なぜ地方の施設は「クルマでしか行けない場所」にできるのか? 「免許がない人=客ではない」ということ? 東京都民が知らない地方の現実とは
都会と地方の観光常識の断絶
地方を訪れると、都市で当たり前と思っていた移動の感覚が通じない場面に出会う。そうした違いが、2026年2月末、SNSで思わぬ形で議論になった(以下のつぶやきは、読みやすさを重視してリライト済み)。
【画像】インターチェンジの近くに「ラブホテル」がやたらと多い理由
発端はひとりの利用者の素朴な疑問だった。「各地から人を集める施設なのに、車でしか行けない場所に作るのは、自分たちしか使えないのではないか」。
この投稿は注目を集め、X(旧ツイッター)のまとめサイト「トゥギャッター」では「「免許がなければ客じゃない」?なぜ人を集める施設を不便な場所に作るのか?観光に不便を感じる都会民と、住んでいるからわかる地元民の声か」という題で、多くの意見が集まった。都会の旅行者の戸惑いと、地元の人の感覚。その差が、コメントのなかにそのまま現れていた。
旅行者からはこんな声が出る。「最寄り駅から5km離れ、バスもない。18切符で来ると訪ねるのが難しすぎる」。一方、地方側は別の見方をする。「都会の人は、どうしてどこでも電車で行けると思うんだろう」。
さらに現場を知る人からは、もっと冷めた意見もあった。「どこに作っても、1年後には車で来る客がほとんどになる」。
ここで起きているのは、ただの感情のぶつかり合いではない。施設をどこに建てるかという判断の裏側に、何を優先するのかという現実が見えてきただけだ。いわゆる不便な場所を選ぶのも、偶然ではない。そこには収益を見込んだ計算がある。
車で来る人に合わせた立地を選ぶこと。それが地方では、稼ぎを支える現実的なやり方になっている。制度の条件、移動手段の状況、そして市場の動き。いくつもの事情が重なり、その形が生まれている。
では、その選択は何をもたらしているのか――どんな利益を生み、どんな代償をともなうのか。背景にある事情を、制度、移動手段、市場の三つの視点から見ていきたい。
地方観光が抱える三つの構造リスク

「「免許がなければ客じゃない」?なぜ人を集める施設を不便な場所に作るのか?観光に不便を感じる都会民と、住んでいるからわかる地元民の声か」(画像:トゥギャッター)
施設の立地を決める際、地方ではいくつもの壁にぶつかる。その多くは公共交通の状況、土地の事情、そして地域の客層に関わる。
まず無視できないのが、公共交通の力が弱まっている現実だ。地方ではバスドライバーの不足が続き、鉄道の本数も減っている。移動の足としての役割が徐々に細くなっているのだ。SNSでもこんな声があった。
「バスドライバーを集めてシャトルバスを走らせる時代は、もう終わりかもしれない」
現場に近い人ほど、そう感じているらしい。多くの人が頼る交通手段に左右される立地は、運行が止まれば来客も止まる。運営側にとって、外部の事情に売り上げを委ねるのは大きな不安材料となる。2026年の国内旅行者数は3億700万人と前年比97.8%に留まる見込みで(「JTB」2026年1月8日発表)、旅行者パイの縮小も脅威を増幅させる。
もうひとつの課題は、駅前開発にともなう交渉の重さだ。駅周辺の土地は多数の所有者にわかれており、SNSでも
「駅前は立ち退きでとにかくもめる。頑として動かない人もいる」
との声があった。実際、話し合いがまとまるまで長い時間を要する場合も少なくない。土地の値段も高く、郊外の農地と比べると価格は大きく下がる。条件が整えば行政が地域振興の名目で開発を認め、投資も早く動き出す。しかし資金の回転を重視する経営者にとって、数十年かかるかもしれない駅前開発に踏み切るのは容易ではない。
さらに客層の問題も無視できない。地方の施設は地元住民の利用で支えられることが多く、年に一度の旅行者よりも、月に何度も訪れる常連の方が売り上げに直結する。地方では移動の多くが車になるため、公共交通の通る場所に大規模施設を作れば、週末の道路は渋滞し、生活への影響も避けられない。結果として、駅近よりも広い駐車場を確保できる場所が優先される。
こうした現実から、施設はバイパス沿いや高速道路の出入り口近くに集中しやすい。事業を維持するため、最も合理的な選択をした結果である。
郊外立地が生む収益構造

地方イメージ(画像:写真AC)
郊外という場所は、やむを得ず選ばれているわけではない。むしろ、そこには明確な収益の見込みがある。
まず、圧倒的な駐車場の広さが売上に直結する。車一台の来場は平均して3人から4人の客を運ぶ。駅前では数百台分すら確保できないが、郊外なら1000台や2000台規模の駐車が可能になる。
さらに重要なのは、客が持ち帰る荷物の量だ。鉄道利用者は手で持てる分しか買わないが、車の客はトランクが埋まるまで買い物を続ける。この容量の差が、物販における客単価を大きく押し上げる。2026年の国内旅行の平均費用は5万2900円(前年比102.9%)に達し、国内旅行消費は16兆2300億円にのぼる(同)。一客あたりの購買力を引き出すことが、勝負のわかれ目となる。駐車場は、巨大な買い物かごとしての役割を果たすのである。
さらに、道路網との相性も良い。地方では鉄道より高速道路の流れに沿って移動圏が形成されることが多い。車で30分から1時間半の範囲に住む人たちが、ひとつの商圏をつくる。この視点に立てば、「駅から遠い」という指摘は意味を持たない。車が主な移動手段である地域では、施設への入口は駅の改札ではなく、高速道路のインターチェンジ(IC)になる。出入り口近くに店を構えることは、かつて駅前に店を出すのと同じ感覚といえる。
敷地を広く使える点も見逃せない。駅前では土地の狭さや法律の制限、駐車場不足の影響でできることが限られるが、郊外なら事情は異なる。アウトレットモールや大型道の駅のように、都市では難しい規模の施設をつくれる。広い敷地があれば、客は長く滞在する。結果として消費も増える。この体験型の施設は、郊外だからこそ成立する。
車で移動する家族や高齢者にとっても利便性は高い。車内は自分たちだけの空間で、周囲を気にせず移動できる。この気楽さが、多少不便な場所でも足を運ばせる理由になっているのだ。
地方観光の構造的ジレンマ

地方イメージ(画像:写真AC)
郊外という場所は、経営の面では理にかなっている。だが、その裏側には見過ごせない矛盾もある。
まず、インバウンドとの相性が良くない。2026年のインバウンド数は4140万人(前年比97.2%)と予測されるが(同)、その多くは鉄道と徒歩を組み合わせて移動する。車でしか行けない施設は、こうした需要の多くを取りこぼす構造になっている。拡大するインバウンド市場の潜在力を、自ら制限してしまう形だ。
「鉄道は効率が悪い。人口が増えないと成り立たない」
という意見もあった。確かに、利用者が減る地域では鉄道を維持すること自体が難しい。しかし、その事情があるほど、鉄道を頼りに旅をするインバウンドとの距離は広がりやすい。
もうひとつ気になるのは、若い世代との関係だ。都市部では免許を持たない若者が増えている。車を前提とした施設ばかりが増えれば、彼らが訪れるきっかけは減る。長期的には、市場の縮小につながりかねない。
地域によっては歩み寄りの動きもある。駅前にレンタカー店を置いたり、電気自動車(EV)を貸し出したりする取り組みだ。だが現場の声は厳しい。「レンタカーは夕方に閉まる」「EVは目的地に着く前に電池が切れた」。移動手段は十分とはいえない。
さらに、郊外施設の集中は地域の公共交通にも影響を及ぼす。駅前通りの人通りは減り、周囲の店も元気を失う。鉄道利用者が減れば本数はさらに減り、交通そのものが細くなる。
目先の収益を優先した結果、地域の移動の土台が弱まる。効率を追うほど、車を持たない人は市場の外へ押し出される。
「車の社会ができあがっている以上、その上で動くしかない」
現実はそうかもしれない。だが、その背景には、車を持たない人を切り離さざるを得ない事情が潜んでいる。
郊外立地の利益と代償

地方イメージ(画像:写真AC)
立地を決める場面では、目先の利益を取るのか、それとも将来の広がりを見据えるのか。このふたつの間で判断を迫られることになる。
郊外に拠点を置く利点ははっきりしている。土地の取得費を抑えやすく、広い駐車場を確保できる。広い範囲から車で来る客を呼び込みやすい。
「どこに建てても、結局は車の客しか来なくなる」
そんな声が出るのも無理はない。経営者の目には、車で来る客に絞る方がいちばん確実に映る。
ただ、その選択には別の面もある。公共交通で動く人やインバウンド、そして車を持たない若い世代は、客の想定から外れてしまう。今の経営を安定させる代わりに、これから広がるかもしれない市場を手放す判断でもある。
「完全なクルマ社会だから、免許を持たない人の存在が見えない」
そうした指摘は、地方の意思決定のあり方をよく表している。車を運転しない人は、最初から市場として数えられていない。
駅前に拠点を置く案が理想に近いのは確かだ。だが、実際に進めようとすれば費用も時間も大きく膨らむ。結果として、
「免許がない客は客ではない」
という状態が生まれる。これは運営側の理解不足というより、収益を最大化しようとする判断の帰結だろう。
今すぐ稼げる形を優先するのか。それとも将来の客との関係を残しておくのか。地方の立地判断には、こうした重い対立が横たわっている。
観光開発の三つの進路

地方イメージ(画像:写真AC)
将来に向けてこの状況を変えようとするなら、進む道はいくつかにわかれる。
ひとつは、駅周辺の開発に公的な関与を強めるやり方だ。ふかや花園プレミアム・アウトレット(埼玉県深谷市)のように、
「無理くり駅とバス路線を作って建てる」
という手法がその例といえる。鉄道の本数が1時間に1~2本という厳しい条件でも、行政と企業が足並みをそろえ、新しい拠点を生み出す。
駅前には複雑な権利関係が残りやすい。広い滞在場所を確保し、車での来場も受け止めるとなれば、地主との交渉を乗り越える強い意思がいる。駅前という場所を守りながら、車社会の現実にも向き合う。簡単ではない取り組みだ。
別の道もある。駅から施設までの移動を支える仕組みを徹底して整える方法だ。大洗のように、駅前でレンタサイクルやトゥクトゥクを用意し、不特定多数の客を迎える形がある。自動運転や無人移動を取り入れ、足りない交通手段を補えば、免許を持たない人やインバウンドでも、自家用車に近い感覚で訪れやすくなる。
もうひとつの道は、車の利用を前提に地域づくりを突き詰める方向だ。
「物流施設か工場のつもりで作る」
そんな感覚で、道路のアクセスを第一に据えた開発を進める。駅を拠点とする発想を離れ、高速道路のIC周辺を地域の中心に位置づける形だ。
EVの共同利用を広げ、広い道路網を備えた大きな拠点を集めて整える。駅ではなく、高速道路の出入り口を地域の入り口として扱う考え方になる。地方の車社会という現実に沿った道、といえるかもしれない。
地方観光モデルの転換点

地方施設の郊外立地と合理性。
繰り返しになるが、地方の施設が、車でしか行けない場所に建つことが多い。理由は明快だ。その方が利益を上げやすいからである。
これは経営を成り立たせるための、計算の結果だ。
「県外の客も車で動く。だからそれで十分。来ないのは都会の人だけ」。そんな声も聞かれる。地方の側から見れば、今の形は理にかなっている。都会の人は
「なぜどこでも電車で行けると思うのだろう」
と不思議がることがある。だが、地方ではその前提が通じない。両者の感覚には大きな隔たりがある。
「車社会が出来上がった以上、その上で動くしかない。変えるなら、根本からひっくり返すしかない」。こうした現実がある以上、この流れは簡単には止まらない。
ただ、その選択には別の面もある。車を持たない人やインバウンドが、客の想定から外れてしまうからだ。今の収益を優先して郊外を選ぶのか。それとも、長い目で見た広がりを考え、別の形を探るのか。
地方はいま、これまでのやり方を続けるのか、それとも仕組みを変えるのか。そのわかれ目に立っている。