「55年間、鋭い爪で引っかかれることがなかったのは…」クマに9回襲われ生還した男性が気をつけていること
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【写真】花見を楽しむクマ
胸に半月模様がある
この写真のクマを日本ではツキノワグマ(月の輪熊)と呼ぶ。同属亜種のクマはアジア大陸にも生息していて韓国では半月胸熊、中国では黒熊と呼ぶ。

2004年4月10日、私のクマ観察スタイル(写真提供:米田一彦)
上の写真では軽装だが、普段はヘルメット、クマ撃退スプレー、毒ヘビ・ハチ類用の救急用品など、かなりの重装備だ。クマに突然襲われないように、背中側には各種の仕掛けを設置してある。
このカメラは、初めて入手したレンズ交換ができないデジカメだったが高価で、まだフィルムカメラを多用していた。
ブナ林にある水平のけもの道に座っているので、右手から来るクマが3メートル近くまで来て、私に気がついてUターンすることがある。このシンプルなスタイルなのに襲撃されなかったのは、広島のクマの気性が穏やかだったからだと思う。私のクマ追い人生の後半で、ここに来られたことは幸運だった。
うなる瞬間が最も恐ろしい
私は、カメラのファインダーの中でクマと視線が合い、カメラ目線になることを追求してきた。
この場所には年間5頭ほどのクマが入れ替わりながら出没するが、なかには私の顔を見るなり体を上下に揺すって「ごわごわ」とうなりながら威嚇するオスグマがいる。

『家に帰ったらクマがいた』(著:米田一彦/PHP研究所)
クマはうなる瞬間が最も恐ろしい。ここから稀に、威嚇という「みせかけの攻撃」に移ることがあるが、10メートルの距離まで詰められれば、クマ撃退スプレーを撃っても突破してくるだろう。クマがうなったときは、私はとにかく石のように固まり、クマが去るのを待つようにしている。
私がクマを追って55年間、鋭い爪で引っかかれることがなかったのは、目の前のクマの情動の意味を見切れたからだと思う。とくにクマが食事をしているときは興奮しているため、襲われると危険だ。

体を上下に揺すって「ごわごわ」とうなる。私を攻撃するか迷っている(写真提供:米田一彦)
また母グマは、子グマが他のオスグマに襲われないかつねに警戒しているので、近くに子グマがいる場合は母グマに警戒されないことが重要である。
ただ遭遇した場合は、こちらが動かないと無視され続けるものだ。クマの姿を見る必要がない方は、そもそもクマと出会わないようにするのが賢明だろう。
どんな花でも際立つ
ある春、サクラが葉桜になっていた日のこと。なにか気に入ったのか、満開のハナズオウの樹下にクマが立った。黒一色のクマの前では、どんな花でも際立つ(下写真)。
秋田県の深山では早春に、まずタムシバの白い花が咲き、それをクマが食う。
広島県のタムシバは高木になるが、秋田では残雪に這うように葉より先に花が咲く。そのためクマが集まる。
岩手県と秋田県にまたがる高原台地の八幡平は地熱が高く、深い残雪期でも雪が局部的に溶けている箇所がある。そこではタムシバは一足先に花を咲かせ、チシマザサの芽(タケノコ)が芽吹いて、いっそうクマが集まる。採る人も集まる。だから悲惨な事故が多発する。
花見を楽しむ
オオヤマザクラの開花も早いほうだ。クマはサクラの花芽を食う。残雪期の山々を歩き回ったが、こればかりは撮影できなかった。
せめて庭に来るクマが花見をしているところを見たい。サクラの木に登ったクマを、どでかいフィルムカメラでドカンと写した画像はあまりに唐突で興ざめしたが、クマはいたって得意顔だった。

サクラの木に登る(写真提供:米田一彦)
いろいろポーズを取ってくれたが、木の上で寝てしまった。見かけはクマだが、どうもクマとしての態度が違う。このように広島では、集落周辺を徘徊するクマのことを住民は「ノラグマ」と呼んでいた。
1990年代、西中国で行なわれていた保護策のなかで、このようなクマも各町村で少数ながら残るようになった。
※本稿は、『家に帰ったらクマがいた』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。