東大医学部卒心臓外科医の入江さんは、なぜ37歳で「数学塾」を始めることにしたのか

算数・数学の本がぎっしり詰まった教室の本棚。算数・数学を教える同志でもある入江さん(左)と望月さん(右)

灘高、東大理III、心臓外科医とエリート街道を歩いてきた入江さんは、なぜ数学塾を始めることにしたのか。そこには、長い人生を見据えた生き方と学び方への強い思いがあった。(ダイヤモンド社教育情報、森上教育研究所)

入江翔一(いりえ・しょういち)

入江翔一

数学専門塾「数楽道場」代表。現役医師。1988年大阪生まれ。灘高等学校、東京大学医学部医学科卒。医師として勤務しながら、2021年東京大学理学部数学科卒。25年から札幌市に移住、26年3月に開校予定。

望月俊昭(もちづき・としあき)

望月俊昭

望月算数・数学教室主宰。1948年北海道生まれ。二十数年にわたり大手塾で中高受験生のための算数・数学を指導したのち、難関中学受験のための少人数制の算数教室を主宰、入学後の中学数学の指導も行っている。著書に、『中学受験 超難関校合格! 頭のいい子にも勝てる 算数まとめノート』(ダイヤモンド社)、『算数プラスワン問題集』『高校入試ハンドブック』シリーズ(いずれも東京出版)など。1987年から月刊誌『高校への数学』(東京出版)に、88年からは『中学への算数』(同)で連載を執筆している。

30歳で数学科に学士入学した理由

――今日は、算数・数学教室を主宰されている望月俊昭さんと、医師を続けながら数学塾を開こうとされている入江翔一さんにお話を伺います。おふたりが知り合ったきっかけは?

[聞き手]森上展安・森上教育研究所代表

望月 駒場東邦に入った教え子が、私の推薦した数学の参考書に取り組んでいるのを彼の家庭教師をしていた入江さんが見つけて、中学に入ったばかりの子に大学受験コーナーにあるようなこんな本を推薦する先生がいるのか、となったようです。

――その本は何でしたか。

入江 栗田哲也先生が書いた『マスター・オブ・整数』『マスター・オブ・場合の数』(いずれも東京出版)です。高校の受験勉強で愛読していた月刊『高校への数学』の望月先生の連載のファンでしたので、驚いたわけです。その子のお母さんの仲介で望月先生にお会いしました。

望月 全くの偶然で知り合いました。東大理IIIなのに、謙虚な好青年(笑)。私の教室では中2までしか教えていませんが、入江さんに教室に来てもらい、東大理IIIに向けた勉強法を教室生たちに話してもらう機会がありました。その中にいた女子が、その後も入江さんにさまざまなアドバイスを受け、理IIIに合格しています。

 また、私の教え子の一人がイギリスの高校に留学してオックスフォード大学を受けるため勉強していたのですが、なんとその彼の家庭教師も入江さんでした。私が整数論、組み合わせ論、初等幾何など、入江さんが数論や積分などと、分野を分担して指導しました。

 彼は、最終段階の「インタビュー」まで進みましたが、その前の段階の数学の試験が大学の代行業者のシステムエラーで中断、数学の勉強の成果を生かす機会を奪われたまま最終段階に臨むという日本では考えられない出来事で合格とはなりませんでした。失意のまま進んだユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で、現在出場予定の大学対抗の数学大会に向けて、数学の猛勉強をしています。入江さんとは、不思議な縁があるということになります。

――入江さんは医師と伺いました。

入江 初期研修を終えてから、埼玉や東京の病院で働いていました。心臓外科医としての生活は非常に充実していましたが、一方で家庭も含めてあらゆるものを犠牲にせざるを得ない状況でした。このまま心臓外科に自分の時間を全振りする生活を一生続けていくのか?と考えたときに、自分は「何か違う」と感じていました。

 実は高校生の頃、医者の道を志したときに数学者の道も考えて悩んでいた時期があります。受験数学は箱庭みたいに整備された世界ですが、一度本物の数学を学んでみたいという意思はずっと持っていました。ただ、数学オリンピックでメダルを取るような人たちのすごさを目の当たりにして、数学者への道は諦めました。今振り返れば、人と比較する必要なんてなかったと思います。

 ある大晦日の当直中、嵐のような忙しさの後、気がつけば新年にちなんだ数学の問題を作って、一人ICU(集中治療室)でテンションが上がっていました(笑)。その時にふとわれに返り、「人生は一度きりだから、自分のやりたいことをやって後悔する方がマシだ」と思い、数学を学び直す決意をしました。当時30歳でしたが、4月から理学部数学科の3年生に編入学しました。

もう人と比べることをやめよう

望月 理学部から医学部という逆の例は結構あると思いますけど。

――そのような人はいないでしょうね。誰か止めなかったのですか。

入江 家族は反対こそしませんでしたが、医師として大成してほしかったのだと思います。しかし、僕は自分の意思を貫くことを選択しました。当時の医局の上司からは考え直すよう説得されましたが、教授は「入江らしい」と意外にもあっさり認めてくれました。医局を離れることへの葛藤はありましたが、「もう人と比べることはやめよう」と心に誓い、そこから生き方がガラッと変わりました。

――灘高から東大理III、医師というエリート路線を29歳まで歩んできたわけですね。

入江 灘は高校から入りました。中学受験は小6から通塾して甲陽学院中学を受けたものの、記念受験同然で、箸にも棒にも引っかからず地元の公立中学に進みました。中2の時、数学に目覚め、それから成績がぐっと伸びました。

――数学好きになったきっかけは何でしたか。

入江 中2で角の二等分線について学んでいたとき、三角形の内接円と傍接円は見た目が全く異なるものの、その性質が双子の兄弟のようにそっくりなことに気付いたことです。その時の感動を今でも鮮明に覚えています。自分で発見する喜びを覚えてから、数学にのめり込んでいきました。

――学生時代から家庭教師や塾講師をされていますね。

入江 高校生で家庭教師を始め、大学生で鉄緑会数学科講師と家庭教師、医師になってからも細々と家庭教師を続けていました。数学科卒業を機に、「心に広がる数学の世界を!」をスローガンに掲げ、その理念に共感していたSEGの門をたたき、医師として働く傍ら、再び数学科講師になりました。

――どうして札幌に移住されたのですか。

入江 これまで20回以上訪れたほど北海道が好きで、定年後には移住しようと考えていました。2年前に再婚した妻が札幌出身ということもあり、昨年移住しました。札幌でも数学教育に携わっていたいと思い、SEGの古川昭夫代表に相談したところ、「塾を自分で作った方が早いよ」との助言をいただき、この3月から開校することにしました。

――望月さんは算数教室を入江さんに継いでほしかったのでは。

望月 タッグを組んだら、小中高生を教えられて面白かったのですが、移住するというので諦めました。

この3月から開校する「数楽道場」

数学を通して一生ものの感動を!

望月 普通でしたら、こんな有能な人が塾をやるなんてと思うでしょう。「数楽道場」のホームページには「一生ものの感動を さあ、冒険に出かけよう!」と書いてあり、正面から「理念」を語っている。すごいなあと思いました。

――いわゆる進学塾ではないわけですね。

入江 中1から高3までの6年間をかけて、楽しみながらじっくり数学を学びます。高2の秋くらいまでは時間をかけて、自分で発見する喜びや感動を体験してほしい。数楽道場は受験に合格させることよりも、「心から楽しみながら数学を学び、その過程でより良く生きるための力を育むこと」を目的にしています。

 最初の5年間でしっかり感動しながら自主的に学ぶ姿勢が身に付けば、自然と大学受験を乗り越えるための力は備わるのではないかと思います。その力を受験本番で十分発揮できるように、最後の1年間は受験に特化した指導を行います。進学塾で教えてきたこともあるので、間に合わせる自信はあります。

望月 自分もそうですが、塾で稼ごうとかビジネスを広げようという気はなさそうですね。

入江 モチベーションは一つだけ、感動を伝えたいということ。昔から競争に勝つことが最重要課題の教育にずっと違和感を抱いてきました。

 確かに、問題が解けて大学に合格することは、人生の岐路を左右する大事なことです。しかし、それ以上に大切なのは、学ぶことの楽しさや感動を通して、生徒たちがより良く生きるための力を育むこと、人間として生まれてきたことの素晴らしさを実感してもらうことではないでしょうか。でなければ、公教育として全員が数学を学ぶ意味なんてないと思います。

 私自身好奇心が旺盛ということもあるのですが、感動を味わえないなら生きていても仕方ないとすら思います。受験ではなく、感動を軸に教えることができれば、全然違う教育になるのではないかと思います。

――改めて数学科に進んだことも塾を開くきっかけになっているわけですね。

入江 数学を学びたくて入ったので、相当な熱量で取り組みました。医師として働きながら数学に悪戦苦闘する大変な毎日でしたが、こんなにも豊かな世界が広がっていることを知り、入り直して本当によかったと思います。そう思うのと同時に、こんなにも素晴らしい世界を知らないまま、中高6年間をただ試験や受験対策だけで終えるのはあまりにもったいないと感じました。僕が感動したことの多くは、意欲ある中高生なら十分理解できる内容です。

 一方で、僕は医師としてこれまでたくさんの生死を見てきました。「この人にとっての幸せは一体何なのか?」と人生の価値観について考える機会も多くありました。どの親も手段の違いはあれ、「子どもには幸せになってほしい」と願っている点では同じだと思います。僕も生徒たちには、死ぬ間際に「いい人生だった」と思えるように生きてほしい。そのために今どんな教育をすべきかということを常に考えながら指導に携わっています。

――子どもたちの学び方を変えたいと。

入江 教育現場は受験までしか見ていないことがほとんどです。保護者も教育現場に大学合格を第一に求めるのは仕方がないとは思います。それでも、人生100年時代の生き方を考えたときに、はるかに長い受験後の人生を豊かに歩むために、受験後も見据えた学び方があるのではないかと思っています。

――次回は、入江さんがおっしゃる「感動」する学びについて伺いましょう。