小田急2000形「各停のエキスパート」秘めた個性

小田急電鉄の2000形。幅の広いドアが特徴の「少数派車両」だ(記者撮影)
目立つ役職で複数の仕事をこなす派手なバリバリタイプ、同じ持ち場でキャリアを積み重ねるコツコツ型――。働く人にそれぞれ「持ち味」があるように、毎日ビジネスパーソンを運ぶ通勤電車にも個性がある。
【写真はこちらから】▶地味?実は独自性が際立つ小田急電鉄の通勤車両「2000形」を車両基地で独占取材。各駅停車専門のため、普段は使用することがない種別・行き先表示も
銀色や白の車体に青いラインで親しまれる小田急電鉄の通勤電車。全部で6つの車種がある中、コツコツ型を地で行くのが「2000形」だ。デビュー以来約30年、そのほとんどを各駅停車として走り続けてきた。一見地味な存在だが、実は独自性の強い個性派だ。
小田急車両の「少数派」
2000形は8両編成が全9本、計72両で、約900両ある小田急の通勤電車の中では少数派。小田急線の利用者でも「毎日のように乗る人」と「ほぼ縁がない人」がはっきり分かれる車両かもしれない。
8両編成のため、10両で運転する最速種別の快速急行として走ることはなく、以前は一部あった急行や通勤急行、準急としての運転も現在はない。江ノ島線や小田原線の秦野以西、そして地下鉄千代田線にも乗り入れない。小田急線ユーザーでも、主にこれらの列車や路線を利用する人はあまり縁がない車両だろう。
一方で、新宿―本厚木間の各駅停車では主力の一角として活躍。この区間で各駅停車を利用するユーザーなら、「少数派車両」ながらほぼ毎日乗り合わせる人もいるはずだ。
2000形のデビューは1995年。まず2本が登場し、その後2001年までに計9本が造られた。
運転車両部車両担当・喜多見事務所担当課長代理の鈴木剛志さんは90年代後半に登場した特急ロマンスカー「EXE」30000形の2次車、2000形の3本目の編成を皮切りに、数々の車両設計に携わってきた。2000形については「今後の小田急の標準型にしていきたいという思いのあった車両」と語る。
最大の特徴は「ドアの幅」。小田急に限らず、日本の通勤電車のドアは幅1.3mが標準的だ。だが、2000形は先頭車両の乗務員室のすぐ後ろにあるドアが幅1.3mなのを除けば、ほかは幅1.6mと広い。乗客の乗り降りにかかる時間を短縮するために考えられた構造だ。

乗降時間短縮を狙った幅1.6mのドアが2000形の特徴(記者撮影)
幅1.6mのドアが並ぶ
2000形の登場に先立つ91年、小田急はラッシュ時の乗降時間を短縮する狙いで、ドアの幅が2mもある「ワイドドア車」を導入した。ただ、時間短縮の効果はあったものの、長さが20mの車体に幅2mのドアが4つあると、座席の数が減ってしまうのが欠点だった。
そこで、ドアの幅をなるべく広くしつつ、座席数も最大限に確保する「最適解」として考えられたのが幅1.6mだ。これにより、ドア間の座席は従来車両と同じ7人掛けを維持した。

2000形(上)と先代の1000形(下)を比べると、ドアの幅や窓の並びの違いがわかる(記者撮影)
ドア幅を広げるという大胆な設計の一方で、車体の基本的なデザインは88年に登場した先代の車両「1000形」を踏襲した。側面はドアが広がった分、車体の両端の窓は細長い戸袋窓だけという特徴はあるものの、電車の「顔」にあたる前面はほとんど同じ。車両番号の文字が青から銀色に変わった程度だ。よほどの鉄道ファンでもなければ、違いはわからないかもしれない。

先代の1000形を踏襲した前面。車番が銀色なのが1000形との目立つ違いだ(記者撮影)
完全な新デザインにしなかったのは、当時の時代背景があったようだ。2000形の登場時はバブル経済の崩壊直後。鉄道の利用者数もピークを過ぎ、その後は減少に向かうと予測されていた。
鈴木さんは、登場時はまだ設計に携わっていなかったので後から聞いた話だが……と前置きしつつ、「設備投資もお金をかけるべきところを選んでいかなくてはという流れの中、外観については1000形でいいデザインができていたので、別のところにお金をかけてしっかり造るという方針になっていった時期」と話す。
実際に、機能面ではドア幅だけでなく、数多くの新機軸を取り入れた。台車は、当時鉄道各社に普及しつつあった軽量の「ボルスタレス台車」を小田急で初採用。ブレーキも反応が迅速でメンテナンス性も高い「電気指令式」をロマンスカー以外で初めて導入した。これらはその後、小田急車両のスタンダードになった装備だ。

小田急で初めて採用した「ボルスタレス台車」(記者撮影)
細かいところにも新機軸
登場時のパンフレットによると、2000形のテーマは「やさしさ」だ。
乗客サービスの面では、座席は1人ずつのスペースを区分して座り心地を改善した「バケットシート」を初めて導入。ドアも幅を広げただけでなく、それまでの車両では車内側が一段凹んでいた窓ガラスをドアの表面とほぼフラットにし、指が戸袋に挟まれる事故を防ぐ構造にした。3本目の編成からは、走行中のドアのバタつきを抑える改良も加えている。

座席は1人ずつのスペースを区切った「バケットシート」を初採用した(記者撮影)
エアコンは温度を下げずに除湿できるシステムを導入。ドアの上から雨水が垂れて乗客にかからないようにする「雨よけ」も設置した。車いすスペースを小田急で初めて設けたのも2000形だ。内装はピンク色が基調で、これもその後の車両に受け継がれた。
乗客に見えない部分では、運転台にタッチパネルのモニターを採用した。登場時は、まだ世の中にタッチパネル自体が今ほど普及していなかった時代。鈴木さんは「電車の運転席にタッチパネル?とびっくりした」と当時の思い出を語る。
見た目は先代の1000形と大きく変わらず、登場時は新型車両としてはおとなしい印象もあった2000形。だが、「設計屋から見ると、かなり気合いの入ったエポックメイキングな車両」(鈴木さん)という。実は、さらなる発展の可能性も秘めていた。
8両編成で造られたが、設計上は10両編成に伸ばすことも可能。地下鉄千代田線への乗り入れも考慮しており、運転台の速度計は、車内に信号を表示する千代田線のシステムに対応したタイプだ。ブレーキも、ほかの車両が7ステップ(段階)なのに対し、2000形は「千代田線の車両に合わせて8ステップになっている」(鈴木さん)という。

運転台は2ハンドル式。速度計は地下鉄千代田線乗り入れを考慮した形だ(記者撮影)
10両化や千代田線直通はならず
小田急独自の幅1.6mのドアをはじめ、新機軸を多数盛り込んで登場した2000形。パンフレットには広いドア幅にかけて「新しい時代のトビラが開きます」「これからの主力車両としてデビューいたします」との文言が躍る。
だが、実際には10両編成化されることはなく、千代田線に乗り入れることもなかった。製造自体も9本で終了し、その後の新造車両はシンプルなデザインでより低コストの「3000形」に移行した。3000形は仕様変更を重ね、現在では300両以上の最大勢力となっている。ドア幅も1.3mに戻った。
90年代半ば以降、全国の鉄道では従来の車両開発方針を転換し、部品の標準化などで低コスト化を図った車両の導入が進んだ。鈴木さんは、「2000形は技術者としては完成度が高くチャレンジングな車両だが、時代の流れが早かったということだろう」と話す。独自性から標準化への過渡期に生まれた車両だったわけだ。

通常は使用することのない「急行新宿行き」の表示(記者撮影)
84年に小田急電鉄に入社し、90年代後半から車両の設計に携わってきた鈴木さん。2000形との最初の関わりは、95年に登場した最初の2本のうちの1本「2052編成」の完成検査のときだった。
同編成は神戸の川崎重工業(現:川崎車両)が製造したが、検査のため現地に向かう予定の日が1月17日、阪神・淡路大震災の発生日だった。当然ながら当日は現地に行くことはできず、車両の搬入もJR線経由での輸送ができなかったため海路で運んだという。
鈴木さんはその後、2000形の「2次車」と呼ばれる3本目、2053編成の設計を手がけ、車両設計のキャリアを積み重ねていった。駆け出しのころに携わった2000形は「設計の師匠のような存在」だという。「鉄道車両の設計で、新しいことをやるのは相当勇気のいること。その中で2000形は、先輩が台車やブレーキなどさまざまな新しいものを取り入れた車両。あの時代のスピリットは今も生きているし、忘れないようにしたい」と鈴木さんは語る。

「2000形は車両設計の師匠のような存在」と語る鈴木さん(記者撮影)
地道な活躍で存在感
最初の編成が登場してから約30年が経った2000形。登場時と比べて、外観上はLED式の種別・行き先表示器が3色からフルカラーに変わり、車内の座席には大型の「袖仕切り」を設置するなど、細かな変化はあるものの、大きく姿を変えることなく活躍を続けてきた。

登場時の2000形(写真:小田急電鉄)
現在は9本目の2059編成を除き、車体の青いラインがもともとの「ロイヤルブルー」よりも濃い「インペリアルブルー」になっている。9本目だけ変わっていないのは「張り替えのタイミングなどで、たまたまではないか」(鈴木さん)。
複々線区間で特急ロマンスカーや快速急行に追い抜かれつつ、各駅に停まりながら地道に走り続ける2000形。決して目立つ車両ではないが、優等列車が停まらない駅の利用者を支える足として、そして車両設計のスピリットを支える車両として、その存在感はドアの幅に負けず大きいといえそうだ。