「預かり金の返還遅延が頻発」「大手チェーンも続々と撤退」…ずさん運営だった「茨城の廃墟モール」復活への奮闘の裏側

茨城県初のアウトレットモール「大洗リゾートアウトレット」。ネット上では「廃墟モール」と言われており、本連載「廃墟モールの経済学」で取り上げた際も大きな反響を呼んだ。
だが、このモールには数多ある廃墟モールの中でも一風変わった経緯を持つ。テナントが、施設を買収し、運営しているのだ。背景を取材すると、行政の無責任さや、前運営会社の運営の問題点が浮き彫りになると同時に、廃墟モールという”負の遺産”を、なんとかにぎわいのある場所に変えようと奮闘する人たちの姿が見えてきた――(本記事は全3回です。初回はこちら、第3回はこちら)。

前回では、廃墟化したアウトレットモール「大洗リゾートアウトレット」を買収したOaraiクリエイティブマネジメントが、施設を引き継いだ理由を伝えた。

【画像22枚】競合に破れ衰退、東日本大震災で大ダメージも…いちテナントが買収、復活に向け奮闘する「茨城の廃墟モール」の様子

「大洗リゾートアウトレット」は2006年に茨城県初のアウトレットモールとして、約70店舗をそろえてオープン。ところが、その後より店舗数が多く都市部に近い競合モールが開業したことや、東日本大震災の影響などにより空き区画だらけとなってしまった。

施設内で物産直売所の大洗まいわい市場やアニメ・ガールズ&パンツァーのグッズを扱う大洗ガルパンギャラリーを出店し、テナントの立場であった同社が施設を引き継いだのは、「町のためにこの場所を終わらせてはならない」という覚悟からだった。

第2回では、失敗したモールを同社がどのように存続してきたのか、代表取締役の常盤良彦氏と常務取締役の田山一暁氏にお話を伺った。

平日も利用される施設に

廃墟化した「大洗リゾートアウトレット」を買収した同社がまず行ったのは、アウトレットモールから地域密着型のモールへの転換だった。

平日も利用される施設に, チャレンジ精神で取り組んできた, 震災とガルパンがチャレンジできる土壌を築いた, 地域とともにあったからこそ生き延びた, その他の写真はこちら

地域密着型のモールにリニューアルされた「大洗シーサイドステーション」(筆者撮影)

常盤氏は「残っていただけるテナントさんはもちろん大切にしなければなりませんが、アウトレット形態にするつもりは一切ありませんでした」という。また地域密着型へ転換した理由について、田山氏は次のように話す。

「大手資本による広域型アウトレットは安定的に運営されています。しかしこの規模・立地・商圏において、広域集客型モデルをそのまま当てはめるのは難しかったのではないかと感じました。週末や祝日は一定の集客がある一方で、平日は極端に少なく、経営が不安定だったんです。そこで地域の人が日常的に使って、その上に観光が乗る場所にしようと発想を転換しました。

外部のプロの手も借りながらスーパーやドラッグストア、100円ショップなど日常利用のテナントを誘致したことで、平日でも地元客が来店し、駐車場が埋まるようになりました」

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「大洗シーサイドステーション」に転換されてからセリアなどが出店した(筆者撮影)

チャレンジ精神で取り組んできた

だが、失敗したモールの運営は容易ではなかった。まず17年に同社が施設を引き継いだ時点で、半分ほどが空き区画となっていた。前運営時代に、各テナントから一時的に預かっている売上返還が遅延する事態が頻発し、不安を感じたテナントが次々に撤退してしまっていたのだ。

引き継いだ直後も、前運営時代の経営の混乱で体力を消耗した地元の小規模事業者や、自社のイメージ悪化を懸念した大手ナショナルブランドの退店が相次いだ。

震災による建物の被害を前運営会社が十分に修繕していなかったために、想定外の修繕にも追われることに。数年後にはコロナ禍が訪れ、イベントの中止を余儀なくされるなど苦難が続いた。

決して平坦な道ではなかった「大洗シーサイドステーション」が今日まで営業を続けられているのは、同社がチャレンジ精神を持って運営に取り組んできたからだ。社長の常盤氏は次のように話す。

「弊社にとってデベロッパー事業は、今でも未経験で足りない部分がたくさんあると思っています。創業して最初に大洗まいわい市場をオープンしたときも、物産直売所の経験がないなかで県や町、観光協会、商工会に知恵をいただきながらチャレンジしてきたんです。

私が好きな言葉に、『うまくいくわけがない。そこにあえて挑むのが、まいわい市場なのだと思う』というものがあります。うまくいかなくてもまずはやってみようという気持ちでこれまで取り組んできました」

チャレンジ精神を持って「大洗シーサイドステーション」の立て直しを行ってきた同社の中軸である常盤氏は、神奈川県からの移住者である。大洗町出身で商工会青年部のメンバーだった田山氏が、同じく青年部メンバーの常盤氏に声をかけ、もう1名を合わせて3名で創業した。田山氏は、「地元出身でないからこその視点やリーダーシップがあり、良くも悪くもしがらみがない常盤を中心にした」と話す。常盤氏は創業当時をこう振り返る。

「田山から『よそ者から見て大洗町はどう?』ときかれました。移住してみて思ったのは、米も魚も肉も美味しい。野菜なんて買わずに持ってきてもらうくらい。ものすごく資源が豊富な場所だと感じました。ただ当時はネットもそれほど普及していなかったため、神奈川に住んでいるとそういった恵まれた情報は入って来ませんでした。

そこで3人で地域をブラッシュアップして、何かできることを探していくことにしました。考えを巡らせるなかで、物産直売所いわゆる道の駅のような存在の店をつくる計画が持ち上がりました」

震災とガルパンがチャレンジできる土壌を築いた

同社は09年、「大洗リゾートアウトレット」内に物産直売所の大洗まいわい市場をオープン。以降、幅広く地域活性化に取り組んできた。

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現在の大洗まいわい市場(筆者撮影)

たとえば「大洗リゾートアウトレット」にて、町内では大洗駅のみでしか取り扱いのなかったレンタサイクル事業を開始。やがて町全体に波及し、観光協会を中心とした相互乗り入れの仕組みが整うまでに発展していった(現在、相互乗り入れは取りやめ中)。

同社による地域活性化の最たる例が、アニメ・ガールズ&パンツァーの取り組みである。震災後、大洗町がガルパンの舞台に選ばれたのだ。同社は大洗ガルパンギャラリーを出店したり、町の商店街の人がライセンスを使える体制を整えたりと、ガルパンによる地域活性化に尽力してきた。それまで地域のプラットフォームを築いてきたからこそ、そこにガルパンを乗せることができた。

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「大洗シーサイドステーション」内に出店している大洗ガルパンギャラリー(筆者撮影)

移住者である常盤氏は、「大洗町には出る杭を打つ先輩が本当に少ないので、ここまでチャレンジしてやってこられました」という。

一方、大洗町出身の田山氏はこのように振り返る。

「その雰囲気は震災で作られたと感じます。昔は保守的な町でした。平和なときに、『アニメの舞台になったから何か取り組みをしよう』と言っても聞いてもらえません。でも風評被害で町に観光客が来なくなってしまい、そんなことを言っている場合でなくなりました。

ガルパンの取り組みを通して交流することで、町の人同士の心が開いていったように感じます」

同社が「大洗シーサイドステーション」の運営を今日まで続けてこられたのは、「大洗リゾートアウトレット」時代から営業を続けるテナントやガルパンファンの存在も大きかった。

「自社の店舗も含めて、12店舗くらいが撤退もせずにずっと一緒にやってきてくれたのがうれしいですね」(常盤氏)

「コロナ禍で苦しいときに、ガルパンファンの方々から応援の声がたくさん届きました。この施設を気にかけてもらえただけで救われました。誰かの記憶の一部になっていると聞くと、少しは役に立っているのかなと思えます。

コロナ明けにイベントを再開したときに人が溢れている光景を見たときも、まだこの施設は忘れられていないと感じました」(田山氏)

地域とともにあったからこそ生き延びた

突如として大洗町に現れ、廃墟化した「大洗リゾートアウトレット」。「大洗シーサイドステーション」としてリニューアルされたのちに今日まで存続してこられたのは、まず地域の人が日常的に利用する施設へ転換したことが大きい。

震災を機に町民同士のつながりが強まり、よそ者であった常盤氏を中心に同社がチャレンジ精神を持って地域活性化に取り組んできた。ともに歩んできたテナントやガルパンファンの支えもあった。

利益を追求するだけではなく、地域のための場として運営する同社の手に渡ったからこそ、「大洗シーサイドステーション」は今日まで存続してきたのだ。

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以下は2026年2月公開の写真。「大洗シーサイドステーション」の外観(筆者撮影)

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屋外の通路の両側に店舗が並ぶオープンモールである(筆者撮影)

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センターコートに面したエリアに空き区画が目立つ(筆者撮影)

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空き区画が並んでいる(筆者撮影)

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リゾート感を演出する植栽が施されている(筆者撮影)

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「大洗シーサイドステーション」 (左手前)とすぐそばにある大洗マリンタワー(右奥)(筆者撮影)

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近くの公園に、津波で浸水した場所が記されていた。「大洗リゾートアウトレット」も含まれている(筆者撮影)

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現在も大洗町にはいたるところに「ガルパン」のポスターやフォトスポットがある(筆者撮影)