「東京怖い」で狛江を選んだ19歳少年の40年後

狛江駅北口徒歩1分の「エコルマ1(ECORMA 1)」。エコルマホール(狛江市民ホール)のほか、スーパーのOdakyu OXや無印良品、家電量販店などが入る商業施設(筆者撮影)
小田急線は、小田原線、江ノ島線、多摩線の3路線を合わせた小田急電鉄の総称だ。約120.5kmにおよぶ沿線には、さまざまな魅力をもつエリアが広がっている。ひと言ではなかなか形容しにくい魅力があるが、本稿ではあえて沿線の狛江・喜多見エリアをピックアップする。
【画像39枚】緑も畑も残る狛江、"小さな新宿"新百合ヶ丘、他にもアニメの聖地の街が…魅力にあふれる小田急沿線のようす

(出所:小田急電鉄HP)
前編では、東京都にある狛江駅と喜多見駅の中間に17年以上住み続けているフリーランスのグラフィックデザイナー、コマツヒロノリさん(59)に、小田急線の沿線としての魅力や弱み、生活利便性などを聞いた。
後編では狛江・喜多見エリアにより焦点を当て、コマツさんが最初にこの沿線を選んだ理由や、他路線から再びこの路線に戻ってこようと思った経緯、長く住んで感じたことなどをライフストーリーからひもといていく。
お小遣いを握り締め、実家のある熱海から小田急線で新宿駅へ
1966年、静岡県熱海市に生まれたコマツさん。熱海から東京方面へは東海道新幹線か在来線の東海道線を使うのが一般的で、両親に連れられて東京に出かける際は東海道線をよく利用していたそうだ。

インタビューに応じるコマツヒロノリさん(筆者撮影)
成長してひとりで行動するようになったコマツ少年は、もうひとつのルートを使うようになった。熱海駅から東海道線で小田原駅まで行き、小田急線に乗り換えて新宿駅に出るルートだ。
「2時間ぐらいかかるけど、そのほうが東海道線で東京駅に出るよりも運賃が安かったんです。お小遣いが少なかったから、自分で行くとなるとどうしても安いほうになっちゃう。だから自分の中では『東京』といえば『新宿』で、『東京に行く電車は小田急線』という思い込みが昔からあった。ひな鳥の刷り込みのようなものですね」
しかもコマツ少年にとっては、東京駅より新宿駅のほうがずっと楽しかった。百貨店の並ぶ東京駅周辺では子どもに買えるものは少なかったが、新宿駅西口の家電量販店にはお小遣いで手が届く商品がたくさんあった。見て歩くだけでもワクワクする。「ヨドバシカメラで初めてウォークマンを買ったんですよ」と、コマツさんは当時を懐かしむ。
進学を機に同郷の友人と喜多見〜狛江エリアで暮らす
19歳になると、御茶ノ水にある東京デザイナー学院(現・東京デザイナー・アカデミー)に進学するため上京。小田急線の狛江周辺に住み、電車に乗る際は喜多見駅を利用した。なぜこの場所だったのか。

喜多見駅南口の様子(筆者撮影)
「田舎者にとって東京は怖いところです(笑)。だから、少しでもなじみのある路線のそばがいいなと思って。専門学校は御茶ノ水駅にあったので、新宿駅で中央線に乗り換えれば一本で通えます。喜多見駅は各停駅だけど、ひとつ隣は急行の止まる成城学園前駅。通学時間は50分程度でほとんど変わらないうえ、家賃も安かったから決めました」
加えて、もうひとつ大きな決め手があった。少し前に、高校時代の友人が喜多見駅周辺でひとり暮らしを始めていたのだ。知らない人ばかりの東京で暮らすなら、友だちと近い場所がいい。不動産屋を回って見つけたのが、狛江の四畳半風呂なし、家賃2万円の部屋だ。
やがて同じように考えたのか、高校時代の仲間が数名、喜多見〜狛江エリアに引っ越してきた。友だちの部屋を順番に回ってはファミコンなどで遊び、学生寮さながらの日々を過ごした。慣れない土地に気心知れた仲間がいるという安心感は、東京での暮らしを支える大きな力だった。

狛江の風呂なしアパートに住んでいたときによく通った銭湯「お湯どころ野川」。今も健在で営業中だ(提供:コマツさん)
専門学校を卒業後、新宿御苑前駅にあるデザイン会社に就職。小田急線で新宿駅に出て丸ノ内線でふた駅。引っ越す理由はなく、そのまま狛江での暮らしを続けた。ところが数年後、アパートの大家から突然「建物を取り壊すことになった」と告げられる。通勤環境をあまり変えたくなかったコマツさんは、近場で風呂付きの物件を探し、都内の喜多見駅から3駅離れた神奈川県の登戸駅周辺に転居した。
「敷金・礼金を出す」の言葉に惹かれ、都営新宿線の曙橋駅周辺へ
その4年後、再び転機が訪れる。登戸でもまた、大家から「建物を取り壊すから出て行ってくれ」と言われてしまったのだ。
今度は、次に住む先の敷金・礼金を出してもらえるという。それならばと、コマツさんは都営新宿線の曙橋駅近辺に引っ越すことにした。理由は「職場まで歩いて行ける場所だったから」と、いたってシンプルだ。
加えて、当時の雑誌制作ではラフや写真のフィルムの受け取り、仕上げたレイアウト用紙の引き上げは編集部と手渡しでやり取りするのが通例。いずれフリーランスになることを考えると、都心に拠点を構えておきたいという思いもあった。
30歳の頃、フリーランスに転身。曙橋には14年ほど住み続けたが、結婚を機に2人で暮らせる物件を探すことになる。曙橋で暮らすうちにインターネットが普及し、仕事のやり取りはデータ入稿が当たり前に。都心に住み続ける必要がなくなり、街選びの選択肢は大きく広がった。
「家賃相場12万円から13万円前後で同心円的に探すと、京王線なら国領駅や調布駅あたりが候補でした。中央線だと三鷹駅でも厳しく、立川駅や八王子駅まで行かないと同じ価格帯にならなくて。だから住む街の雰囲気が肌に合うかどうかを重視して、妻と2人で候補地をいくつか見て回りました」
「もう一度住みたい」と思っていた狛江へ戻る
ところが、なかなかピンとくる街が見つからない。街歩きを続ける中で、提案したのがかつて住んでいた東京都の狛江だった。

狛江駅の看板(筆者撮影)

狛江駅北口のすぐそばには広場があり、竹林が広がる(筆者撮影)
「『狛江が好きなんだよね』と言いながら狛江〜喜多見エリアを案内したら、妻がこの辺りの雰囲気を気に入ってくれました。緑と住宅街のバランスがいいって」
筆者が「狛江は高校時代の仲間との思い出がある場所ですしね」と言うと、コマツさんは頷きながらも「実は」と言葉を続けた。
「狛江って、生まれ育った熱海にどことなく似てるんですよ。私が育ったのは熱海の市街地ではなかったので、周りには山と海、あとはみかん畑しかない。
狛江は前を見れば山の代わりに成城の丘、後ろを向けば海の代わり多摩川があります。緑がそれなりに残っていて、畑もある。そんな風景が熱海とかぶって、落ち着くんです」

「きたみふれあい広場」に上がる階段から成城の丘方面を見た風景(提供:コマツさん)
1回目に狛江を出ていくとき「もう一度ここに住めるといいな」と思ったそうで、その願いは結婚という人生の転機とともにかなったことになる。
狛江駅と喜多見駅を用途に合わせて使い分ける生活
現在、コマツさんは狛江駅と喜多見駅のちょうど中間あたりに住んでいる。両駅をうまく使い分けることで「もう引っ越したくないレベルで便利」な生活を送っているという。
使い分けの基準は明快だ。病院に行くなら喜多見方面。駅前には複数の個人医院が集まるメディカルビルが何棟もあり、内科や眼科、皮ふ科、整形外科などを受診できる。日々の買い物も喜多見方面が多い。業務スーパーやサミットのほか、信濃屋、たぐちフーズといったスーパーがあり、それぞれの安さを比較しながら散歩がてら買い物しているそうだ。

喜多見駅前にあるメディカルビル。奥のほうにも別のメディカルビルがある(筆者撮影)
一方、本を買うなら狛江駅だ。かつて駅ビルの中にあった啓文堂書店が、駅前商業施設の改修で一度閉店してしまった。狛江・喜多見から本屋が消えてしまったとショックを受けたが、市民有志の働きかけにより復活。現在は新しい区画で「紀伊國屋書店」として営業している。
「こんなご時世に本屋が復活してくれたんですよ。すごくうれしくて。仕事柄、本屋は欠かせない存在なんです」
狛江にはほかにもファッションセンターしまむら、100円ショップのセリアなどが入る商業施設「ECORMA 1(エコルマ1)」があり、日常的な買い物もここで完結する。

狛江駅北口徒歩1分の「エコルマ1(ECORMA 1)」。エコルマホール(狛江市民ホール)のほか、スーパーのOdakyu OXや無印良品、家電量販店などが入る商業施設(筆者撮影)
電車の音が気にならない、落ち着いた住環境
落ち着いた住環境も、この街の魅力のひとつだ。線路の高架化に伴い騒音・振動対策が施されており、線路のすぐそばでも驚くほど穏やかな環境が保たれている。取材当日、コマツさんと一緒に線路沿いを歩いたが、頭上を電車が通っても会話は途切れず、声もはっきり聞こえた。線路沿いの家でも、窓さえ閉めれば電車の存在を忘れてしまうのではないだろうか。

小田急電鉄喜多見電車基地の上につくられた「きたみふれあい広場」。暖かい季節には緑に包まれる(提供:コマツさん)
この穏やかな街の雰囲気は、平日も休日もほとんど変わらないそうだ。「住宅地だし、休日だからといって人通りが増えるわけでもない。家族連れが普通に買い物してるぐらいですかね」とコマツさん。
休日に少し足を延ばしたくなったら、妻と一緒に小田急線を下って新百合ヶ丘駅へ。「イオンシネマ新百合ヶ丘」で映画を観て、駅前の商業施設で買い物をして帰ってくる。

新百合ヶ丘駅前の様子。左手に映画館の入る「イオンスタイル新百合ヶ丘」が見える(筆者撮影)
「都心で映画を観るより空いてるから、新百合ヶ丘によく行きます。駅前にたくさん商業施設があって、まるで小さな新宿みたいな感じ。駅周辺で買い物がすべてまかなえるのがありがたいですね」
小田急沿線は特撮やアニメの聖地ともいえるエリア
コマツさんには、もうひとつの顔がある。子どもの頃からウルトラマンや仮面ライダー、ゴジラが大好きな、筋金入りの特撮・アニメオタクだ。
「最初に狛江に住んだときにはまったく気づかなかったのですが、結婚を機に戻ってきて、改めて周囲を見回して驚きました。自分が暮らす小田急沿線は、特撮やアニメなどの聖地ともいえるエリアだったんですよ」
祖師ヶ谷大蔵駅周辺には、ウルトラマンを生んだ「円谷プロダクション」があった。駅前広場には巨大なウルトラマンの像がそびえ立ち、3つの商店街からなる「ウルトラマン商店街」のあちこちに、ウルトラマンシリーズのヒーローたちの像やモニュメントが点在している。
成城学園前駅には映画『ゴジラ』シリーズが撮影された「東宝スタジオ」、登戸駅には「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」。そして生田駅には「仮面ライダー」初期シリーズの撮影拠点となった「東映生田スタジオ」があった。

祖師ヶ谷大蔵駅北口の広場には「ウルトラマンシンボル像」がそびえ立つ(筆者撮影)
「この沿線は、特撮やアニメのメッカなんですよ。しかも全部近い。このあたりにギュッと集まってるんです。なぜ最初に住んだときに気がつかなかったんだろうと思うぐらい」
狛江も、そのひとつだ。周辺に撮影所が多かったことから、昔からドラマや映画の撮影がよく行われていた。とくに多摩川の河川敷や五本松周辺は、自然豊かな景観を利用して時代劇や戦隊もののロケ地になっていた場所だ。時代劇のヘアメイクで知られる「山田かつら」の拠点も、狛江にある。

特撮や映画のロケ地として知られる多摩川の五本松(提供:コマツさん)

映画や時代劇、バラエティ番組など多くの映像関係のかつらを手がける「山田かつら」。狛江に本社を置く(筆者撮影)
「ウルトラマン、仮面ライダー、ゴジラ。もう原点ですよ。日本各地にアニメや企業とタイアップした聖地があるけど、ここはそうじゃない。本物の原点がこの沿線に集まってるんですよね」
コマツさんは「新宿に縁があると思っていたけど、ここにも呼ばれたんじゃないかな」と笑みをこぼす。
小田急線が大好き。またこの沿線を選びたい

「エコルマホール」の近くに、コマツさんが制作したポスターが! コマツさんと一緒にパチリ(筆者撮影)
最後に、コマツさんにもう一度ゼロから住む場所を選ぶとしたら小田急線を選ぶかと尋ねてみた。
「小田急線が大好きなので、できればこの沿線に住みたいですね」
子どもの頃に抱いていた「おしゃれでカッコいい」小田急線のイメージは、沿線で長年暮らしてきた今も変わらないそうだ。
現在の住まいは賃貸で、将来の予定はまだない。狛江や喜多見という今のエリアからは離れるかもしれないが、それでもやはり小田急沿線を選びたいという。コマツさんの小田急線との縁は、まだまだ続きそうだ。