なぜトランプ大統領を議会は罷免できないのか

2026年2月24日、議会での一般教書演説を行ったあとに退場するトランプ大統領(写真: 2026 Bloomberg Finance LP)
有名な小話がある。それは猫とネズミの話だ。
猫の恐怖に悩まされたネズミが名案を思いつく。それは猫に鈴をつければ、いつでも猫が来ることがわかり、逃げられるというものだ。しかし、大きな難点に気づく。それはどのネズミが猫に鈴をつけるかという問題である。猫は鈴をつけようとする猫を食べてしまうに決まっているのだ。
この話は、どんな名案にも大きな盲点があるという教訓の話である。
猫とネズミの関係
われわれの社会は法治国家で、法によって厳しく守られている。しかし、それはあくまでも「誰もが法を守るだろう」という前提があるからだ。しかし、もし法を無視する極めて暴力的な人物が出てきたらどうか。そしてその人物が、法の罰則規定で規制できないほどの力を持っていたら容易に取り締まることはできないということなのだ。猫とネズミの関係はまさにそうだ。猫はネズミの法を力で破るからである。
とはいえ、われわれの現代社会は文明化された社会である。だからそうした人物など現れようもないはずだ。しかし、巨大な権力をもつ世界の政治家を見渡せば、どう見ても、そうだと言い切れない。相次ぐ不合理な戦争の出現は彼らのせいであると考えざるをえないのである。
石破茂前首相が防衛庁長官になったとき、ある問題に気づいた。それは、日本の周りには、非理性的な国があるということに気づいたのだ。石破茂は、『国防』(新潮文庫、2011年)という本を書いたことがある。
「リアリスト」(現実主義者)という言葉があるが、彼はこの本の中で自らを徹底したリアリストであると認めている。リアリストとは、今おかれている現状からものごとを判断する人物のことだ。
石破首相が防衛庁長官であった2002年から04年といえば、イラク戦争、北朝鮮のミサイル実験の頃であった。巷では、アメリカの単独支配が話題であった。
アメリカの一極集中に抵抗する勢力は、北朝鮮をはじめとしてテロ国家と名指しされていた。話し合いの余地のない国際法を無視するテロ国家には、抑止力は効かない。だから武力行使もやむをえないという世論が盛り上がったのも当然であった。
法治国家の弱点に気づいた政治家
イラクやイラン、そして北朝鮮がテロ国家ならば、この議論には一理ある。テロ国家に対して民主主義による抑制が働けばいいが、そうでない以上、武力衝突はありうるのだと。
“テロ国家”北朝鮮の動向は気になる。北朝鮮がミサイル攻撃をすれば、防御の意味で相手のミサイル基地を先制攻撃する必要も生じてくる(『国防』159ページ)。「攻撃は最大の防御なり」のたとえで、こうして限定付きながら先制攻撃の必要性が出てくる。当時は中国やロシアの脅威は今ほど叫ばれてはいなかった。しかし、今は2つの国もこの中に入っているといえる。
当時の石破氏は、ある意味、法治国家の弱点に気づいたといえる。それは、どんな国際法もそれを順守するものの存在を前提としているが、そうしたものがいない場合どうなるのかという、ある種の盲点に気づいたのだ。
今回2月に行われた衆議院総選挙で、国民による高市政権支持も、まさに現実的脅威という不安によって生み出されたものだともいえる。だから、周りの非理性的だと喧伝される国家への強気の姿勢を示す人物と党に投票が集中したのは、当然だったかもしれない。
実はこれと同じ問題に、海の向こうのアメリカも遭遇している。もちろん非理性的国家への脅威ではなく、非理性的大統領への脅威である。大統領がもし非理性的な狂人であったらどうなるのかという問題だ。
この種の議論は、けっして今に始まったものではない。すでにフランス革命当初から出現している。憲法の為政者の暴走を食い止める条文をつくっても、為政者はそれを踏みつぶし、独裁への道を歩むという問題だ。
ロベスピエール、大ナポレオン、小ナポレオン、いずれも共和制憲法の中から生まれた。大統領の執行権力を強化すれば独裁が進み、逆にそれを弱めれば、国家自体の衰退を生み出す。
議会と執行権力との対立という永遠の問題
民主主義国家は、今もこの問題に悩まされている。それならば権力を無化するため執行権力を廃止するようなアナーキーな国家を作ればいいが、そうなると秩序を保つ者がいなくなる。逆に完全に議会のロボットとなる大統領を選出すれば、議会が大統領となるが、執行権は混迷に陥る。だから議会は執行権力を担う大統領に、権力を移譲しなければならないのである。
議会と執行権力との対立の問題は、永遠の問題といえる。今アメリカで起こっている問題は、議会が憲法の規定によって大統領の弾劾と追放を可能にしえるのかどうかという問題である。
アメリカの憲法の規定によると、大統領の執行権力は制限されている。つい最近もアメリカの最高裁判所による判決が出た。関税は議会が決定するのであり、大統領にその権限はないとされる。これはアメリカ憲法の第1条8節1項にある。
また戦争遂行に関しても、その決定は大統領ではなく、議会にあることが第1条8節11項に規定されている。
ところが、トランプ大統領が2025年に始めた関税政策は、これらの憲法に違反しているにもかかわらず遂行され、依然継続しているようにも見える。またベネズエラへの電撃作戦は対外戦争とも思われるが、議会でいまだ議決を受けていない。対日戦争でさえしっかりと議会で議決されていたのだ。
憲法を見る限り、完璧である。アメリカ大統領は、以下のように憲法に従って処罰される規定ができているのだ。大統領の権限を扱う第2条4節には「大統領、副大統領および合衆国のすべての文官は、反逆罪、収賄罪またはそのほかの重罪および軽罪につき弾劾され、かつ有罪の判決を受けた場合、その職を免ぜられる」(『世界憲法集』宮沢俊義偏、1983年、45ページ)とある。
なぜトランプ大統領を議会は罷免できないのか
すでに前回の大統領時代において2度の議会の弾劾決議を受けているトランプ大統領には、首の皮一枚で決定を免れたという苦い過去がある。今回はこれで3回目である。
しかも、「エプスタイン問題」というスキャンダラスな問題もある。現代版セレブがつくったハーレムは、アメリカのみならず世界に衝撃を与えている。トランプはエプスタインの友人なのだ。しかし、このように違法行為だらけであるにもかかわらず、トランプ大統領を罷免することは困難を極めている。それはなぜか。
1922年、ドイツの政治学者カール・シュミットは『政治的神学』(権左武志訳、岩波文庫、2024年)の中でこの問題を鋭く指摘している。冒頭にこうある。
これはまさに憲法にとって大きな逆説である。憲法では主権者は国民であると規定されているのに、戦争などの危機的状況である例外状態においては、主権は国民ではなく、決定を下す大統領あるいは首相であるというのだ。
確かに、緊急事態において国民がなんらかの決定を下すことは不可能である。例えば敵が侵攻した場合、それについて議会で議論するというのでは手遅れになる。緊急時の議会決定は事後的にならざるをえない。では誰がそれを決定するのか。それは執行権をつかさどる大統領あるいは首相である。
シュミットはこう述べている。
緊急時には神のようになる指導者
これはある種、神学的議論である。神はわれわれ人間世界の外にいて、外からわれわれを規制する。中世において流布した「王権神授説」なるものは、国王が神の命を受け、外からわれわれを縛ることを意味していた。
しかし今や、国王はいくつかの国で存在するものの、ほとんどが国民主権の民主社会である。われわれと同じ普通の人間が大統領に選出されるのだ。だからその意味で、大統領はわれわれの仲間の一人である。しかし、緊急時にはその大統領は仲間ではなくなり、神のような存在に変貌し、われわれを無視しえるのである。
仮に大統領が通常人とは違う、無法者であったらどうであろう。彼は、自らを守るために緊急事態を自前で用意し、憲法制度を無視することができることになる。
なるほど、ベネズエラのマドゥロ大統領を拉致し、関税を示威的に引き上げ、議会や裁判所に高圧的な態度で接する大統領は尋常な人物とはいえない。しかし、問題はそこにはない。彼の人格が問題ではないのだ。むしろ完璧に見える民主憲法の持つ主権には、大きな盲点があるということが問題なのだ。
かつてフランスのルイ・ナポレオン大統領(1808~1873年、大統領在任1848~52年)は、再選を認めず辞任を強制する憲法に対しクーデタをしかけ、憲法を反故にして皇帝に上り詰めた。この第二共和政憲法は、大統領の任期を1期に限っていたが、狡猾な大統領は憲法そのものを破壊してしまったのである。
しかしこれは遠い過去の話ではない。同じフランスでマクロン大統領は、自らの首をかけて議会を解散し、その結果政権与党の座を失ったにもかかわらず、あいかわらず大統領に居座っているのだ。
民主主義が機能不全を起こしたのだろうか。それとも、かつてのローマ共和制のように、民主制はその機能の欠陥により独裁を導き出す運命をもつのだろうか。
法と秩序による世界はどうなるのか
ただ今アメリカで起こっている問題は、他山の石ではない。戦後われわれ社会が形成してきた法と秩序による世界がまさに死ぬか生きるかの瀬戸際にいるということなのだ。
トランプが大統領の座を簡単に下りず、戦争などによって緊急事態を生み出して憲法を停止すれば、大統領弾劾など無意味なものとなる。アメリカでの最高裁、議会と大統領の対決は、いま戦後世界の運命を決める天下分け目の天王山であることは、忘れてはなるまい。