百貨店消えた「多摩最大都市」が素通りされるワケ

駅前から百貨店が消えたからと言って、八王子が衰退しているわけではない。むしろ、八王子の住人たちが求めていたものは、今も昔も変わっていないのだ(写真:筆者撮影)
前回までは、6つの百貨店を抱えた八王子市の出店ラッシュから全滅までの顛末、そしてその根本原因となった「消費センター」という幻想を追った。
【画像25枚】人口50万人超なのに…人口18万人の「立川」に駅前の発展ぶりで完敗の「八王子」。歴史を紐解くと、その理由が見えてきた
ここで気になってくるのが、百貨店も大型店も消滅した駅前に何が残っているのかだ。廃墟化しているのかと思いがちだが、実際に歩いてみても衰退の気配は微塵もない。多くの人が行き交い、一見すると賑わいのある街が生まれている。
しかし歩き続けるうちに、ひとつの違和感が拭えなくなった。人はこんなにいるのに、どこにも「滞在」していないことだ。前回で追った「商圏の幻想」の答えが、街の風景としてそこにあった。
①賑わっているのに、消費の気配が薄い
JR八王子駅の改札を出ると、人の流れがある。ペデストリアンデッキを渡り、北口・南口・甲州街道へ延びる西放射線ユーロード方面へと散っていく。しかし「買い物を楽しんでいる」という感じではなく、みんな目的地に向かって歩いていて、立ち止まっている人が少ないように見える。
実はこの構造は、1993年の調査でも指摘されていた。JR八王子駅の1日平均乗降人員は平成3年時点で7万5250人に達していたが、中心市街地への来街者のうち「JR八王子駅ビルと駅周辺地区」が56.5%を占める一方、「かつての甲州街道、現在の国道20号の横山町と八日町での利用率は19.9%」にとどまっていた(『不動産研究』日本不動産研究所、1993年)。当時も駅は人で賑わっていたが、街には滞留していなかったのだ。
令和6年度の中心市街地の歩行者通行量は11万5873人/日と基準値11万7769人/日を下回ったまま。市は「回遊性・滞留性の強化」を2期にわたって課題に掲げている。
しかし、平日については効果がみられないことが課題とされている(中心市街地活性化基本計画フォローアップ報告、令和7年5月)。「通過する街」という構造は、1993年から今も変わっていないのだ。

長崎屋の跡地はメガドンキに。駅前の人流を生んでいる(写真:筆者撮影)

西放射線ユーロードは賑わっているが、1本裏道に入ると途端に無人になる(写真:筆者撮影)

西放射線ユーロードにあるビル。宝飾店と不動産会社が同居。隣はチェーン店やカラオケと雑多なストリートだ(写真:筆者撮影)
ところで先日、SNS上で立川市の話題が拡散されていた。人口18万人にも関わらず、駅前が都会すぎる……という内容だ。確かに八王子と比べると、駅前は栄えている。百貨店も「伊勢丹立川店」「立川髙島屋S.C.」、その他にも「ルミネ立川」「グランデュオ立川」などの商業施設があり、消費の気配が色濃い。単なる人口ではなく、商圏人口が重要ということを深く感じさせられる。
そして、比較対象として八王子について言及する人の姿も見られた。だが、八王子の駅前の問題は、今に始まったことではないのだ。
②唯一の例外・セレオ八王子。なぜここだけ人が留まるのか

そごう跡地に入った「セレオ八王子」。改装工事中の覆いには「デイリーユースからハレの日まで」という言葉があったが、今やその面影はない(写真:筆者撮影)
そんな中で唯一、人が「留まっている」場所がある。JR八王子駅直結のセレオ八王子だ。もともとそごうが入っていた駅ビルで、2012年にセレオとして生まれ変わった。
ユニクロ・無印良品・アカチャンホンポ・ロフト・飲食フロアが揃い、チェーンカフェは満席。ランチピーク帯を過ぎても飲食フロアは5割ほど埋まっていた。回遊しながら見て回れる施設は、駅前でここだけのようだ。
セレオが機能している理由は3つ揃っているからだと感じた。「駅直結で来やすい」「何もかも揃っていて用が全部済む」「価格帯がケの水準」だ。これまでに存在した百貨店はいずれも「ハレの場」を追いかけて失敗してきた。
そごう閉店後、セレオへの改装工事中の覆いには「デイリーユースからハレの日まで」という言葉があったが(『JR gazette』栗原宣彦、東京交通新聞社、2012年)、今のセレオにハレの要素はほぼない。跡地にはユニクロと無印が入って繁盛している。ハレをケに変えたから成立したのだ。
ただし2階には今も京王百貨店が入っている。ハレを追い続けた歴史の末に残った唯一の百貨店だ。セレオは成功しながら、まだハレを手放せていない。
③八王子オーパと八王子オクトーレ――用事を消化して帰る場所
駅前にはセレオ以外にも大型施設が2つある。八王子オーパと八王子オクトーレだ。どちらも駅の目の前にあるが、日曜昼間にもかかわらず、セレオほど人が集まっていなかった。歩いてみると理由がわかる。人は「回遊」しておらず、目当ての店に直行して、用事を済ませて帰っていくのだ。

駅南側にある「八王子オーパ」。オープン時は「Urban Wellness」がコンセプトだったが、おしゃれで感度の高い店はほぼすべて消えてしまった(写真:筆者撮影)
オーパは2018年11月のオープン時、「Urban Wellness」をコンセプトに掲げていた。「ご自宅と通勤・通学される場所との間をつなぐサードプレイスとして、慌ただしい毎日に自分なりに過ごす贅沢な時間と憩いの空間をご提供する」とあり、ハリウッドセレブ御用達のチョコレート店や、八王子市初出店となる服飾雑貨店など28店が集まった(オーパ開業プレスリリース、2018年)。
しかし今1階にあるのは広大なスーパーだ。2階以上はダイソー・西松屋・マクドナルド・クリニック系が集まり、「サードプレイス」の面影はない。

駅北口にそびえる「八王子オクトーレ」。かつては東急スクエアだった(写真:筆者撮影)
オーパの反対側にある八王子オクトーレは、かつて「東急スクエア」として1997年に開業した。当時の業界誌には「再開発ビルの中に、“ハレ”の場を提供する新しい街が誕生」と書かれていた(『ショッピングセンター』1997年)。
今はサイゼリヤだけが満員で、しまむら・整体・歯医者・予備校が並ぶ。人が最も集まっていたのはサイゼリヤのテーブルと、各階にあるベンチのあたりだった。
オーパもオクトーレも、滞在の場ではなく、用事を消化する場所になっている。どちらもセレオ同様に垂直に回遊できる構造だが、「ハレの買い物」ができる場所は今や駅前全体を見渡してもセレオ内の京王百貨店だけだ。
かつての百貨店的な受け皿はそこに集約されている。しかし中に入っているテナントを見る限り、八王子の消費者が駅前に求めているのは「ハレ」ではなく、日常消費の利便性だといえる。
④街全体が「滞在しない構造」になっている
駅前を離れると、この構造はさらに鮮明になる。西放射線ユーロードはメガドンキ(旧長崎屋)を起点に、スシロー・薬局・塾・ラブホテルなどが並ぶ。
多くの人で賑わっていたが、街歩きを楽しむというより、買い物をしに行く場所のように感じる。一本道を外れると、途端に無人になる。1978年の業界誌に「駅から歩くと客足は漸減し、八幡町では半減した」とあったが(『販売革新』1978年)、半世紀近く経った今もその構造は変わっていないようだ。

駅南口のバスターミナル。南側は背の低い建物が多い(写真:筆者撮影)
駅の南口にもバスターミナルがある。八王子市は「大学の街」という顔も持つが、市内21の大学はいずれも駅から離れた場所にあり、通学のメインはバスだ。学生は大学と駅を往復するだけで消費を生む場所がなく、駅前の活性化には結びつきにくい。
1993年の調査でも「市内の大学生の衣料品・スポーツ用品の購入先は市外が7割強で、新宿・渋谷・吉祥寺での購入割合が高い」と記されていた(『不動産研究』1993年)。消費者が都心に吸い寄せられるのは、今に始まったことではないのだ。
さらに、2023年の帝京大学と八王子市の共同研究では、進学で転入した学生約9400人が卒業後の数年間でほぼ同数が市外へ転出していることが推察されるという(帝京大学・八王子市共同研究報告書、2023年)。学生は来るが、定着しない。消費も生まれにくい状態だ。
⑤人が本当に求めているのは「ゆっくりできる場所」
京王八王子駅方面へ向かうと、「東京たま未来メッセ」前の広場でマルシェが開かれていた。と同時に、メッセの階段に人がたくさん座っていた。
どのビルにもチェーンカフェが入っていて、どこも満席だ。人はいるのに「買い物」をしているわけではない。どこを歩いても、人々は座ってゆっくりできる場所を探しているように見えた。
ここまで街を歩いて、見えてきた共通点がある。人が集まっている場所はセレオ・チェーンカフェ・サイゼリヤ・マルシェ隣の階段、すべて「座ってゆっくりできる場所」だ。
逆に人が少ない場所は、オーパ前の薄暗い広場・オクトーレの上層階など、滞在しにくい空間だった。市は「滞留性の向上」を課題とし、今年度は「桑都千景」というのれんを飾るイベントを実施した(中心市街地活性化基本計画)が、人が求めているのは街を飾ることではなく、ただ座ってゆっくりできる場所だ。
LIFULL HOME'Sの2026年版「借りて住みたい街ランキング」では首都圏2位に入り、大宮、本厚木と並んで「郊外御三家」として根強い人気を維持している(株式会社LIFULL、2026年2月)。選ばれている理由は「交通利便性の高さと駅勢圏の広さ」だ。消費センターとしてではなく、住む場所として選ばれている。
百貨店や大型店の跡地が商業施設として再利用されず、ほぼすべてマンションになっていることから、「消費センター」と呼ばれた街で、商業の跡地は居住空間に変わりつつある。車社会となった八王子では、多くの人が郊外の施設へと向かう。
1958年の調査書が「消費センター」と評したこの街は、今「住みたい街」として評価されている。評価の中身が、最初から違っていたのだ。

東京たま未来メッセ前の広場で催し物が行われていた(写真:筆者撮影)

東京たま未来メッセの階段に座る人たち(写真:筆者撮影)

オーパ前の広場は閑散。とは言え座りづらいベンチに、人は座らないのだ(写真:筆者撮影)
⑥百貨店が消えたのは衰退ではない
市内最後の百貨店だったそごうが閉店した時、八王子の地盤沈下を心配する声があった。しかし駅前の地価はその後も上昇し(旭町の駅前広場接面で基準年比9.23%増、中心市街地活性化基本計画)、市民の8割が「住んで良かった」と答え続けている(定住意向調査2012・2025年)。
外から見た評価と、中にいる人の実感は最初からずれていたのだ。百貨店もまた、外から見た八王子の可能性に賭け続けてきた。人が集まっているのに消費が生まれず、滞留しない。それは街が衰退したからではなく、この街が最初から「通過する街」「住む街」だったからだ。
そごうが閉店した2012年、市民が八王子に住み続けたい理由の1位は「自然が豊か」だった。買い物の便利さは3位と高順位ではあるが、上位は自然と交通の便だ(定住意向調査2012年)。百貨店が消えたのは衰退ではない。八王子が本来の姿に戻っただけなのだ。
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