腎臓は3%しか機能せず…死の淵から生還した《82歳女性》が回顧する"動乱の56年" 国際結婚、夫との別れを経た彼女の現在
50年連れ添った夫を、スペインのコロナ禍で亡くした山内政子さん(82歳)。23歳のときにシベリア鉄道でひとりヨーロッパへ渡って以来、自分の足で生きてきた自負がある。「強いこと」が彼女の代名詞だった。
【クリックして写真を見る】若かりし頃の政子さんと夫・ラモン。幼い長女と記念撮影。白黒写真でも、当時の幸せが鮮やかに伝わってくる
ところが今年1月、政子さんは人生で初めて大きな病気をした。3カ月の入院で筋力が落ち、退院した今は、自分ひとりで靴下を履くことができない。履かせてくれるのは、孫だ。
「病気をして初めて、人に甘えることを勉強している気がするの」
82歳にして初めて「弱さ」と向き合った彼女が、夫亡きあとのひとり暮らしでたどり着いた境地とは――。
(前編の続きです)
夫が迎えに来た、そう思った瞬間、頭に浮かんだもの
今年の1月、政子さんは腎臓を悪くして緊急入院した。
検査の結果、腎臓は3%しか機能していなかった。痛みはない。ただ、意識だけがゆっくりと薄れていくような、ふわふわと宙に浮いているような感覚があった。
「ああ、彼が迎えに来たんだ……そう思ったの」
ところが次の瞬間、死を受け入れかけていた意識は、驚くほど現実的な方向へ引き戻された。頭に浮かんだのは、整理されていない洋服ダンスだった。
「ダメだわ。あんな状態を娘に見られたら、怒られてしまう。片付けてからじゃないと」
ここで死ねるか、と思った。「生きたい」ではなく「片付けたい」という感情が、体の中から湧いてきた。それから3カ月後、政子さんは退院した。
だが、退院した彼女を待っていたのは、今までとはまったく違う自分だった。

インタビューを受ける政子さん(写真:筆者撮影)
自分ひとりで靴下も履けない
3カ月の入院生活で、政子さんの体はすっかり変わってしまった。
「ずっと寝たきりだったから、筋力が落ちちゃって。自分ひとりで靴下を履くこともできないから、孫に履かせてもらうの。今まで大きな病気をしたことなかったから、こんな経験、初めてだったわ」
足に力が入らないから、台所に立つ時間も短くなった。階段は一段ずつ、ゆっくり手すりを頼りに上がる。政子さんは、今までひとりでできていたことができない自分を、淡々と受け入れている。「新しい発見があって面白い」とも言っていた。
「年を取ったと感じること? ないのよ。それがいけないのね。だから、無理をしてしまうの。今回、体を壊したのは、いい経験だった。少しブレーキをかけることを、覚えなきゃいけなかったのね」

サンタンデールの海を背景にした家族写真。娘2人、孫4人と(写真:Ruben Gares撮影)
夢で、起こしに来た夫
夫を亡くしてから、6年近くが経った。政子さんは、「常に、夫が一緒にいてくれてる感じがする」という。
生前の夫は、考えすぎて自分の中に入り込んでしまうことがある、難しさを抱えた人だった。だが決めたことは最後までやり遂げる。晩年、病床で夫はこう言った。
「僕は全部やることをやった、後悔はない。君はまだ元気だから、楽しんでおいで。もうダメだと思ったら迎えに来るから」
その約束が、今も続いているように政子さんには感じられる。

若かりし頃の政子さんと夫・ラモン。幼い長女と記念撮影。白黒写真でも、当時の幸せが鮮やかに伝わってくる(写真:山内政子さん提供)
何かをしているとき、ふと、そばに夫がいる気がする。気づけば、ひとりで夫と話していることもある。
一度、こんなことがあった。
朝に約束があって、早起きをしなければならなかった日。寝坊しかけた政子さんを、夢の中で、夫が起こしに来た。
「若いころの彼でね。私が初めて編んだセーターを着てたの。『起きないと、バスに乗り遅れるよ』って」
はっと目を覚ますと、本当に寝坊をする寸前になっていた。
「彼がいつも見ててくれる。だから、寂しくないの」
寂しさはない、と政子さんは言い切る。ただ、いま静かに「堪えていること」があるのだという。

政子さんが着ている上着は、亡き夫が愛用してたもの(写真:筆者撮影)
「ひとり暮らしの寂しさ」より、彼女が堪えていること
「病気をしてから食事制限しなきゃいけないし、それを娘にコントロールされることのほうが、嫌なの」
かつて日産自動車で通訳をしていたとき、正社員にならないかと請われても断った。「正社員になったら、自由に日本に帰れなくなるでしょう」と政子さん。
組織に属さず、人の上にも下にも立たない。誰かに自分の手綱を渡すことを、ずっと避けてきた。その彼女が、生まれて初めて、自分では選べない不自由のなかにいる。

不自由の中でこそ気づくこともある(写真:Ruben Garesさん撮影)
「制限のある生活になって初めて、食べたいもののことばかり考えている自分に気づくの。恥ずかしいくらいにね」
元気なころには気づかなかった食い意地が、制限されたとたんに顔を出した。政子さんはそれを、笑い話のように話す。
今までは朝ピラテスに通い、好きなものを食べていた。同じくひとり暮らしをしている友人たちと海沿いを散歩したり、昼食を一緒に取ったりすることもあった。

政子さんが、よく夫と散歩した海岸沿い(写真:筆者撮影)
現在は、以前の暮らしを取り戻すために、自分でできることをひとつずつ増やしている。
先日は、さくらんぼで梅干しを作ったのだという。スペインでは梅が手に入らないから、さくらんぼで代用する。スペイン生まれの孫たちの大好物なのだそうだ。しかし、本人が自由に食べられる日は、まだ遠い。
それでも政子さんは、この不自由な時間を、どこか人生の整理の時間として受け取っているようだった。
「やっと、整理する気になれた」

「マコ」の愛称でスペインでは親しまれている(写真:筆者撮影)
病を経て、政子さんの関心は、自分の人生をどう締めくくるかに向かっている。
「自分が生きてきた人生を、きれいにお掃除して、『ありがとうございました』って言って、お返ししたい」
人生は所有するものではなく、借りもの。政子さんは、そう考えているのだという。
「ずっと持っていられるものなんて、何もないでしょう。お借りしているのよ。だから、きれいにして、お返ししたい」
その「お掃除」を、政子さんは具体的なことから始めている。家中が雨漏りしたのをきっかけに、長いあいだ手をつけられずにいた夫の荷物を整理し始めた。
「今まで、夫の荷物を片付けられずにいたの。見ると、なんだか……ね。やっと、整理する気になれた」

フォトグラファーである義息子のモデルになることも(写真:Ruben Garesさん撮影)
「おいしい空気に、なりたい」
入院したあの日、病院のベッドで政子さんの頭をよぎったのは、整理されていない洋服ダンスだった。あれを片付けるまでは、死ねない——そう思った。
あれから、政子さんは少しずつ、片付けを始めている。洋服ダンスも、夫の荷物も、そして、自分の人生も。
「人って最後は、空気みたいに消えていくものだと思っているの。でも、おいしい空気と、まずい空気ってあるでしょう。私は、まわりの人にとって“おいしい空気”でいたいの」
取材の帰り際、夫がよく座っていたというベンチに、午後の光が差していた。