59歳で第一子、出会いゼロ→26歳差妻と結婚の経緯

現役プログラマーでもある片山さん(80)にお話を伺った(撮影:梅谷秀司)
父80歳、息子20歳
片山さんは現在80歳。ソフトウェア業の会社を経営する社長であり、現役のプログラマーでもある。カジュアルなネイビーのセットアップに身を包み、タブレットなどのデバイスを使いこなし「このあと、息子と待ち合わせしてビリヤードに行くんです」とにこやかに話す姿は、実年齢のイメージとは大きくかけ離れた若々しい印象を受けた。
【写真】幼い息子さんをおんぶして登山に挑む片山さん。当時すでに還暦を過ぎていた
息子さんは現在20歳で、都内の大学に通う大学生である。一見すると「孫と祖父」だと思われても不自然ではないほどの年齢差。なぜ片山さんは「アラ還」でパパとなったのか。そして20年の月日を経た今、子育てを振り返ってどう感じているのだろうか。まずは片山さんの半生を辿る。
片山さんは1945年、終戦の年に生まれた。この世代は、10代で高度経済成長期を経験し、学生時代に学生運動のピークを迎え、社会人としてバブル景気と崩壊の波を直に受けるといった、戦後日本のありとあらゆる変革期に立ち会ってきた背景がある。
片山さんは大学卒業後、建設会社で内装関係の職に就くが、「サラリーマンをまともにしていたのは最初の1年くらい」。20社以上を転々とした。理由は、あくまでも自身の分析だが
「僕はA S D(自閉スペクトラム症、発達障害の一つ)の気質があって、あまりコミュニケーションが得意じゃない。トラブルが多くて辞めることが多かったんです」
「やっぱりインテリアのことをちゃんと学びたい」と専門学校に入り直し、卒業後は店舗内装の設計・施工、現場監督をしていた。仕事柄、女性と出会う機会もほとんどないに等しく、休暇はよく麻雀やビリヤードなどをして過ごしていたという。
パソコンとの出会いで人生激変
片山さんにとって設計施工の作業は楽しいものだったが、悩みの種となっていたのが見積書などの管理だった。見積もり作成なども片山さん自ら行っていたが、大型施設ともなると見積書の束の厚さは4cmにもなる量だった。1980年代初頭の当時は全て人の手で計算しなければならなかったため計算が合わないことが何度もあり、毎日四苦八苦していた。
もっと簡単に書類を管理したいと思い、片山さんは当時出始めたばかりのNECのパソコン『PC-8801』を買った。37歳のときだった。早速、見積もり作成ソフトを夜な夜な独学で作り始めた。
「自分は人とコミュニケーションを取ることは苦手だけど、こうやってパソコンを相手に集中し続けることはまったく苦じゃない。『俺はプログラマーをやるしかない』と思いました」
2、3年かけて見積書作成プログラムを開発し、発売にもこぎつけた。その後も開発を続け、現場に行くこともなくなり朝から晩までパソコンに向かう日々になっていた。
26歳年下の妻との運命的な出会い
44歳の頃、ふと社会人スクールの講師の求人が目に入った。図面やパース(建物などを立体的に表現する図法のこと)の描き方などを教える内容で、「現場の経験が活かせるかもしれない」と応募すると即採用。講師として働くことになった。
そこに生徒として訪れたひとりの女性と親しくなった。「何を話しても、驚くべきスピードで素晴らしい反応が返ってくる。その聡明さに惹かれた」。ふたりの間には26歳の年齢差があったが、やがて自然に交際が始まった。その人こそが現在の妻である。
講師業を3年間続けたのち、片山さんはソフト開発に専念することを決意。47歳でソフト会社を立ち上げた。
当時交際相手だった妻も社員として働くことになり、「社員間で気を遣われないように」と結婚は控え、交際期間を約10年経てからようやく結婚に至った。その間、倒産の危機を共に何度も乗り越え支え続けた妻は、片山さんにとっては家族としてだけでなく、ビジネスパートナーとしても唯一無二の存在になっていた。
「最初は全然売れませんでしたよ。社員や妻は、コミュニケーションが苦手な私をソフトの開発だけに没頭させてくれた。その一方で、それ以外の部分を全てやってくれたんです。そのおかげで、事業を軌道に乗せることができました」

取材に応じる片山さん(撮影:梅谷秀司)
還暦目前の第1子に「拍手喝采」
プライベートでは、結婚してから4年目の夏に第1子が生まれた。このとき、片山さんは59歳。同窓会で「この歳になって子どもができたんだ」と同級生たちに報告すると、拍手喝采が起きたという。
還暦を迎えてからの子育ては「むちゃくちゃ楽しかった」。自営する会社の事務所は自宅近くにあり、平日、息子さんは幼稚園などから帰宅するといつも仕事場に現れ、「お父さん、ただいまー!」と言って入ってきた。その息子さんを毎回「おかえり」と抱きしめ、仕事へ戻る。休みの日は必ず一緒にどこかへ出かけ、共に過ごす時間を心から楽しんだ。

息子さんが幼い頃は、よく登山に行っていた(写真:片山さん提供)

息子さんが幼い頃は、よく登山に行っていた(写真:片山さん提供)
「小さい頃はよく山へ連れていきました。何かの本に『子どもと一緒に山登りをすると、大人になっても仲がいい』と書かれていたんです。理由は確か、大人も子どもも一緒に必死で山道を歩いて登ると、子どもの中に『人はみな対等である』という意識が植え付けられて、大人と対等にコミュニケーションを取れるようになるからだとか」
また、息子さんが小さい頃に建てた家のテーマは「忍者屋敷」。ボルダリングができる壁や、床からテーブルが出てくるからくりなど、息子さんが喜びそうな仕掛けを考えて設計士に依頼した。その家に、現在も3人で暮らしている。

自宅内の「ボルダリングができる壁」は片山さんのアイデア(写真:片山さん提供)

床から出てくるテーブルはホームパーティーでも活躍した(写真:片山さん提供)
義務教育以外の選択肢
若いパパと何ら変わりのない楽しい日々を送る一方で、教育方針に関しては年を重ねたことで独自の考えを持つようになったという。
「若ければ普通に育て、しつけをし、学校に行かせて何の問題も感じなかったと思います。ただ、年を重ねるにつれ、自分の子には義務教育にはない、自由な環境を用意したいとの思いが強くなりました。日本の教育システムは賞味期限を過ぎていて、今の子どもたちにはその枠が無用なものだと感じています」
そうした考えのもと、片山さんの息子さんはモンテッソーリ教育が受けられる幼稚園に始まり、サドベリー教育が受けられるフリースクール、9歳から16歳までは“世界一自由な学校”とも言われるイギリスの『サマーヒルスクール』に通った。
いずれも、オルタナティブスクール(現在の公教育とは異なる、独自の教育理念・方針により運営されている学校の総称)だ。
昨今、オルタナティブスクールは数年前と比べても格段に増え、新たな教育の選択肢として一般的にも認識されるようになってきた。ただ、その存在を知っていても、実際に選択するにはまだハードルが高く感じる人も多いのではないだろうか。20年前ではなおさらである。
子どもの将来のための選択が結果として良かったかどうかが見えてくるのは、何十年も先か、もしくは一生かかってもわからないこととも言える。
とはいえ、息子さんが成人した今、片山さんはどのように感じているのだろうか。後編『59歳で第一子、9歳から英国の寄宿舎に入れた理由』で聞いた。

成人した現在も親子関係は良好だ(写真:片山さん提供)