「姉のお茶だけに透明の液体を」「南京錠で半監禁状態に」『どうすればよかったか?』著者が明かす、統合失調症の姉が入院するまでの25年間

 統合失調症の症状が現れた姉。病気を認めず、南京錠をかけて姉を家に閉じ込めた医師で研究者の両親。そして20年にわたって自身の家族にカメラを向け続けた弟。ドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』は、2024年の公開と同時に大きな反響を呼び、異例の大ヒットを記録しました。

 今年1月に刊行された同名の書籍『どうすればよかったか?』も発売前から予約が殺到し、発売から約1カ月で5回重版がかかるなど、今年注目のノンフィクションとして話題になっています。

 書籍で初めて描くことができた衝撃的な事態を目撃したとき、お姉さんをどうにか医療につなげようと孤軍奮闘していたとき、藤野知明さんはどんなことを考えていたのか? 映画ライター・ISOさんによるインタビューをお届けします。

僕には姉が病気を発症した理由がわからない

僕には姉が病気を発症した理由がわからない, 統合失調症の姉を入院させるまでに25年かかった, 「あなたの求めているような解決はないのかもしれない」, 書籍で初めて明かされた衝撃的な事実, ときに逃げることは必要である, 人生のヒントがいっぱいちりばめられた次回作

藤野知明『どうすればよかったか?』©2024動画工房ぞうしま

――書籍には、お姉さんに症状が出る前のことも盛り込まれていましたね。

 そこを書くことこそが必要だと思ったんです。

――たしかに以前の家族の関係性がどうだったのかは気になっていたところでした。統合失調症の発症のトリガーについては、いまだ解明されていないにもかかわらず、家族のトラウマが原因と主張している人もいますから。

 映画の中では口論ばかりしていたこともあり、「子どもの頃から機能不全家族だったから、統合失調症を発症したのではないか」という感想も目にしました。もちろんそれなりのストレスはありましたが、僕からすると家族で楽しく暮らしていたという認識だったので、それは伝えておきたかったんです。

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藤野知明さん。

――映画のイメージからはかけ離れていたので驚いたのですが、お父さんと昆虫採集に行ったりもしていたそうですね。

 実のところ、父は虫の研究をしたかったそうなんです。ですが戦時中ということもあり、母の勧めで医学部に行くことにしたと。その名残もあってか家には父が作った大きな虫の標本もありました。

――実際、幼い頃の家族の雰囲気はどのようなものだったんですか?

 勉強しなさいという圧力はありましたが、それを除けば楽しい家族だったと思います。両親は共働きでしたが、年1、2回は家族旅行もありましたし、海やスキーに遊びに行ったりもしていましたから。だから本当に僕には姉が病気を発症した理由がわからないんですよ。

統合失調症の姉を入院させるまでに25年かかった

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藤野知明さん。

――映画でも伝わってはきたのですが、書籍を読んで改めて藤野監督がいかにギリギリの状態で自分を保っていたのかを知りました。

 映画だと、僕が第三者目線で冷静に家族を見ていたような印象を受けるかもしれませんが、そんなことはなくて。序盤のナレーションで「朝起きるのが嫌だった」ということも喋っているんですが、学生の頃は頭の中をいろんなことがぐるぐる回って眠れなくなることもよくありました。なんとか思考を止めたくて音楽を繰り返し聞いたり、真冬なのに夜中に歩き回ったりして。精神状態としては、あの頃が一番よくなかったと思います。

――そういう話を聞くと、統合失調症の当事者だけでなくその家族に対するセーフティーネットの必要性を感じます。

 今では病院も待っているだけではなく、家までお医者さんが来てくれるというようなアウトリーチ活動もあるらしいですが、仰る通り家族に対してはまだ支援が届いていない。統合失調症に関する講演をしたあとに主催者の方と話すこともあるんですが、当事者だけでなく家族に対する支援がもっと必要なんじゃないかという話はよく聞きます。家族に話をしても、うちのように「何も困っていません」と返ってくることも多いらしいですが。

――藤野監督はそういうアウトリーチがあれば状況は変わっていたと思いますか?

 たとえば姉は病院から薬を処方されても飲まなかっただろうし、それだけでは治療できなかったと思うんです。だからきちんと治療しようと思うと入院して病院での生活を習慣づける必要があったけど、本人にその意思がなく、両親も反対している場合、入院治療はできません。本人の自由を制限することになる以上、簡単にはいかないんです。

 姉を入院させたときも、医師の診断とともに代諾者として家庭裁判所に行って、姉の権利を制限して3カ月入院させたように順序がある。現在は兄弟姉妹が代諾者になった場合、両親の意思よりも優先されるそうですが、姉が入院した当時は親の判断が優先されていたので、病院側も「両親を説得してください」と言うしかない。映画を観た人の中には「呑気にビデオカメラを回している暇があるなら病院に連れていけ」という反応もあったんですが、それは現実的に無理だったんですよ。

僕には姉が病気を発症した理由がわからない, 統合失調症の姉を入院させるまでに25年かかった, 「あなたの求めているような解決はないのかもしれない」, 書籍で初めて明かされた衝撃的な事実, ときに逃げることは必要である, 人生のヒントがいっぱいちりばめられた次回作

藤野知明さん。

――やはり両親が拒否しているというのは大きいんですね。

 うちに関してはキーパーソンは父でしたね。もし父親が協力してくれていたら、姉も納得して入院して、薬も飲んでくれたと思います。実際はそこに辿り着くまでに25年もかかってしまったわけですが。

「あなたの求めているような解決はないのかもしれない」

――大学の先生に相談して、家族療法を受けようとしたことは映画でも語られていましたが、それが失敗したときに先生から言われた「あなたの求めているような解決はないのかもしれない」という言葉の印象は書籍で大きく変わりました。映画では残酷な響きを纏っているようにも思えたんですが、大学生だった藤野監督はそれで一歩前に踏み出せたと。

 その言葉でむしろ前向きになれたんです。それまで自分が「できないかもしれない」とうっすら思っていたことがはっきりしたんですよ。両親が拒否してきたという事実からもその先生が言ったことは正しかったと思いますし、大学4年生で就職先も決まっていた時期なので、すっきりしたと言いますか。

 さらに言えば、そのときに将来を見通しちゃったんです。両親は60歳くらいで、経済的にも体力的にも問題がなくて、病気にならなければこのまま2人で姉をあと20年は看続けるんだろうと。平均寿命を考えると、そこから先はどういうかたちかはわからないけど僕が姉の生活をサポートすることになる。だから今は好きなことをやろうと思えたんです。もちろん家族が面倒を見るのは義務ではないし、その判断は個人個人、自由だと思います。でも少なくとも僕は先生の言葉でそう考えることができて、自分のことだけに集中する時間を持てました。当時は1円も稼いでいない状態だったので、まず経済的に両親から自立することが先だと考えたんですよね。

書籍で初めて明かされた衝撃的な事実

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藤野知明『どうすればよかったか?』(文藝春秋)

――書籍では、「自宅でお父さんがお姉さんに投薬をしていた」という衝撃的な事実も明かされます。

 姉が大学を卒業した1990年代、父が台所で姉のお茶だけに透明の液体を入れているところを見たんです。父親に尋ねたんですが、それには一切答えなかった。で、2001年から撮影を始めたんですが、最初は怪しまれないように家族の行事ごとを中心に撮っていました。だけどそれじゃあ核心に迫れないということで、その数年後に「この20年間、一体何をしていたんだ」ということを両親に聞き始めたんです。

 撮影しているときには何も答えないんですが、カメラが回っていないときに薬のことを聞くと「向精神薬を使っていた。けどもう使うのはやめた」と言っていました。ただ撮影を始めてからも投薬するような動きはしていたから、やめたというのが本当かどうかはわかりません。その瞬間を撮ろうとすると父は液体を入れる動作をしません。つまり撮られてはいけないことだとは認識していたんですよ。結局映像には残っていなかったので、映画ではそのことを提示するのは諦めました。撮れていないことを文字で出しても説得力がないですから。

 大学生の頃、両親との口論の最中に僕の片頭痛が酷くなったときに母が見たことのない薬をくれたんです。でもそれを飲んだら鎮痛剤とは明らかに違う、意識をぼんやりさせるような効果があった。だからあれが向精神薬じゃないかと推測しています。それ以来、両親から薬をもらうことは一切やめました。

――お父さんが投薬していたということは、お姉さんが精神疾患を抱えていることを内心では認めていたということですよね。

 そう考えられますね。今回の書籍で否定的な反応が出るとしたらここだと考えています。というのも両親がやっていたことは複数の法律に違反しているんですよ。病院に行かせないことや南京錠で半監禁状態にしていたこと、それに加え処方箋もなしに薬機法に違反するような投薬を行っていた。本人が薬を飲まされていることを知らないわけですから、人権的に問題がありますよね。

ときに逃げることは必要である

――もし自分と同じような立場にいる人からアドバイスを求められたら、どのように答えますか?

 実は結構求められるんです。その際には「家族が全部を抱え込む必要はない」とお伝えしています。みなさん責任を感じてなんとかしようと考えるのですが、自分の生活を犠牲にしてしまうと結局続かない。なので自分の生活を守ったうえで、できる範囲のことをやるという意味で、逃げるという選択肢があってもいいと思うんです。実際、僕は10年ほど逃げていましたから。

 あと僕が統合失調症家族のメーリングリストや電話相談などを使っていたように、ひとりで考えるのではなく、アンテナを広げて情報を集めるのも手だという話はしています。

――書籍でも小説『ゲド戦記』を引き合いに出して、ときに逃げることは必要であると記していましたね。

 『ゲド戦記』は、苦労のどん底を味わわなきゃわからないようなことが書かれているように思うんです。著者のル゠グウィンさんがどうしてこんな本が書けるのか不思議なんですよね。日本語翻訳も素晴らしいです。

人生のヒントがいっぱいちりばめられた次回作

僕には姉が病気を発症した理由がわからない, 統合失調症の姉を入院させるまでに25年かかった, 「あなたの求めているような解決はないのかもしれない」, 書籍で初めて明かされた衝撃的な事実, ときに逃げることは必要である, 人生のヒントがいっぱいちりばめられた次回作

『遊歩ノーボーダー』©2024動画工房ぞうしま

――最後に、次回作の予定はあるんですか?

 『どうすればよかったか?』の共同制作者・淺野由美子さんが監督した『遊歩ノーボーダー』という映画にプロデューサーとして入っていまして、今年5月から公開予定ですね。骨が弱い特徴をもって生まれた、安積遊歩さんという方の生き様を追ったドキュメンタリーです。

 遊歩さんは「障がい」という言葉を使わず、自分自身を「骨が弱い特徴を持っている」と表現しています。彼女は障がい者差別解消を目指してさまざまな運動を展開した団体「青い芝の会」と出会ったことを契機に、福島の駅にエレベーターの設置を求めたり、障がい者が駅利用中の介護義務を求めて駅長室で座り込みをしている模様を撮影したドキュメンタリーを制作したりしてきました。

――滅茶苦茶格好いいですね。

 そして80年代に渡米して障がい者の自立生活運動を学んだのち、国立市に誕生した自立生活センターの設立に関わり、今はそれが日本中に広がっている。で、なぜ淺野さんが遊歩さんを撮ろうと思ったかというと、遊歩さんが掲げたフェミニズムこそ、淺野さんがずっと感じていたことだったんです。

 遊歩さんを知ったきっかけは脱原発の集会に遊歩さんが登壇したこと。遊歩さんはチェルノブイリ事故が起きたときに、世界の十数カ国に「日本は原発をたくさんつくっているので、外圧で原発政策を転換させてくれ」と手紙を送ったことがあって。するとニュージーランドの首相から「日本に圧をかけることはできないけれど、何か困ったことがあればできるだけのことはします」と直筆の手紙が返ってきて、そこからニュージーランドと深く付き合われているんです。

――行動力がすごい。

 そういう経緯もあって登壇されたんですが、遊歩さんは「素敵だと思った男性がいたらすぐ告白する」とおっしゃいました。「なぜなら自分には骨が弱いという特徴があるので、待っていても男性から告白されないとわかっているから」と、愛と性について語り始めたんです。「待つのは時間の無駄だから、自分から行動する」と。実際、そういう生き方をし続けていて、とにかくすごい方なんです。

――被写体としてこれ以上ない人材ですね。ぜひとも拝見したいです。

 遊歩さんも『どうすればよかったか?』を観てくれたんですが、「この映画が『どうすればよかったか?』なら、次の映画は『こうすればよかった!』だね」って仰っていました(笑)。人生のヒントがいっぱいちりばめられた作品で、『どうすればよかったか?』より大事なものが映っていると感じているので、ぜひ多くの方に観てもらいたいですね。