超難所「青崩峠」に奇跡のトンネル完成! 中京経済圏、名古屋一強から三河港中心へ大変貌の序章か? 戦国武将も阻んだ壁を考える

断層直下を貫く5kmトンネル

 静岡県と長野県の県境に位置する青崩峠(あおくずれとうげ)が、にわかに注目を集めている。日本列島には中央構造線という巨大な断層が走っており、その直上の地盤は極めて脆弱だ。崖崩れが頻発し、かつては通行が命懸けとさえいわれた。青崩峠も、まさにそうした危険地帯に該当する。このため、地下に車道トンネルを掘ることは長らく不可能とされてきた。だが、その不可能が現実となった。「三遠南信自動車道」の一部として、全長約5kmの青崩峠トンネルが2025年3月に完成した。

【画像】「えぇぇぇ?」 これが三遠南信自動車道の「青崩峠道路」です! 画像で見る(計8枚)

 電気関連の工事はまだ残るが、数年内の開通が視野に入った。この「奇跡のトンネル」が、中部地方の経済圏に大きな変化をもたらす可能性がある。

武田信玄が通った峠

断層直下を貫く5kmトンネル, 武田信玄が通った峠, 中央構造線を交差する交通ルート, 名古屋回避型物流圏の形成, 中京圏の経済圏変革の兆し, 代替ルートの新時代

青崩峠に続く道(画像:写真AC)

 1573(元亀3)年1月、三方ヶ原の戦いが起きた。武田信玄の軍勢が、織田信長・徳川家康の連合軍と激突した合戦である。

 家康は迎え撃ったものの、信玄の戦術に翻弄されて敗北した。恐怖のあまり、脱糞して浜松城に逃げ帰った逸話は広く知られている。

 この戦いの直前、武田軍は南信地方から青崩峠を越えて進軍した。険しい山道を、槍や甲冑を身につけた兵が難なく越えたという記録が残る。信玄率いる軍の統率力と機動力は、当時としても突出していた。峠には、信玄が腰掛けたとされる岩が今も残る。

 それから約300年後、明治時代にドイツ人地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが「中央構造線」の概念を提唱した。房総半島の付け根から関東、中部・東海、四国、九州まで続く巨大断層の存在に気づいたのである。

 ナウマンは、ナウマン象の発見者としても知られる。一方で、滞在中に妻の不倫相手を殴打するなど、私生活は波乱に満ちていた。それでも、日本地質学の発展に与えた影響は極めて大きい。ナウマンの研究成果は、現在の道路建設にも応用されている。

中央構造線を交差する交通ルート

断層直下を貫く5kmトンネル, 武田信玄が通った峠, 中央構造線を交差する交通ルート, 名古屋回避型物流圏の形成, 中京圏の経済圏変革の兆し, 代替ルートの新時代

三遠南信自動車道(画像:国土交通省)

 三遠南信自動車道は、長野県飯田市と静岡県浜松市を結ぶ高規格幹線道路である。21世紀の現代に計画が進められており、「E69」の高速道路ナンバリングもすでに付与されている。

 具体的には、中央自動車道の飯田山本インターチェンジ(IC)から新東名高速道路の浜松いなさジャンクション(JCT)まで、全長およそ100kmの区間を指す。浜松市から新城市にかけての地域は現在でも「遠州三河」と呼ばれており、そこから信州南部の玄関口である飯田市と直結するルートを構築するのが本プロジェクトの狙いである。

 ただし、遠州と信州を直結させるには、中央構造線を横断する必要がある。青崩峠トンネルは、その地質的な壁を突破する構想として位置づけられる。日本の交通史においても、きわめて画期的かつ象徴的なインフラといえる。

名古屋回避型物流圏の形成

断層直下を貫く5kmトンネル, 武田信玄が通った峠, 中央構造線を交差する交通ルート, 名古屋回避型物流圏の形成, 中京圏の経済圏変革の兆し, 代替ルートの新時代

飯田市(画像:写真AC)

 青崩峠トンネルの完成は、三遠南信自動車道の事実上の実現を意味する。

 この三遠南信道が全通すれば、三河港と信州地方を名古屋を経由せずに直結できる。三河港は日本有数の商用港であり、物流面での大きな利点が生まれる。

 現在、飯田市から三河港へ向かうには、中央道を南下し、土岐JCTから東海環状道へ乗り換える。そこから名古屋市と豊田市の外縁をかすめ、新東名や東名を経由して岡崎市・豊橋市を抜けるという複雑なルートを取る必要がある。名古屋都市圏の輪郭をなぞるような回り道だ。

 三遠南信道が開通すれば、飯田市から浜松市へ直接アクセスでき、そこから三河港へは西へ進むだけとなる。名古屋方面を大きく迂回する必要はなくなる。

中京圏の経済圏変革の兆し

断層直下を貫く5kmトンネル, 武田信玄が通った峠, 中央構造線を交差する交通ルート, 名古屋回避型物流圏の形成, 中京圏の経済圏変革の兆し, 代替ルートの新時代

三河港大橋(画像:写真AC)

 この交通ルート改革により、三河港の

「国際商用港としての位置付け」

が大きく変わる可能性がある。信州地方の製造業者にとっては、三河港への輸出ルートや、三河港からの輸入ルートが大幅に短縮される。これにより、三河港の地位が向上することは十分に考えられる。

 21世紀中葉以降、中京経済圏は名古屋市中心の経済圏から三河港中心の経済圏へと変わる可能性がある。名古屋市とその周辺都市の密接な結びつきが緩やかになり、地域ごとの経済的な自立性が高まる状況が生まれるかもしれない。

 とはいえ、これはあくまで筆者(澤田真一、ライター)の予測に過ぎない。現時点では三遠南信道は未開通であり、三河港中心の経済圏への移行が名古屋市の衰退を招く可能性も考えられる。また、現在の日本では人口減少が進んでおり、「◯◯を中心とした巨大経済圏」という構想が現実に即したものかどうかも疑問である。

 道路が均等な経済発展を生み出す可能性はあるが、それが必ず実現するわけではない点も留意する必要がある。

代替ルートの新時代

断層直下を貫く5kmトンネル, 武田信玄が通った峠, 中央構造線を交差する交通ルート, 名古屋回避型物流圏の形成, 中京圏の経済圏変革の兆し, 代替ルートの新時代

東名高速道路(画像:写真AC)

 青崩峠トンネルの話題を考えると、期待と不安が同時に浮かび上がる。だが、今回はあえて楽観的に見てみたい。単純に道路が増えるとは、

「主要幹線が使えなくなった際の代替ルートができる」

ということだ。

 例えば、事故や自然災害で東名道が通行止めになっても、三遠南信道が使える。逆に三遠南信道が通行止めになれば、東名道が活躍することになる。これは、東名道が使えない場合に中央道や中部横断道を利用して静岡市に向かうのと同じ理屈だ。

 こうした視点から見れば、青崩峠トンネルは非常に大きな社会的意義を持っているといえる。