家系も二郎もコピー続出なのに…なぜ「天下一品」だけはマネされないのか

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1971年に京都の屋台から始まった「天下一品」。創業者・木村勉会長が、他店との差別化のため苦心して生み出した「こってりラーメン」のスープは、社内でも製法を数人しか知らない門外不出の味だ。どのラーメン店もまねできない唯一無二の存在として、ファンからは「天下一品そのものがジャンル」と称される。ご当地ラーメンではなく、独自の立ち位置を確立したその戦略とこだわりに迫る。※本稿は、ラーメンライターの井手隊長著、天下一品監修『天下一品 無限の熱狂が生まれる仕掛け』(日本実業出版社)の一部を抜粋・編集したものです。
創業者の木村会長にとって
こってりスープは「命」
「天下一品」といえばなんといっても「こってりラーメン」だ。
木村会長(編集部注/創業者である木村勉。「天下一品」グループの代表取締役会長)が屋台から店舗を構えるときに、他の店と差別化するために苦労を重ねて生み出した“ラーメン界の国宝”といってもいいぐらいの発明品だ。
そのスープのつくり方についてはまったく明かされておらず、過去の文献や会長のインタビューを紐解いても、鶏がらが主体であることと、ニンジン、タマネギが入っていること以外何も明かされていない。社内でも数人しかつくり方は知らず、スープの担当は「番人」と呼ばれている。
「会長にとって『こってりスープ』とは何ですか?」と聞かれると、会長は「命や」とすぐ答える。即答だ。
「天下一品」にとって、こってりスープが命で、それこそがお客さんの目的であり、この味を絶対的に守らなければならないことは、創業当時から何も変わっていない。
「天下一品」は基本的な味づくりはセントラルキッチンでしているが、お客さんに提供する最後の大事な工程については店舗で調理する決まりになっている。
よく「天下一品」は店舗ごとに味が違うという話も出てくるが、それはじつはお店のさじ加減の違いに過ぎない。
たとえばスープは寸胴鍋で煮詰めることで当然濃くなる。このようなちょっとしたことで濃さは変わるもので、気温や天候でも変わるデリケートなものだ。最低限のマニュアルはあるが、あとは各店の仕上げで味が決まっていく。
「〇〇店はスープに骨を足している」などという噂もちらほら出ているが、そういう事実はない。かつての決まりの緩い時代にはそういうこともあったかもしれないが、いまはあり得ない。
かつては総本店ではお店でスープを炊いていた。しかしいまはオールセントラルなのでどこで食べても変わらない。味がブレないことを目標にしても、最終的に人が調理するものだから、少しは変わるもの。
それでも、最後に手をかけるほうがおいしくなるので、お店で食べるものならば手をかけようと、そこは許容範囲の個性になっている。
人気の「こってり唐揚げ」はいまもお店で手仕込みしている。仕込みが大変で手間がかかるが、「からあげグランプリ」でも金賞を受賞するほどの高評価だ。

同書より転載
フランチャイズのオーナーからはセントラルキッチンで仕込めないかと問い合わせがあったが、いまも店舗での手仕込みを続けている。それだけ手間をかければおいしくなって評価されるものだからだ。
「天下一品」に似ているお店が
なぜ出てこないのか?
「天下一品」がこれほどまでに人気なのに、他に似たようなラーメン店が出てこないのは長年私の疑問だった。
ラーメン業界は何かが流行ればすぐに似たようなお店が出てきて、ブーム化していくものだ。しかし、「天下一品」に限ってはその動きがまったくみられなかった。
創業のころは別として、現在は製造の規模が大きいので、これを他店で真似しようにもなかなか難しい。使う材料の量や仕込む時間などスケールが違う。これを1つのお店の一商品でつくれといっても難しいのだ。
ユーチューバーが「天下一品」のラーメンをつくってみようという企画をよくやってレシピを紹介しているが、「天下一品」側は意に介さない。似たようなところまではうまくいっているかもしれないが、製造規模の時点で再現は不可能だとわかっているからだ。
もっと言えば、万一同じようなものがつくれたとしても、売り物にはならない。材料を入れすぎて、1杯数千円もらわなければ採算が合わないことになってくるだろう。
逆に、まったく同じ味は真似できないという絶対的な自信があるから、監修商品は積極的に広げていっても問題ないと判断している。
キンレイの冷凍ラーメンや、ローソンで発売したチルド麺、サッポロ一番のカップ麺など、どれももちろんおいしいが、「天下一品」そのものではもちろんない。特にキンレイの冷凍ラーメンは驚くほどクオリティが高く、これはお店側も焦ったのでは?と予想したが、まったくそんなことはなかった。
「こってり」は、パンチがあって一回食べたら忘れられず、そして一度インプットされたら記憶に残り続けるので、あちこちに「天下一品」の監修商品でロゴを散りばめておくことで、お店の集客につながるという戦略なのだ。
これは「天下一品」の強みである唯一無二の味だからこそできる戦略だ。
「こってりラーメン」はラーメンではなく
「天下一品」という食べ物
ファンからは「天下一品」はそれ自体がジャンルであると言われる。
こってりラーメンはラーメンではなく「天下一品」という食べ物だ、と言う人もいる。
それもあって、ラーメンフェスなどのイベントは一切断っていた。「天下一品」1店舗だけの出店であれば検討することもあるが、他店と横並びでイベントに出ることは避けてきた。
いまでこそランキング番組の常連になっているが、会長は他店と比べられることを嫌っていた。別に悪いことを言われようと、ボロクソに叩かれようと、それは「天下一品」に対して言われていることなので都度向き合うが、「他と比べて……」とか、「ランキングで何位」といったものからは明確に距離を置いてきた。よそはよそ、うちはうちという考え方だ。
「天下一品」のこってりを食べたことがある人であれば、あのスープがすべてを物語っていることがわかるだろう。他に影響されていたら、あのこってりは絶対にでき上がらない。だからこそこってりは命なのだ。
会長はラーメン界のトップに立ちたいという気持ちもなかった。これだけ評価されていたら1位を獲りたい、表彰されたいという気持ちがあっても不思議ではないだろう。しかし、会長は名誉にはまったく興味がない。
だからといって、ランキングの企画に出て2位や3位だと、激怒することは間違いない。負けず嫌いの性格もわかっているから、そもそもそういったものにはかかわらないと決めているのだ。そんなことよりも、お客さんにおいしいと思ってもらえるかどうかだけを考えたい。
時代に取り残されるのは嫌なので、いま流行りの行列ができている新しいお店には貪欲にハシゴしてでも回っていた。こってりの人気は揺るぎないものとしてあるが、その他は時代に合わせて変わっていかなければならない。そのためには新しいものも取り入れてつねに研究しておくことが必要なのだ。
過去に直営店だけで出しているオリジナルメニューはすべて会長が一から考えて開発していた。他店の研究はこうしたメニューの開発にも活きている。
修学旅行の定番スポットとなった
京都北白川の総本店
さらに、会長が「天下一品」を「ご当地ラーメン」として売り出さなかったことにも注目したい。
「京都ラーメン」として「本家 第一旭」や「新福菜館」などがご当地ラーメンとして紹介されることは多いが、「天下一品」はあくまで「天下一品」であって、「京都ラーメン」という感じはしない。
一般的に、地方から首都圏に進出してきたチェーン店は「ご当地ラーメン」として出てくることが多い。「博多一風堂」や「一蘭」は博多とんこつラーメン、「坂内」は喜多方ラーメン、「ラーメン魁力屋」は京都ラーメン、といった具合だ。
一方、「天下一品」はのれんで「京都北白川発祥」というふうには謳っているものの、「ご当地ラーメン」としては認識されていない。明らかに独自の立ち位置なのだ。
一方で、「天下一品」は“京都のラーメン”としては代表選手中の代表選手だ。各都道府県の代表的なラーメンを当てるクイズでは、必ずといっていいほど京都で「天下一品」が出題される。
いまでは「天下一品」の総本店は修学旅行でも観光地化している。タクシーに乗って多くの学生が訪れるという。数々の観光地がひしめき合う京都で、1つのラーメン店が選ばれるというのはすごいことである。

同書より転載
京都を舞台にした日本テレビ系ドラマ「相続探偵」(赤楚衛二主演)では、京都の町を紹介するシーンで哲学の道、清水寺、京都大学とともに「天下一品」総本店がセリフ付きで紹介された。金閣、銀閣、京都タワーなどを差し置いての採用に広報担当も驚いたという。
似ているラーメンがない
京都の“一匹おおかみ”
京都には食べ物だけでみても、おいしいものは山とある。
そのなかで京都の代表として選ばれたことは、「天下一品」のやってきたことが間違いでなかったという証明であり、人々に愛されている証拠である。木村会長はこの報告を聞き、それはそれは喜んだ。
ではなぜ「天下一品」はご当地ラーメンとして認知されなかったのか。
それは「天下一品」に似ているラーメンがないからである。
「天下一品」に影響されてか、京都には鶏白湯のお店が広がっているが、やっぱり「天下一品」とはまったく違う。「天下一品」は“鶏白湯”という言葉が生まれる前からこってりをつくっていたし、こってりは決して鶏白湯という括りにはハマらない個性的な1杯である。

『 天下一品 無限の熱狂が生まれる仕掛け 』(井手隊長著・天下一品監修、日本実業出版社)
「天下一品」は京都発祥であることには間違いないが、他とはまったく違う一匹狼の存在なのだ。もっと言えば、首都圏の人であれば、京都発祥とは知らずに食べている人も多いはずだ。
いまでこそ「天下一品」があるので京都に濃いラーメンがあることが当たり前かもしれないが、薄味文化の京都において「天下一品」のラーメンは稀有な存在であった。薄味文化のなかでこんなに濃いラーメンが売れたのはすごいことだ。それは、ある意味京都府民の逆ギレ的な売れ方だった。
会長が他にないものを研究した結果、摩訶不思議なだれも食べたことのない代物ができた。よその屋台でやっているのもたいがい同じようなラーメンばかりだったし、とにかく差別化しなくてはともがきにもがいて生み出した発明品、それが「天下一品」のこってりなのである。