地元店主も「つくばに取られちゃったよね」と嘆き…「茨城屈指の商業都市」はなぜ「廃墟モールのある街」にまで落ちぶれたか
前回までは、土浦の百貨店全滅の起点と背景を追った。かつては3つの百貨店と大型商業施設が密集していた土浦市。しかし、駅前商業のピークだった1980年代後半の段階で、すでに広域商圏は縮小し始めていた。その背景には、つくば周辺の発展と郊外化、自動車社会化の同時進行があった。
【画像35枚】かつては水戸、つくばの”格上”だったが…駅前再開発が”ほぼ外れ”てしまった茨城県・土浦市の現在の惨状
百貨店と大型商業施設は次々と姿を消し、跡地にはマンション、市役所、オフィスビルなどが入った。かつて広域から買い物客を集めていた駅前は、別の役割を持つ場所へ変わっている。
では現在の土浦駅前は、どのような人たちによって支えられているのか。実際に街を歩きながら、その変化を確かめていく。
土浦市は行政・観光機能を駅前に集めてきた
茨城県土浦市には、かつて3つの百貨店が存在した。京成百貨店、小網屋、そして地元呉服店の伊勢屋が高島屋と提携して出店した店舗である。さらに駅前には、イトーヨーカドー土浦店、丸井土浦店、西友土浦店も立地していた。
80年代後半の土浦駅前には、百貨店と大型店が集積し、商業規模では県庁所在地の水戸市を上回る時期もあった。
しかし、その集積は短期間で縮小していく。89年に京成百貨店が閉店。その後も98年に西友、99年に小網屋、2004年に丸井、13年にイトーヨーカドーが撤退。
しかし土浦市は、駅前商業の縮小後も、駅前に人を呼び込む施策を続けてきた。
97年には駅前再開発ビル「URALA」が完成し、中核テナントとしてイトーヨーカドーが入居した。しかしイトーヨーカドーが撤退すると、15年から空き区画へ土浦市役所が移転する。商業施設だった場所に行政機能を入れ、駅前の利用者を維持しようとしたのだ。
その後も駅前では再整備が続く。17年には図書館と市民ギャラリーを備えた「アルカス土浦」が開業。18年には駅ビル「ペルチ土浦」が「PLAYatré土浦」としてリニューアルされ、サイクリング拠点へ転換された。さらに20年には、星野リゾート「BEB5土浦」も開業し、滞在型観光の機能も加わった。
土浦駅前は、商業集積から、行政・観光・滞在を軸とした街へ変わろうとしている真っただ中だ。なかでもPLAYatré土浦は「体験型サイクリングリゾート施設」を掲げており、土浦が消費都市から観光地への転換を目指していることを象徴する施設となっている。

改札を出た瞬間から「サイクリングのまち」を押し出している(写真:筆者撮影/敷地外からズーム機能を使用して撮影)

「PLAYatré土浦」には飲食店のほかにクリニックやフォトスタジオなども併設(写真:筆者撮影)

星野リゾートが手がけるホテル「BEB5土浦」。愛車を部屋に持ち込める自転車フレンドリーなホテルだ(写真:筆者撮影)
駅前広場は閑散、人が集まっていたのは市役所

駅前ロータリー。人よりタクシーのほうが多いなど、閑散とした印象だ(写真:筆者撮影)
5月上旬の休日午前11時、土浦駅西口を出ると駅前広場は閑散としていた。行き交う人の数より大量のタクシーが待機している。観光客らしい姿も見えるが、人通りは多くない。
駅ビルに入っている「PLAYatré土浦」は、カフェやレストラン、土産店などのショップも豊富で、「サイクリニストの憩いの場」を提供している。たしかに、午前中の時点でフードコートは6〜7割ほど席が埋まり、観光客らしい利用者が多かった。
ところが、「URALA」に入ると風景が一変する。午前中は閑散としていたが、午後になると、1階と2階の市民ラウンジは満席に近く、その多くは近隣住民のように見えた。
しかし、午後になってもやはり駅前広場を歩く人は少ない。86年、当時の歩行者調査で「丸井横で休日2万人」いたと記録された駅前は、今は駅の中に移動しているようだった。

かつて丸井だったビルには、現在カラオケや居酒屋が入っている。人の姿は少ない(写真:筆者撮影)
現在の土浦は「目的地に行って帰る街」

土浦城周辺は風光明媚な景色が広がる。亀城公園には子供連れの家族の姿も(写真:筆者撮影)
駅から土浦城まで歩いた。かつて、この2つをつなぐ国道125号沿いに百貨店が密集していた。しかし、取材当日は人はまばらで、すれ違う人も少ない。
亀城公園に向かうと、園内には家族連れの姿がちらほら見えた。中城通りにある喫茶店の店主に話を聞くと、「今日はたまたま人が少ないけど、普段は外まで列ができます。お客さんの目的もさまざまで、お城好き、マンホールカード集め、サイクリング客と、いろんな目的で来る人がいますよ」と教えてくれた。
ただ、歩いていて気づいたことは、たしかに観光客は来ているが、街を回遊しているというより、「目的地に直行し、目的を終えると帰る」という動きに近いことだ。
サイクリング利用も同様である。土浦駅はつくばりんりんロードや霞ヶ浦周辺を走るサイクリングルートの起点になっているが、利用者の多くは駅で自転車を組み立てたら、そのまま目的地へ向かう。駅前を歩き回るわけではない。駅は出発地点と帰着地点として使われていた。
URALAの市民ラウンジも同じ構造だ。満席だった利用者の多くは近隣住民である。ラウンジ内で各々の時間を過ごし、そのまま帰っていく。行動範囲は駅とURALAの内部で完結しており、周辺商店街まで人の流れが広がっているわけではなかった。
土浦駅前では、観光、行政、滞在の各機能が、それぞれ個別に利用されている。しかし、その利用者が街全体を歩き回る構造にはなっていないように見えるのだ。

中城通り(水戸街道)。普段は多くの観光客でにぎわう。季節やイベントの有無などによりにぎわいが大きく変わるようだ(写真:筆者撮影)

土浦城へ向かう道中には年季の入った建物が並んでいる(写真:筆者撮影)
駅前は「回遊する街」に戻らなかった
百貨店と大型店が集積していた時代、土浦駅前には回遊動線が存在していた。
1986年の歩行者調査では、「駅、イトーヨーカドー、西友、小網屋を結ぶ日字型の回遊動線」が形成されていたと記録されている。買い物客は駅前を歩きながら複数の店を巡り、街全体に人の流れが広がっていた。
しかし、ネットショッピングの普及が百貨店を取り巻く状況を大きく変えた。百貨店の最上階から下って、様々な物を購入していた時代は終焉し、目的を持って特定の店舗にだけ足を運ぶようになった。
その象徴が、駅東口から伸びる「土浦ニューウェイ」だ。85年のつくば科学万博に合わせて整備された高架道路で、商店街をまたぐ形でつくば方面へ伸びている。本来は「街へ導く道」として作られたが、駅前を通り越して目的地へ直接向かうための道になってしまった。
85年に開業した「モール505」も同様である。開業当時はテナントで埋まり、駅前再開発の象徴だった。しかし、モール505は駅前とはいえ、駅から徒歩10分ほどの場所にある。店の閉店が続いており、わざわざ行く目的がなくなっている。大きな建築空間は残っているが、その中を歩く人は、筆者以外に1人見かけただけだった。
土浦駅前では、新しい施設ごとに利用者は存在している。だが、かつてのように複数の施設を歩いて回る「商業集積としての回遊性」は戻っていないようだった。

モール505の先に「土浦ニューウェイ」に上がる階段があった(写真:筆者撮影)

土浦ニューウェイは歩行者の通行が禁止されている。歩行者が移動できるのはバス停留所のみ(写真:筆者撮影)

バスは平日の19:33発のみ運行。使い勝手の悪さが際立っている(写真:筆者撮影)
駅前が呼ぶ客は「買い物客」から「観光客」へ
百貨店が並んでいた時代の土浦駅前は、広域から買い物客を集める街だった。
しかし、その客層は変化した。買い物客は、郊外ショッピングモールへ移り、つくばへ移り、一部は東京へ流れた。広域商圏を前提とした駅前商業は、次第に成立しなくなっていく。
モール505に入居する某店の店主に話を聞くと、現在の駅前について「つくばに取られちゃったよね。地元の人は『買い物』って言ったら郊外のショッピングモールじゃないかな。駅前は人が少ない。駅周辺にマンションがあるから、その辺の人は使うけどね」と話す。
現在の土浦駅前を支えているのは、かつてのような「広域から来る買い物客」ではない。観光、行政サービス、居住といった用途で駅前を利用する人たちだった。

モール505の様子。閑散とした印象だが、1階は営業中の飲食店が多かった(写真:筆者撮影)

土浦ニューウェイと並走する曲線状のデッキが、近未来的な雰囲気を生んでいる(写真:筆者撮影)

1階〜3階まで、さらにA〜E棟まであり、見どころ満載(写真:筆者撮影)
土浦で起きていたのは「客層の交代」
土浦駅前は衰退したのか、再生したのか。実際に歩いてみると、そのどちらか一方では整理しきれない。
百貨店と大型店が集積していた時代と比べれば、広域商業拠点としての機能は大きく縮小している。かつて駅前を歩いていた買い物客の姿は、ほとんど見られなくなった。
一方で、駅前から完全に人が消えたわけでもない。市役所のラウンジには地元住民が集まり、PLAYatré土浦には観光客やサイクリストが訪れていた。駅前マンションの建設も進み、居住機能はむしろ増えている。
ここで興味深いのが、PLAYatré土浦のコンセプトである。「モノを売るのではなく、サイクリングという『コト』を体験してもらう駅ビル」。これは、土浦が「消費の街」から「体験型観光の街」へ転換しようとしていることを象徴している。

自転車の組み立てスペースがあり、大変便利(写真:筆者撮影)
ただ、実際に歩いてみると、その「コト」は駅ビル内で完結している。サイクリング客は駅ビルで自転車を組み立て、霞ヶ浦方面へ向かって戻ってくる。駅周辺には立ち寄れる土産店や飲食店が多いとは言えず、街全体を回遊する構造にはなっていない。体験の「点」は存在しているが、「街全体を歩かせる線」にはなりきれていないのである。
それでも、街を歩いていて印象的だったのは、土浦の人たちのホスピタリティだった。取材中、街の人に声をかけるたびに「土浦に来てくれてありがとう」と言われた。
広域から買い物客が訪れていた時代、駅前商業は大量の来街者を前提に成立していた。だが現在の土浦は、自転車や観光をきっかけに訪れる人を、一人ひとり迎え入れる街へ変わりつつある。
土浦は、広域買い物拠点ではなくなった。だが、観光地として完成したわけでもない。体験型観光地への移行が始まっているが、点と点をつなぐ線はまだ作られていない。今の土浦駅前は、その端境期にある。