バンキシャ「誘導構成」謝罪は何がマズかったか

自民党の選挙戦を取り上げた日本テレビの報道番組へのバッシングが高まっている(写真:takataka/PIXTA)
日本テレビの報道番組に対し、自民党の広報本部長が“公開質問”を行った。SNS上では、「報道の中立性」の観点から、日テレをバッシングする声が少なくない。
【画像】現役議員がブチギレ…問題視されたバンキシャの放送と、その後の謝罪の様子
このところテレビ報道をめぐって、「偏向報道ではないか」との指摘が相次いでいる。一方で、その背景には、公職選挙法をはじめとする選挙や政治のルールが、あいまいかつ、わかりにくい側面もあると考えられる。
「真相報道バンキシャ!」炎上の経緯
問題視されているのは2026年2月15日放送の「真相報道バンキシャ!」(日本テレビ系)だ。
この日の放送では、自民党の選挙戦を取り上げていたが、その際に比例単独で出馬した新人候補者(当選)について「本来なら名前を売りたいであろうに、名前入りのタスキを掛けていません」とのナレーションで紹介した。
これに即座に反応したのが、自民党広報本部長の鈴木貴子衆院議員だ。放送終了の30分後にXで、「新人議員のインタビューであたかも“当選する意志がなかった”かのように誘導するような構成に違和感を感じました」などと指摘した。

(画像:衆議院議員 鈴木貴子氏の X投稿 より)
衆院選の比例代表が、個人名ではなく政党名で投票することから、個人名入りのタスキを着用しないことは「制度に沿った当然の対応」だとし、バンキシャ公式Xへの引用リプライとして、番組側の見解を問うた。
すると、その1時間半後、番組公式は画像で謝罪文を投稿。「名前の入ったタスキはしないのが通常の運用でした」と訂正し、番組側の認識不足により、候補者について「『当選する可能性は低いと思っていたから名前の入っているタスキをしていなかった』との印象を与えるような紹介」をしてしまったと謝罪した。

「おわびして訂正」と謝罪。かなり迅速な対応だった(画像:真相報道バンキシャ!の X投稿 より)
テレビ番組炎上の原因となる「3つの問題点」
テレビ番組の公式謝罪としては、かなりスピード感ある対応であったが、自民支持者などを中心に、日テレへのバッシングは強まっている。鈴木氏に対して「報道への政治介入だ」とする声も見られるが、“バンキシャたたき”の方が多い印象を覚える。
最近よく、こうした「テレビ番組が『偏向報道だ』と批判を受ける」ケースを見かける。衆院選公示前の1月22日には、MBS(毎日放送)テレビの番組で、自民党や日本維新の会、参政党のスタンスが「強くてこわい日本」と紹介された。
この表現は、ジャーナリストへの取材を基に、番組側がまとめたものだったが、翌日になって「強くて手ごわい日本」という意図だったと釈明し、謝罪している。番組は関西ローカルだったが、スクリーンショットがSNSで拡散し、全国からバッシングが殺到した。
一連の謝罪によって、視聴者からは番組制作側の「質の低下」が指摘されている。しかし、それだけで解決する問題なのだろうか。そこには入り組んだ構造があり、要因としては「質の低下」「監視意識の強化」「『絶対的存在』への厚い信頼」の3点が考えられる。
1つ目の要因は、まさに「質の低下」だ。ただ、一言で“質”と言っても、その基準をどこに置くかによって判断は異なる。バンキシャの場合は「取材力」であり、MBSは「想像力」において、放送に足りうる質に達していなかった。
どちらも解決策は異なり、ひとまとめに評価するのは難しい。また、制作側の力不足のみならず、視聴者からの抗議や、政治権力の介入を恐れて、あえて力を抑制せざるを得ないという「外圧による質の低下」も否定できない。
視聴者の「監視意識の強化」
抗議が増えた背景として、2点目の「監視意識の強化」がある。ここ数年の“オールドメディア”批判から、「テレビは偏向報道している」という前提のもと、粗を探すような視聴態度になっている人は少なくない。
見つかった粗は、SNSで批判的な文脈で投稿される。そして、同じように「テレビは真実を伝えない」と考える人々により、瞬時に拡散されて燃え上がる。その発火スピードは、日に日に速まっている。
そうした状況に拍車をかけるのが、3つ目の要因である「絶対的存在」への厚い信頼だ。最近のSNSを眺めていると、高市早苗首相という“新しい日本のリーダー”を、少しでもイジることは許されないという支持者感情が、リベラル嫌悪とひも付いた結果、攻撃的な方向へ発展しているように見受けられる。
TBSテレビの開票特番における、「爆笑問題」太田光さんへのバッシングも、その流れにあるだろう。太田さんは生中継で、公約が実現しなかった場合の責任の所在について問うたところ、高市首相は「なんかイジワルやなぁ」と返答した。これに対して、「太田は無礼だ」といった声が、SNS上で多く上がったのだ。
このように、近ごろでは高市首相や自民党について、少しでも懐疑的な発言をすると、処罰意識を帯びた拡散力が生まれがちだ。おそらく、このコラムに対しても、「これだからマスゴミは」「テレビ局からいくらもらってるんだ」といったバッシングが付くだろう。
これら3つの要因が複合的に絡み合っていると考えると、テレビ局だけの責任には思えない。そこに加わる論点として、「そもそも公職選挙法が難しい」ことを挙げたい。タスキの件では、一般的に「選挙区でも比例でも、候補者は候補者だ」と、ひとくくりに認識されていることが、誤解の遠因にあると考えられる。
公選法以外にも「選挙による特例」はある。例えば、候補者や運動員は、選挙運動をするために自動車を運転する際、シートベルトの着用義務がない(道路交通法施行令第26条の3の2)のであるが、意外と知られていない。
もちろん報道関係者が、これらの知識を持っていない、もしくは調べが足りないとなれば、プロとしての資質を問われて当然だ。とはいえ、それだけ「政治社会の“常識”は、一般社会の“非常識”」と言える状況がある。
選挙制度のみならず、「政治とカネの問題」も、結局は政治家と有権者の間にある、価値観のギャップから生じている。そして、そうした土壌を作っているのが、あいまいな法整備ではないかと、筆者は考えている。
制度上のわかりにくさをどのように改善するか
公選法は条文のみではわかりづらく、明文化されていない慣習で運用されている部分が多い。本来であれば、「これはOK」「これはNG」としっかり明記すべきだが、“現行ルールで当選した利害関係者”である国会議員がルール作りをしていることから、抜本的な改正にはハードルが高い。
また国民感情と条文のズレも少なくない。バンキシャのケースを見ると、候補者が掲示できる文書図画に関しては、第143条で規定されており、衆院選の比例代表候補については「たすき、腕章及び腕章の類」を掲示できないこととなっている。
あくまで制度上の立て付けはそうであるが、有権者の心情としては「永田町に送り込むのは“政党”ではなく“政治家”なのだから、党名での投票であっても、当選する可能性がある候補者はしっかり見定めたい」と感じて当然だろう。
また、同じ比例代表制でも、参院選では党名と候補者名のどちらを書いてもOKだが、衆院選では党名でなければ無効票になる。そうした制度上のわかりにくさを、どのように改善するかも、政治家には求められているはずだ。
「私にとっての偏向報道」であるケースも
選挙報道の話に戻ると、メディアの「質の低下」が叫ばれる一方で、主張を過激化させる視聴者が増えつつある。その関係性のもとでは、これまでのスタイルを続けるのは難しいのかもしれない。まるで腫れ物にさわるような、中途半端な報道が今後増えていくことが予想される。
いまや少しでも「公平性を欠く」と感じさせれば、政治家や支持者から即座に抗議が入り、同時並行で「偏向報道だ」と拡散される時代だ。ただ、そうして認定された“偏向報道”は、「万人にとっての偏向報道」ではなく、「私にとっての偏向報道」であるケースも多々ある。
今回挙げた2番組のように「知識不足による誤解」や「先入観を与える表現」はもってのほかだが、まっとうな番組までもたたかれるような社会にならないよう願っている。また、為政者には「制度上そうなっているから」で立ち止まらず、よりわかりやすい制度設計に取り組んでもらいたいものである。