「残クレアルファード」はなぜ社会に浸透したのか?──身の丈を超えた購買を生む欲望の正体、現代思想から考える

模倣欲望と購買行動

 インターネット上では、高級ミニバンのアルファードをめぐる議論が続いている。とくに残価設定ローン(残クレ)を使った購入については、自分の収入を超えた負担だとする批判と、将来の下取り価格を見込んだ現実的な選択だとする肯定的な見方が強くぶつかっている。

【画像】インターチェンジの近くに「ラブホテル」がやたらと多い理由

 ただ、こうした議論は目に見える損得に集中しており、その背後にある動きには十分に目が向いていない。この現象を理解するには、思想家ルネ・ジラールが示した模倣欲望という考え方が重要になる。

 人は車そのものを欲しているわけではない。他者がその車を持ち、満足している様子や社会的なふるまいに引かれ、その状態を自分も手に入れたいと感じている。アルファードという大きな記号は、自分に足りないと感じる価値を補うための対象になっている。他者の欲求をなぞる動きが、結果として道路沿いに特定の車種が広がっていく背景になっているのだ。

ジラールが示す欲望の構造

模倣欲望と購買行動, ジラールが示す欲望の構造, 残クレと支払い感覚の変化, 他人の目に左右される選択, 集中構造と市場の連鎖, 情報開示と支払い構造の見直し

ルネ・ジラール『欲望の現象学』(画像:法政大学出版局)

 ジラールは1923年から2015年まで生きたフランスの思想家だ。彼は1961年に出した最初の著作『欲望の現象学』で、人の欲望は自分の内側から自然に生まれるものではないと述べた。人が何かを欲するのは、身近な誰かがそれを欲しがる様子を見て、その姿をなぞるところから形づくられるという考えである。ここには、自分という主体、手本となる他者、そして対象の三つの関係があり、これを「欲望の三角形」と呼んでいる。

 ジラールの考え方は、今の経済や政治の場面でも注目されている。たとえば、シリコンバレーの投資家ピーター・ティールは、学生時代にジラールの考えに触れ、それを社会を見る土台としてきた。ティールは、市場での激しい競い合いを、他者の欲しがるものを追いかける流れの結果としてとらえ、その連鎖から距離を取ることの大切さを語っている。

 人がアルファードを欲しがる背景も、この形と重なる。車そのものへの関心よりも、それを持つ人が見せる満足感や社会のなかでの立ち位置に引かれている面がある。欲望は他者を通して形づくられ、自分に足りないものを埋めるために他人の欲しがるものを追っていく。

 特に、手本となる相手が自分と近い暮らしの層にいる場合、その思いは強い競争へと変わりやすい。自分と似た者を真似ようとするほど、周りとの違いが見えにくくなり、同じ対象を求める流れが広がって、終わりのない取り合いが強まっていく。

残クレと支払い感覚の変化

模倣欲望と購買行動, ジラールが示す欲望の構造, 残クレと支払い感覚の変化, 他人の目に左右される選択, 集中構造と市場の連鎖, 情報開示と支払い構造の見直し

欲望の三角形(画像:Merkmal編集部)

 日本の市場では、アルファードは成功を形で示す車として確かな位置を占めている。その背景には、金融の制度と市場の動き、そして車そのものの性格が重なっている。

 金融面では、車の価格の半分以上を数年後の支払いとして残す残クレが広く使われている。この制度は、月々の支払額を抑えることで、本来の収入では届きにくい車でも選びやすくし、今の支払い能力を実際より大きく見せている。ここでは、時間とともに下がるはずの価値を、あらかじめ数年後の金額として決めている。使う側は、価値が下がっていく現実を先に延ばし、今の自分が持つ以上の余裕を先に使っているのだ。

 さらに、手堅い需要に支えられた高い売却価格が、手放すときの不安を小さくしている。この価格の水準は、次も同じように車を持ち続けられるという見通しを生み、買い替えを続ける動きを後押ししている。車そのものも、大きな外形によって移動の道具という枠を超え、他人の目のなかで自分の位置を示す目印になっている。価値が下がることへの不安は、市場での見え方と重なる物を持つことで安心を得る動きにつながっている。

 問題の中心は、物そのものではなく、持つことで得られる他人の目を通じて自分を満たそうとしている点にある。支払い総額や利息の重さを見ず、月々の支払額の小ささに意識が向く姿は、成功した人のように見せるための思い込みでもある。全体の負担から目をそらすことは、自分の欲が周囲の真似だと認めないための心の動きでもある。

 遠い富裕層ではなく、身近な隣人が持つアルファードが自分を映す鏡となり、見えにくい差を突きつける。その不安をやわらげるために、周囲と似た負担を抱える方向へと動いていく。近い立場の他人は、本来の自分の在り方を示す基準のように働き、所有へのこだわりを強める。高い車の値段を将来の価値に置き換えることで、本来の収入では続かない暮らし方を受け入れる動きが広がっている。

 ここでは、自分で選んでいるように見えても、実際には売却価格を左右する市場の見方を取り込み、それに合わせて判断している。自分の考えによる選択は弱まり、周囲の真似をするだけの競い合いが起きているのだ。

他人の目に左右される選択

模倣欲望と購買行動, ジラールが示す欲望の構造, 残クレと支払い感覚の変化, 他人の目に左右される選択, 集中構造と市場の連鎖, 情報開示と支払い構造の見直し

車購入時に残クレを利用した全国の男女180人を対象に調査した「利用者の理解度と意識」(画像:株式会社スガワラくん)

 この制度は、個人の暮らしを楽にするための手段なのか。それとも、終わりのない真似の競争に人を閉じ込めるものなのか。運転席に座り、ハンドルを握っているのは本当に自分なのか。横に並ぶ他人の目に動かされ、気づかないうちにアクセルを踏まされてはいないか。

 残クレが見せる豊かさは、実際に持ち物が増えることにはない。周囲の真似を続ける役目を与えられている点にある。ここで得ているのは移動の自由ではなく、他人の評価の枠のなかにとどまる状態だ。将来の売却価格という他人の基準に合わせて車を持ち続けることは、自分の行動を他人にゆだねることに等しい。

 今問われているのは、他人の目に左右されずに物を選ぶ力を取り戻せるかどうかである。自分の収入に合った生活を守れるかどうかが問われている。自分の考えで欲しい物を選ぶ力を取り戻すための決断が必要だ。

 残クレを使ったアルファードの広がりは、暮らしの自由を広げる手段とは言いにくい。ジラールが示した、真似によって生まれる競争のなかに人を引き込む構造である。この金融制度は、使う人に成功者の役を一時的に与えている。本来ははっきりしているはずの持ち物との関係をあいまいにしているのだ。

 所有の形がメーカー側に残ることで、使う人は他人の評価に従う立場に固定される。自分が持ち主だと思っていても、実際には売却価格という外の判断に従い続ける存在になるだろう。

 お金の面では、売却価格への強い依存が、自分と同じように車を持とうとする人が次々に現れることを前提とした、続いていく流れを生んでいる。この流れは、自分より後に負担を引き受ける人を常に必要とする。技術の面でも、他人の目を引く見た目が優先され、使いやすさの向上は後回しになりやすい。その結果、移動を楽にするための進歩が進みにくくなる。この制度は、人が自分の考えで物を選ぶ余地を小さくし、市場の評価という他人の基準に合わせざるを得ない状態を生み出しているのだ。

集中構造と市場の連鎖

模倣欲望と購買行動, ジラールが示す欲望の構造, 残クレと支払い感覚の変化, 他人の目に左右される選択, 集中構造と市場の連鎖, 情報開示と支払い構造の見直し

ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』(画像:法政大学出版局)

 この主張を支える根拠は、市場の動きとジラールが示した理論にある。高い残価設定は中古車への需要を生み、その見込みが新車の価値を保つ動きにつながり、終わりのない流れを形づくっている。ジラールが1972年の『暴力と聖なるもの』で示した、集団の秩序を保つために同じ方向へとそろう動きは、今では特定の車種への強い集中として表れている。

 アルファードの大きな前面の形は、見る人の目を引く一方で、他人を寄せつけない強い印象を与える。それは、自分たちの領域を外の視線から守る働きを持っている。身近な人が持っているという事実は、自分の足りなさを強く意識させ、同じ立場に近づこうとして無理な負担を引き受ける動きを生む。

 販売ランキングの上位に、500万円を超える高い車が並び続けるのは、所得がそのまま増えた結果ではない。金融制度を使い、人々が欲しがる物の形をそろえ、市場の回転を保つ動きが続いていることを示している。周囲の真似をそのまま自分の欲として取り込み、個人の暮らしが市場を回すための材料として使われているのだ。

 残クレは資産を守る賢い選び方だという反論もあるが、それは制度の前提の一部だけを見ているにすぎない。残価が保たれるのは、メーカーが示す走行距離や車の状態といった条件を満たした場合に限られる。市場の変化や事故などの負担は、すべて使う側が引き受けることになるのだ。

 据え置き額を含めた総額には利息がかかり続ける重さがあるが、月々の支払額が小さく見えることで、その負担は意識の外に置かれる。この制度は、自分が周囲の真似をしている事実を受け入れないための正当化として働いている。ジラールが指摘したように、人は自分の選択が正しいと語ることで、手本となる他人への従属を隠そうとする。

 賢い資産運用という言葉を使いながら、実際には周囲と同じ水準を保つための高い負担を払い続けている。一見すると合理的に見える選択の裏で、社会の制度を回す役割を引き受け、自分の将来の時間や働く力を差し出している。この矛盾を直視する必要があるのだ。

情報開示と支払い構造の見直し

模倣欲望と購買行動, ジラールが示す欲望の構造, 残クレと支払い感覚の変化, 他人の目に左右される選択, 集中構造と市場の連鎖, 情報開示と支払い構造の見直し

高級ミニバン現象の構造。

 この真似の流れから離れ、まともな産業と消費の形を取り戻すには、いくつかの具体的な動きが必要になる。まず制度の面では、月々の支払額の小ささだけを強く見せるのではなく、数年にわたる利息の合計や最終的な支払総額を同じように分かりやすく示すことが求められる。情報をはっきりさせ、支払いの制度が判断をゆがめることを防ぐ環境を整えなければならない。

 事業者側には、売却価格の高さに頼る収益の形から離れ、移動そのものの使いやすさや質に基づいた定額の利用形態を広げることが求められる。見た目の良さを優先する買い方から距離を取る流れを作る必要がある。使う側は、車を自分を大きく見せるための物ではなく、暮らしを支える道具として見直すべきだ。

 ジラールが示したように、自分の欲が周囲の真似に支えられている現実に向き合うことが出発点になる。他人の目を前提にしない状態を受け入れ、自分の基準で物を選ぶ力を取り戻すことが重要だ。見せ方に頼るのではなく、自分の暮らしの実態に合った選び方へ戻る必要がある。周囲と同じ物を持つことに価値を置くのをやめ、中古車や実用的な車を使いこなすことに、行き過ぎた真似から抜け出す道を見出すべきだ。

 五年から十年後、この真似を支えてきた制度は終わりを迎える可能性がある。電気自動車への切り替えや自動運転の実用化が進むことで、今は価値が高いとされる大きなエンジンや豪華な内装は、急速に時代遅れのものになる。次に同じ形を欲しがる人がいなくなれば、将来の売却価格を前提とした資金の流れは止まる。

 人々の考え方は、移動の効率を重く見る層と、過去の象徴にこだわる層に分かれていく。流行が終わるとアルファードはあこがれの対象から落ち、消費のあり方を問い直すきっかけになる可能性がある。かつての称賛は冷静な見直しへと変わり、集団の判断基準が変化する。

 今、運転席で握っているハンドルが、数年先の自分の暮らしを考えた選択なのか、それとも周囲の真似を追いかけた結果なのか。その答えを出すための材料は、すでに目の前にそろっている。