヤは、この合理的配慮のみによって、すべての困りごとに対応しようとしたときに生じやすいものだと言えるでしょう。ですが、バリアをなくす方法はもう1つあります。それが、合理的配慮と対になる考え方の「基礎的環境整備(事前的改善措置)」です。
合理的配慮が【事後的・個別的】なものであるのに対して、基礎的環境整備は【事前的・集団的】な取り組みです。これは「最初から多様な人がいる前提」で、「最初からできる限り、どんな人も困りにくい仕組みやルール・環境をデザインしておく」こと。
言い換えれば、あらかじめバリアフリーにしておくことを指しています。先ほどの例で言うと「全員が学ぶ姿勢や内容を選べる授業設計にしておく」「誰でも使える個室着替えスペースを複数用意しておく」といったイメージです。
「安心安全な教室にしたい」先生のメッセージも重要
担任の先生が、ご自身の裁量で始めやすいものだと以下の例が挙げられます。
・イヤーマフやバランスチェアなどの支援グッズを、誰でも使える選択肢として準備しておく。
・忘れものをした場合のための文具や教科書等をあらかじめ用意し、それを使えることを明示しておく。
・チョーク&トーク以外の授業スタイルのバリエーションを増やす(自由進度、演劇的手法、作業活動中心の授業等)。
・教室や廊下にカームダウンスペースをつくっておき、気持ちが落ちつかないときや座っていられないときに使えるようにしておく。
自由な選択肢を増やすと「子どもたちが好き勝手振る舞ってしまうのでは」と思うかもしれません。
ですが、あらかじめ「誰かを意図的に傷つける行為や言動には、先生は本気で怒るからね」「カームダウンスペースは遊び場ではなく、つらさを軽減したり、落ち着いたりするための場所だよ」などと示しておくことで、そういった懸念は解消されうると考えます。
「なんでもあり」と誤解させず、人権ベースの秩序をキープするような「枠」をクリアに提示することが新年度には重要です。また、先生のビジョンやメッセージを伝えるのも、ある意味では基礎的環境整備です。例えば、「みんながつらくない、安心安全な教室にしたい。先生も想像力を持ってルールややり方を考えようとしてるけど、気づけないこともあるから、困ったことは言ってほしいと思ってるよ」といった考えを伝えておきます。
基礎的環境整備は、冒頭で示した野球観戦のイラストで言えば、「箱を配るべきか否か」や「どうやって配るか」を考える以前に、「そもそもこの壁は本当に必要なのか」「壁の高さや形は、このままでいいのか」と問い直すことに当たります。

(出所)Interaction Institute for Social Changeの画像に筆者が加工
子どもも大人もラクになる!基礎的環境整備の3つの利点
では、基礎的環境整備・事前的改善措置に取り組むことで、何が変わるのでしょうか。ここでは、その大きな利点を3つに整理してみたいと思います。
1. 線引きやラベリングをせずに済む――子どもが傷つかなくて済む
まず何より大きいのは、子どもを「分ける」必要がなくなる、ということです。合理的配慮だけに頼る場合、「本当に無理なのか」「特別な事情があるのか」という線引きがどうしても発生しがちです。
その過程で、診断や証明が求められたり、「甘えているだけでは?」という疑念が向けられたりすることも起こります。
一旦「ふつうに合わせる」ことを強く求められた後で、「特別な事情があるみたいだから、考慮します」と言われても、疎外感や劣等感は、簡単には消えません。
基礎的環境整備を進めることは「ふつう」自体をゆるめ、「みんなそれぞれ、いろいろ事情があるよね」を文化にすることでもあります。だから、基礎的環境整備を十分にやっていけば、実は合理的配慮はより自然に受け入れられるようになっていきます。
2. 合理的配慮が必要な場面が減る――教職員にとっての持続可能性が高まる
2つ目は、そもそも合理的配慮が必要になる場面そのものが減るという点です。
基礎的環境整備が進んでいけば、「これはみんなにとって使える選択肢」「困っている人は誰でも使っていい」という状態が、最初から用意されます。結果として、合理的配慮は“特別な対応”ではなく、必要なときに補助的に行う調整という位置づけになります。
これまで「35人学級で合理的配慮の必要な子が15人いて困っている」といった相談をたびたび受けてきました。切実な困りごとだというのは本当によくわかります。ただ、これは逆に言えば今の基礎的環境がまだ画一的であるというサインだと見ることもできます。
15人分の個別対応をするのではなく、授業のあり方や学級経営の「今のふつう(基礎的環境)」を見直すことで、15人中10人がカバーできるようになるとしたら? 教職員の働き方や学校の組織運営の持続可能性という観点から見ても、意味が大きいのではないでしょうか。
3. ほかの子の「私もしんどい」が軽くなる――みんなにとって選択肢が増え、ウェルビーイングが高まる
「ずるい」という訴えの背景にあるのは「私もしんどいのに・我慢してるのに」という思いです。学校生活に適応できているように見える子どもたちも、決して余裕のある状態で学校生活を送っているとは限りません。
ただ、それを言語化したり、訴えたりするきっかけがないだけ、ということも多々あるのではないでしょうか。
「必要に応じて個別調整しましょう」という合理的配慮を、ほかの子が納得するには、前提として「自分はこの基礎環境で困っていないし苦しくない」という状況が必要であると感じます。
基礎的環境整備は、特定の子だけではなく、教室や学校にいる全員を対象にした取り組みなので、全員が恩恵を受けます。
ラベルを貼って分けなくても「あらかじめ多様な方法が認められている」「困ったときは誰でも異なる選択ができる」というのが基礎環境になれば、全員にとって可能性が広がり、苦しさが減ることになります。
その結果、クラス全体のウェルビーイングが底上げされ、合理的配慮をめぐる対立や不信も起きにくくなっていきます。
学校の「ふつう」をアップデートしよう
基礎的環境整備とは、言い換えれば、「学校の今のふつう」や、これまで当たり前だとされてきた前提を、あらためて問い直し、変更したり調整したり、時には手放したりしていくことです。
だからこそ、そこには違和感や抵抗も生まれますし、進める過程では葛藤や対立が起きることもあります。
自然にさらりとできてしまう人もいるのは事実ですが、多くの教職員と学校にとっては、決して簡単な取り組みではありません。それはよくわかります。
それでもなお、基礎的環境整備に取り組むことには、大きな価値と意義があると思います。「子どもたちの権利保障や安心のために大切なことだから」というのはもちろんですが、それだけはありません。先生たちや学校の持続可能性のために、絶対に必要なことだと考えるからです。
教室を飛び出した子を追いかけ、探し出して教室になんとか連れ戻しても、その子にとっての「バリア」(苦しい状況)が改善されていなければ、その子はまた飛び出します。その繰り返しの中で学校現場がどんどん疲弊していく。そういうことが今、日本中の学校で起こっています。
これをずっと続けていく大変さより、今のふつうを見直す視点を取り入れ、最初から「困りにくい設計」を考えるほうが、長い目で見れば、ずっと現実的かつ未来に開かれた選択ではないかと思うのです。
基礎的環境整備とは、きれいごととしての理想論ではありません。合理的配慮を無理なく、納得感をもって機能させるための土台であり、学校という場を持続可能にするための設計の話です。
新年度は、教室のルールや学び方、「ふつう」が更新されやすいタイミングです。まずは1つ、学校の「今のふつう」をアップデートするところから。
基礎的環境整備という視点をぜひ、多様性に応える教室づくりを持続可能なものにしていくための手がかりにしていただければうれしいです。