モロッコヨーグル「機械が止まれば会社が死ぬ」

不具合も多い旧式機械と格闘、年間1000万個を製造, 運転中に「こんなんで、働きたくない」, 「継いでくれる人がいるんや」問屋の安堵が覚悟に, 説明書もない旧式機械、一時「製造不能」の危機に, 53歳で結婚、「75歳まで現役」を決意, 祖父の教えを貫き、モロッコヨーグルを作り続ける

「モロッコヨーグル」を製造するサンヨー製菓の3代目社長、池田光隆さん(写真:筆者撮影)

時代の流れとともに、静かに姿を消しつつある商売や職人仕事。子供の頃には当たり前にあった駄菓子や、町工場の繊細な技術が、気づけば「もうあそこでしか作っていない」と言われるようになっている。本連載「消滅寸前ビジネス」では、そうした貴重な技術、商品、商売にスポットを当て、現場を守る職人の技術と想いを深掘りする。第3回後編は前編に続き、象のイラストが目印の懐かしい駄菓子「モロッコヨーグル」を製造するサンヨー製菓を取材。「1個の利益わずか約1円」の駄菓子を製造し続ける3代目社長 池田光隆さんのキャリアと半生に迫る。

不具合も多い旧式機械と格闘、年間1000万個を製造

53歳で結婚し、1歳の子どもを持つ父親になった。年下の妻との出会いの場所は、なんとハローワーク……。

【写真を見る】クリームは材料変更のたびに試行錯誤を繰り返し、「空気を抱き込むような」フワフワ感が守られている(写真:筆者撮影)

大阪市西成区で、象のイラストでおなじみの駄菓子「モロッコヨーグル」を製造するサンヨー製菓の3代目社長池田光隆さんの話だ。物腰柔らかい方だが、その人生は波乱に満ちていた。

家業の宿命と向き合う青年期、過酷なサラリーマン時代、そして、家業に戻ってから直面した「もう作れないかもしれない」という底知れぬ恐怖。

今も1個約1円しか利益を生まない駄菓子を年間1000万個作り続け、不具合も多い旧式機械と毎日格闘する。「継いでくれるんやろ」と言われ続けた少年は、なぜそうまでしてこの仕事を続けているのだろうか。

不具合も多い旧式機械と格闘、年間1000万個を製造, 運転中に「こんなんで、働きたくない」, 「継いでくれる人がいるんや」問屋の安堵が覚悟に, 説明書もない旧式機械、一時「製造不能」の危機に, 53歳で結婚、「75歳まで現役」を決意, 祖父の教えを貫き、モロッコヨーグルを作り続ける

池田さんは、しばしば故障する旧式機械と日々格闘している(写真:筆者撮影)

サンヨー製菓の3代目社長である池田光隆さんは幼い頃、父の工場にいくのが嫌だった。

工場で飼っていた気性の激しい黒猫マリが怖かったからだ。

「夕食後、親からよく『機械が正常に動いているか見に行って来て』と頼まれてたんです。狭い階段を落ちないようにそろりそろりと上がって工場に入ると、真っ暗闇で猫の目が光って、シャーッと牙を見せる。それが怖くてしょうがなかったです」

池田さんは1971年生まれ。家は、祖父が創業したサンヨー製菓内にあった。当時、工場は長屋だった。両親の働く姿を見ながら、「こんな狭いところで作ってるんだな」と感じていたという。

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戦後に販売されていた、初代モロッコヨーグルのフタ(写真:筆者撮影)

小学3年生になると、工場の手伝いを頼まれるようになった。けれど、モロッコヨーグルに対しては特別な思いはなく、手伝いも「好きじゃなかった」と振り返る。

しかしその頃から、2代目の父から常に「継いでくれるんやろ」と言われ続けていた。だからなのか、親の言葉に反発するよりも「自分がやらなあかんのやろうな」という諦めの気持ちが先に立っていたという。

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池田さんが幼い頃に使われていた2代目モロッコヨーグルのパッケージ。池田さんにとって自社のお菓子は心ときめくものではなく、あくまで「家で作っている商材」だったという(写真:筆者撮影)

運転中に「こんなんで、働きたくない」

家業を継ぐことを望んでいた父。けれど地元の高校に通う頃、「まずは大学を出て、5年間は外で飯を食ってこい」と池田さんに命じる。

そのため池田さんは九州の大学に進学。3年生になり、父に言われた通りに卒業後の働き口を考え始めた。だが、その頃はバブル崩壊後の就職難の時代。景気が悪化した時代背景において、就職先を見つけるのは至難の業だった。

そこで、池田さんは「食べることに関する仕事なら人手もいるし、絶対になくならないだろう」という判断から、食品メーカーに的を絞る。その結果、大手製パン会社から内定を得た。

ところが、配属されたのはハードな「トラックの配送業務」。朝3時に起きて出社し、配送。それが終わればスーパーや小売店への営業回り。帰宅はいつも18時頃だった。

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サラリーマン時代の苦労を笑顔で話してくれた(写真:筆者撮影)

やがて、仕事の過酷さが増し、睡眠時間が削られる日々に嫌気がさして、5年目に配送車を運転中、こう思ったという。

「こんなんで、働きたくない」

翌朝、当時の上司に「辞めたいです」と相談。しかし、そこで上司に諭され、部門の転換を条件に踏みとどまった。

その後は、営業職として岡山や島根など地方を転々とし、新規顧客開拓に汗を流す日々に。ルート配送時代は既存の取引先であったため相手も懐を開いてくれたが、新規開拓の営業ではそうはいかない。冷たくあしらわれ、飛び込み営業先で無視されるという精神的な苦痛を経験した。

けれど、この時の経験が、後に家業に戻った際の胆力となった。「肉体的なしんどさと、精神的なしんどさがありました。でも、両方経験して帰ってきたからこそ、今も頑張れてるんちゃうかなと思います」と池田さんは微笑む。

「継いでくれる人がいるんや」問屋の安堵が覚悟に

30歳を迎える年のある日、父から「いつ帰ってくるんや」と電話があった。大手での人間関係や組織の論理に疲れを感じていた池田さんは、これを機に帰郷を決意する。しかし、待っていたのは別の意味での戦いだった。

まず、製造工程での作業スピードに追われた。モロッコヨーグルの製造では、機械から容器に入れるクリームがどんどん減っていくため、絶え間なく材料を作り、補充し続けなければならない。

また、容器のフタを熱で圧着する工程は、一度電源を切ると、温まるまでに30分もロスが生じてしまう。その間、従業員の人件費だけが垂れ流しになる。

「絶対にラインを止めてはならない」

プレッシャーの中、池田さんは必死に手を動かし続けた。

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検品、箱詰め作業。中央の従業員が着ているのは、モロッコヨーグルのオリジナルTシャツだ(写真:筆者撮影)

さらに、駄菓子を作る会社が減少していることにも危機感を覚えた。ある日、父とともに問屋に挨拶回りに行った際、取引先の人から安堵の表情で「継いでくれる人がいるんや。よかったわ」と言われた。

それは、廃業する駄菓子メーカーが増えていることを意味していた。池田さんは次第に「問屋さん、その先で待っているお客さんのために、なんとかして生き残っていかな」と思うようになっていく。

説明書もない旧式機械、一時「製造不能」の危機に

3代目就任後、大きな危機にも2度直面した。前編に詳しく記述しているが、狂牛病(BSE)問題の余波や、世界的なトランス脂肪酸の規制により、モロッコヨーグルの命とも言える原材料の大幅な変更を余儀なくされたのだ。

「うちの味を変えないまま、作り続けるにはどうしたらいいのか?」

池田さんは原材料の中身が変わるたびに各地から他のものを取り寄せて実験した。作っては食べ、作っては食べ、「これは違う」「食感が近い」と試行錯誤を繰り返してきたのだ。

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材料変更のたびに試行錯誤を繰り返し、「空気を抱き込むような」フワフワ感が守られている(写真:筆者撮影)

加えて現在、池田さんが最も頭を悩ませ精神をすり減らしているのが、機械の故障だ。

「うちのアナログな旧式機械は、導入から数十年が経過しています。気温や湿度で日々ご機嫌が変わるんですよ」と苦笑いを浮かべる。

そのまま父から譲り受けた機械。説明書はどこにあるかもわからない。不具合が起きるたびに、手探りで原因を探さなければならなかった。

機械エンジニアの同級生を頼ったこともあるが、「古い機械だし、微調整は毎日触っている人間にしかわからない」と言われ、お手上げになってしまうことがたびたびあったという。

昨年末に原因不明のトラブルに見舞われた際は、製造が不可能になるほどの状態に。会社の存続について考えるほどのプレッシャーに苛まれた。

「このままでは注文を受けている問屋や顧客に迷惑をかける」という焦りの中、動かない機械とひたすら格闘したと池田さん。

「肉体労働は寝たら疲れが取れるけれど、こういう頭脳労働は苦手だからめちゃくちゃ疲れます。先が見えないからこそしんどいんです」

なぜ、AI搭載の最新機に買い替えないのか?

「最新の機械は内部の構造や仕組みが外から見えず、ブラックボックス化しています。それに、もし画面が一つでも壊れれば部品の取り寄せに数週間かかり、その間ラインが完全にストップしてしまうという致命的なリスクがあるんです。現在のアナログ機械であれば、不具合の箇所さえわかれば、自力で部品を交換し30分から1時間で復旧させられます」

リスク管理の観点から、あえて「手がかかる旧式」を選び続けているのだ。

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1つ1つ目視し、不具合のある容器があった場合、きれいな容器に交換している(写真:筆者撮影)

53歳で結婚、「75歳まで現役」を決意

サンヨー製菓の命運を一手に担う池田さん。今、彼の原動力となっているのは、新しい家族の存在だ。

「55歳ですけど、結婚したばかりで……。昨年、子どもが生まれたんです」と照れたように笑いながら言った言葉に、筆者と隣にいた編集者はのけぞり、「どういうことですか?」とほぼ同時に聞き返した。

2020年冬、池田さんは人材不足からハローワークに求人を出したそうだ。そこで面接にやってきた20代の女性から、猛アプローチをうけたという。

最初は「何か裏があるのでは?」と戸惑ったものの、「私じゃ、だめですか?」と言う彼女の熱意に押され、50代半ばにして結婚を果たしたのだ。そして昨年、待望の第1子が誕生した。

「子どもが成人するまであと20年、自分が75歳になるまでは現役で働き続けないといけません。だから、がんばらないと」

そう語る池田さんの顔は、とても嬉しそうだった。

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「娘が成人する20歳、自分が75歳まではがんばらないと」と微笑む(写真:筆者撮影)

祖父の教えを貫き、モロッコヨーグルを作り続ける

取材を通して池田さんの言葉の節々には、「祖父と両親が繋いできた会社を守りたい」という意思が垣間見えた。

「祖父の代から『よそさんに迷惑かけなさんな』と言われてきて、その理由で無借金経営の鉄則があるんです。それでここまでやってこれました。祖父の教えをなるべく貫きながらやっていきたいんです」

小さなモロッコヨーグルを作る過程は、意外にも重労働だ。25キロもの砂糖の袋を持ち上げたり、高い位置にあるタンクによじ登って材料を投入したりする必要がある。そのたびに、「1人でも男性従業員が来てくれたら」と思うそうで、今後、右腕となる人材の育成を考えているという。

それもまた、この仕事を次の世代へ繋ぐための、池田さんなりの覚悟の表れなのかもしれない。

モロッコヨーグルは、1個の利益がわずか約1円という極限のビジネスだ。それでも、効率化の波に抗い、気温に左右される古い機械の機嫌をとりながら、今日も池田さんはモロッコヨーグルを作り続けている。

「自分がやらなあかんのやろうな」と諦めていた少年は、今や「75歳まで現役で」と笑顔で語る父親になっていた。

不具合も多い旧式機械と格闘、年間1000万個を製造, 運転中に「こんなんで、働きたくない」, 「継いでくれる人がいるんや」問屋の安堵が覚悟に, 説明書もない旧式機械、一時「製造不能」の危機に, 53歳で結婚、「75歳まで現役」を決意, 祖父の教えを貫き、モロッコヨーグルを作り続ける

工場の1階にある池田さんの執務スペース。きれいに整えられていた(写真:編集部撮影)