「北海道のローカル線」もう見られない列車の記憶

国鉄時代末期に廃線となった胆振線。新大滝駅のホームにたたずむ駅員と気動車(撮影:南正時)
北海道の鉄道は国鉄時代末期に多くのローカル線が廃止され、近年も廃線が相次いでいる。終点の増毛側から段階的に廃止されてきた留萌本線も2026年3月末に運行を終えると全廃となり、北海道の鉄道網は半世紀前と比べると大幅に縮小している。
【貴重な写真を一挙公開】▶いまならどの路線に乗りたい?▶広大な風景を走る北海道のローカル線▶蒸気機関車が走った時代や、白糠線、興浜北線、湧網線、標津線、広尾線など国鉄時代に姿を消した路線の旅情あふれる風景の数々
筆者は蒸気機関車(SL)の最後の活躍を追って昭和40年代に北海道を訪れて以来、今は廃止となった路線を含め道内のほとんどの路線を取材してきた。湧網線、渚滑線、天北線、興浜北線、興浜南線……など、今は消えたさまざまな路線が思い浮かぶ。
今回は「北海道のローカル線」について取り上げたい。ローカル線をどう定義するかは意見の分かれるところだろうが、基本的には廃止された路線と地方交通線を対象とし、一部そのほかの路線も含めた。
「雄大すぎる」風景に圧倒
筆者が初めて北海道に渡ったのは1970年、最後の活躍を見せていた急行「ニセコ」を重連で牽引するSL、C62形を撮影するためで、この時はC62形だけが目的のとんぼ返りだった。本格的に各地を回ったのは翌71年で、これが実質的に初の北海道での撮影だったといえるであろう。
当時は先に名前を挙げた路線をはじめ、その後廃止された路線もまだ現役で、多くはSLの活躍の舞台だった。筆者が連載していたのは鉄道雑誌ではなく一般向け雑誌の『週刊漫画アクション』で、それゆえに機関車だけでなく「風景の中を走る列車」を撮影することを意識していた。
最初に感じたのは、とにかく風景が広々としていることだ。写真家の視点からいえば、雄大すぎて写真にまとめるのが難しいとも感じた。SLが消えた後は一時期足が遠ざかったが、その後全国のローカル線を取材する機会が増えると、北海道の各線には季節ごとの風景を撮影するため訪れるようになった。むしろ、気動車時代のほうが数多くの路線を撮影している。

名寄本線(1989年廃止)を走る9600形蒸気機関車牽引の貨物列車=1973年6月(撮影:南正時)
北海道の国鉄線は80年代以降、国鉄再建に伴う廃線対象の赤字路線「特定地方交通線」の中で全国初の廃止となった白糠線(白糠―北進間、33.1km)を皮切りに、多数の路線が消えた。その中には、雄大な風景を誇る路線も多かった。記憶に残る路線を挙げてみよう。
消えた絶景路線の数々
まずは興浜北線だ。同線は、これもJR初期に廃止になった天北線の浜頓別から北見枝幸までオホーツク海沿いに約30.4kmを結び、本来は興浜南線(興部―雄武間、約19.9km)とつながる予定だった路線だ。海岸にへばりつくように線路が続く車窓は素晴らしく、北見神威岬の目梨泊灯台を大きく回り込むように走る、神秘的ともいえる風景が心に残っている。

灯台を回り込むように北見神威岬を走った興浜北線(撮影:南正時)
湧網線(中湧別―網走間、約89.8km)も、オホーツク海沿いやサロマ湖、網走湖などの沿岸を走る絶景路線だった。

オホーツク海やサロマ湖沿いなどを走った湧網線(撮影:南正時)
このほかにも、「幸福駅」が一時全国的なブームになった広尾線や、今では廃線跡のタウシュベツ川橋梁が一般にも知られるようになった士幌線、松前城をバックに走った松前線などさまざまな路線のありし日の姿が思い浮かぶ。まだ廃線の話がなかった70年代、SLの消えたあとの北海道のローカル線は、鉄道ファンの姿を見かけることはまれだった。

広尾線の幸福駅に停車する列車(撮影:南正時)

秋の士幌線糠平駅。2両編成の気動車が停車する(撮影:南正時)

松前城をバックに走る松前線の列車(撮影:南正時)
留萌本線が「連ドラ」の舞台になったきっかけ
そして、筆者が国鉄時代からJR化後まで何度も訪れたのは留萌本線だ。
実は、最初に同線を訪れたときは風景が目的ではなく、D51形を改造して誕生した少数派のSL、D61形が活躍していたからだった。だが、何度も通ううちにこの路線に魅せられ、そしてそれが縁を生むことになる。

留萌本線の増毛駅付近、日本海沿いを走るキハ54形単行の列車(撮影:南正時)
99年に放送されたNHKの連続テレビ小説『すずらん』は留萌本線の恵比島駅に設けた架空の駅「明日萌」が舞台だった。実は放送前、NHKから筆者に「今度、鉄道が舞台になるドラマを企画しているが、舞台に適した場所をアドバイスしてくれないか」と連絡があった。

冬の留萌本線・恵比島―峠下間、雪をかき分けて進む列車(撮影:南正時)
留萌本線が適していた理由
線路が一直線で、原野だけでなく山もあり、民家も点在し、雪深い場所……という条件を聞いて、筆者が推薦したのが留萌本線の恵比島駅とその付近だった。その後NHKからは「ここに決めました」と連絡があり、実際にドラマの舞台になったのだった。そんなこともあり、JR化後も「SLすずらん号」の撮影をはじめ、本当に数えきれないほど通った路線である。

留萌本線の恵比島駅を通過するD51形牽引、後部補機付きの石炭列車。左に見えるのは留萌鉄道の線路跡=1974年(撮影:南正時)

早春の留萌本線を走るC11形牽引の「SLすずらん号」(撮影:南正時)
その留萌本線も、2016年12月に増毛―留萌間が廃止となったのを皮切りに、23年に留萌―石狩沼田間が廃止、そして26年3月末には残った石狩沼田―深川間も運行を終え、全線が記憶のかなたに消え去る。
思い出の多い北海道のローカル線撮影だが、取材としてノルマを抱えていると鉄道の限界を感じたのも事実だった。
SLを撮影していたころは、宿代を節約するために夜行列車に乗り、途中の駅で反対方向の夜行列車に乗り換える……といった方法を繰り返しながら、列車に乗って撮影に適したポイントを探して各地を回っていた。

日高本線の静内付近を走るC11形207号機が牽引する列車。現在は東武鉄道で「SL大樹」として活躍している機関車だ=1973年6月(撮影:南正時)
「鉄道取材」だが足は車に
だが、その後プロの写真家として雑誌などの依頼を受けて撮影するようになると、限られた日数の中で確実に押さえなくてはいけない列車や、季節ごとの風景がある。本数の少ない路線が多いだけに、列車で行って撮影することはほとんど不可能に近い。

天北線(1989年廃止)を走る急行「天北」。同線の路線延長は148.9kmで、国鉄の特定地方交通線では最も長い路線だった(撮影:南正時)

国鉄時代の深名線朱鞠内駅。同線はJR化後の1995年に廃止された(撮影:南正時)
当時の北海道のレンタカーは非常に料金が高かったが、車を使えば列車で行くのは困難なスポットもはしごできる。同じ列車を何度も追い抜いて撮影することもできた。実は、印象に残る路線として先に挙げた興浜北線も、灯台のカットを撮影したのは列車で取材したときではなく、車で回ったときだ。
今は廃線となった路線も含め、多数の写真を撮影できたのは車の機動性のおかげだったが、それは同時に、ローカル線が自動車にとって代わられる運命をそのまま示してもいた。

オホーツク海をバックに興浜北線を走る列車=1983年6月(撮影:南正時)

歌志内線(1988年廃止)の終点、歌志内駅にたたずむ気動車。一時期は石炭輸送で全国有数の黒字路線になったこともあった(撮影:南正時)
思い出は尽きないが…
国鉄は1981年、「国鉄再建法」に基づき、赤字のローカル線を「特定地方交通線」に指定し、さらにその中で輸送密度が1000人/日未満の路線を第1次廃止対象路線に指定した。北海道の路線も多く含まれており、全国の特定地方交通線の中で、最初に廃線となったのが白糠線だった。

国鉄の「特定地方交通線」で最初に廃止された白糠線。終点の北進駅に停車する列車(撮影:南正時)
筆者は83年10月22日の白糠線最終日と、翌23日のバス転換初日の様子を『鉄道ジャーナル』誌で取材した。だが、最終日は賑わってはいたものの、地元の人々も名残を惜しむというよりは普段乗っていないから最後に乗ろうといった雰囲気で、淡々とした印象を受けた。
それ以来多数の路線が姿を消し、北海道の鉄道路線図はすっかり寂しくなった。すでにメインルートを石勝線に譲り閑散区間だったとはいえ、かつては主要路線だった根室本線の富良野―新得間まで廃止される時代だ。近年はダイヤ改正のたびに駅の廃止も進む。
思い出は尽きない北海道のローカル線だが、これまで数多くの路線が消えていくのを見てきたうえでの感想を述べれば、もはや惜別の情を感じるよりも、廃線は仕方ないのだろうという心境になっているのが事実だ。