「失ったものも確かにある」高校中退→高卒認定取って国立大医学部に合格した彼の孤独

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。
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高校中退→軌道工として働く→島根大医学部に合格

今日は、3浪を経て、島根大学医学部に合格した前田朋之さんにお話を伺いました。

【クリックして画像を見る】高校中退後、軌道工の仕事をしながら医学部受験を決意し、医師になった前田朋之さん。

前田さんは、高校中退後、鉄道の線路の新設・メンテナンスをする軌道工の仕事をしながら医学部受験を決意した異色の経歴の持ち主です。

どうして、一度は高校を中退したのか。

仕事を辞めて医学部を目指した理由は何だったのか。

お話を伺っていきます。

前田朋之さんは鳥取県に、父親が医者、母親が専業主婦の家庭に生まれました。

「父親は 非医療職家系の出身なんですが、その中で突然変異的に医者になったんです。母親は小さな土木系の会社をしていた家系で、僕はその間に生まれました」

医師の父親と土木系の会社をしていた母親の家系、前田さんは結果的に両方を経験することになります。

小学校くらいまでは元気な子どもで、普通に過ごしていた前田さん。野球に打ち込んでおり、ここでの経験が将来につながる大きな成功体験となったようです。

「現在プロ野球選手で活躍されている先輩がいた小学校だったので、その先輩に憧れてピッチャーを目指して、エースをもぎ取ったのが人生最初の成功体験でした。毎日走ったり筋トレしたり、教則本を読んだりコーチの教えを聞いたりして、4年生の時にはチームのエースピッチャーになることができました」

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12歳の頃(写真:前田さん提供)

小学校の時は、勉強でも上位でした。

「KUMONに通わせてもらっていたので、そのおかげか勉強で困った記憶はないです。勉強面では特に苦労せずに過ごせたかなと思います」

文武両道の状態で公立中学校に進んだ前田さん。しかし、中学に入ってからは野球も勉強もやめてしまいます。

野球も勉強もやめて、高1の夏に中退

「野球をなんとなくやっていてもプロにはなれないと考えていたので、やる意味がないのかなと思い、中1の夏にやめました。当時は何も考えず遊んだりした方が楽しかったですね。勉強面でも、中1の夏からは勉強はやっていません。だから転がり落ちるように成績が落ちました」

こうして野球も勉強もやめ、自堕落に遊び呆ける生活を始めた前田さん。中学卒業後は、一旦高校に入るものの、通う目的を見出せずに高1の夏には辞めてしまいます。

結局、こうした生活は、17歳まで続きますが、この時期に大きな転機が訪れます。

「高校を辞めて、プラプラと遊んでいたらお金がなくなりました。親からは勘当状態でした。職に就こうと思い、地元の先輩の紹介で隣の県である島根県に引っ越し、軌道工という線路作業に就きました」

住み込みでこの軌道工の仕事をするようになってから、彼の中で大きく意識が変わったと語ります。

「僕は、中学校の時にどうせプロにならないなら野球で上に行くのは意味ないと考えて、不良とか直接的に力があるようなポジションに行きたいと思っていました。でも、社会に出てみると、直接的に力を持つことに何の意味もないんだなと気づいたんです。

お金のない無力な時期を経験して、そこから社会の中で自分がどう立ち回っていくべきか、上がっていくべきかを考えるようになりました」

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17歳頃の前田さん(写真:前田さん提供)

勉強の楽しさに目覚め、“医師”に興味が出てくる

医学部を目指すまでにはいくつかのステップがあったようです。

「最初は、紹介された軌道工の仕事をとにかくがむしゃらに頑張りました。すると、周囲が『あの若いのは結構いい』という雰囲気になってきて、バンバン仕事を振っていただいたりするようになりました。その中で会社の不動産事業部から『宅建の資格を取ってくれたらこっちで働いていいよ』と声をかけていただいたので『取ります』と二つ返事しました。

そこで久しぶりに勉強をしたんですが、今までが勉強してなさすぎたためか、逆に勉強が面白いと感じたんです。一般的に周囲の人はみんな勉強が嫌いだししたくないから、自分がしっかり勉強したら差別化できるなと思って」

勉強の面白さに目覚めた前田さんは、この時期から一気に勉強に力を入れるようになります。高3相当にあたる18歳の10月には無事資格試験に合格。同時期に会社を退職し、近所のブックオフに通って、いろんな本を読むようになりました。

「自己啓発本とか仕事図鑑とかを読んだりしていて、視野と選択肢の幅を広げ始めました。そこで、そのまま不動産業界で生きていくことも考えていたんですが、他の選択肢の中の一つに医者という道がふと出てきたんです。

医者になれば一定の社会的なステータスも得られて、かつ働き方も様々なので自由に生きられるなと。何より、人の人生に直接関わるような医者の仕事自体に興味がありました。そうなると、じゃあまずは高卒認定を取らなきゃなと思って、宅建をとってから子どもの頃に通っていたKUMONに通い直したり、ブックオフで参考書を買ったりしてみて高卒認定の対策を始めました」

こうして前田さんは宅建を取ってすぐの11月に英語・国語・数学で1回目の高卒認定試験を受け、2回目に受けた19歳の年の夏に、残りの科目をすべて受験して高卒認定資格を取ることができました。

勉強を始めたこの頃から、家族も徐々に応援してくれるようになったといいます。

「高卒認定は救済制度的な意味合いが強いんです。受験するまでは自分も難しいイメージを持っていましたし、科目数が非常に多いからしんどいと思っていました。ですが、試験で問われる難易度は高1レベルくらいまでで、合格点も40点程度なので、高1の夏にドロップアウトした僕でもすぐに合格することができました」

高卒認定に合格→医学部受験に本腰を入れる

こうして医学部に向けての勉強をスタートさせた前田さん。「まず受験は3回までと決めました。自分は高校に行ってないから高校3年間に相当する期間ぐらいは本気で勉強してみて、それで駄目だったら向いてないと判断しようと思った」と話してくれました。

自分の速度で進める映像授業の東進衛星予備校に、高卒認定を取る前の4月に入った前田さん。入塾後、4月に受けた人生最初の模試では、半年間の独学の成果がしっかり出て400/900点ほどの点数でした。その後模試のたびに飛躍的に成績が向上していきます。

「1日に10~12時間、ひたすら勉強しました。すると2カ月ごとにセンター試験の模試の点数が50~70点上がっていったんです。最後に受けた模試は690後半/900点で、校舎の歴史を塗り替えるスピードで成績が上がりました」

1年半の勉強で奇跡的に医学部に届くかもしれない位置にきた前田さん。しかし、最後の最後で成績上昇は鈍化し、本番は700/900点に終わりました。

こうして最初の医学部受験では島根大学医学部を受験するも不合格になり、2度目の医学部挑戦に突入します。

次の年も同じように勉強するものの、停滞期に突入してしまい、思うようにはいきませんでした。

「実はこの年は勉強をあまりしていないです。最初の方は、今年はいけるという確信を持っていたんですが、急に夏くらいに『自分は高校を辞めているし、1次で通っても結局面接で弾かれるんじゃないか』とか『勉強しても落ちたら意味ないよな』と考えるようになってしまったんです。自分は13~17歳の時は楽しんでいたのに、今、人生の一番楽しい時期を何に使っているんだろうと考えてしまいました。

だから、それから3カ月くらいはひたすら本屋に行って立ち読みしたり川を眺めたりする生活をしていました。当時は高卒認定から医学部に合格するというような情報がネット上になかったので、自分が今やっていることはただ単に無謀な挑戦であって、時間の無駄なんじゃないかと考えてしまい、勉強に手がつきませんでした。その時期は同い年ぐらいの大学生とかとすれ違ったりして、自分の生活は情けないなと自信をなくしていましたね」

最終的には直前になって急に焦り出し、必死に勉強するも、センター試験は740/900点。前年よりは上がったものの、結局この年も不合格に終わります。

絶望のなか3年目に突入した前田さんですが、彼の中ではこの年で結果がどうなろうと終わらせるつもりでした。

これが無理だったら他の道を探そう

「これが無理だったら昔の仕事に戻るか、不動産の会社にいくか、他の道を探そうと思っていましたので、腹を括ってラスト1年に臨みました」

この年も東進衛星予備校に所属はしたものの、授業はほとんど取らずに自習室のような感じで使っていました。

「2年目をうまく使えなかったので、最後は逆にできること全部やって、ダメなら諦めようと思っていました。面接点が0でも受かるくらいの点数とって、これで落ちたら本当に資格ないんだなというような割り切り方ができたんです」

自習室にこもって勉強を続けた前田さんは、センター試験の模試でも安定して780点前後を確保し、B~A判定をコンスタントにキープ。共通テスト本番も805/900点を確保します。島根大学医学部に出願し、2次試験を無事突破し、蓋を開けてみれば上位で合格することができました。

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大学3年生の時(写真:前田さん提供)

こうして3度目の医学部受験で島根大学医学部に合格した前田さん。浪人して良かったことを聞くと、「孤独を経験できたこと」、頑張れた理由については「頑張ったという感覚はあんまりなく、やるべきことをやり切ったなという感じ」と答えてくれました。

「僕は浪人生活の初めに『人となるべく関わらない』という制約をつけていて、受験開始時から彼女や友達と距離を取った結果、必然的にめちゃくちゃ孤独になりました。一時期は病んだりもしたんですが、この期間に孤独の中いろんな本を読んだり考えごとをしたりしたことが今も生きていると感じています。人生には何度か、絶対に勝たないといけない、妥協してはいけない勝負があると思います。僕にとって医学部受験はそういうふうに捉えていました」

大学生活を満喫し、医師国家試験を一発で突破した前田さん、現在眼形成外科(眼瞼下垂や逆まつげ、眼窩骨折などの分野)の専門施設であるオキュロフェイシャルクリニック東京で医師として活躍しています。SNSでもYouTubeチャンネル:Dr.まえだ【眼形成】や、Instagramなどで、精力的に活動・発信する前田さん。

約3年を受験に使い「失ったものも確かにある」

浪人を経た彼は今、自身の経験を振り返って、「得たものも失ったものも両方ある」と語ってくれました。

「僕は高卒認定から数えて合計約3年を受験に使ったんですが、終わった後は"シャバに出たような感じ"がしました。例えが適切かは分かりませんが、独房にこもってひたすら勉強するような生活だったので、大学入学時は『どうやって友達と接してたっけ』ぐらいの感覚麻痺がありました。

成人式も受験期間中だったので行きませんでしたし、浪人を通して得たものも大きいですが、失ったものも確かにあるなと思います。だから必ずしも自分と同じような道を人にはすすめません。

ただ、辿った道を正解にするのは自分自身。現在は眼形成外科医として目の前の患者さんの治療に全力で向き合う充実した日々を送っています」

唯一無二の経歴から医学部合格を掴み取り、現在医師として活躍する前田さんの熱意に圧倒された今回の取材。きっとこれからも熱意たっぷりに医師としての仕事に邁進されるのだろうと思いました。

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現在の前田さん(写真:前田さん提供)

教訓:人生には何度か、絶対に勝たないといけない勝負がある