「年収5500万から生活保護へ」"どん底"で見た景色

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち, 「好きなことだけで生きる」を体現していたが…, まさに人生のピーク、そこで起きた現実, 「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった, 約半年で借金がいっきに2000万円に, 助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

2017年パラオにて。当時ポリアモリーと筋トレでバリバリに絞っていて、経済的にも一番儲かっていた時期(写真:立花さん提供)

年収5500万円から生活保護へ――。

元人気ブロガーの立花岳志さん(56歳)は、自己破産の手続き中にある。

彼が見た「底の景色」と「今立っている場所」を語ってもらった。

【この記事の続き】

「日本は、すぐに死なずに済む国なんだ…」年収5500万円から生活保護に転落した作家の"どん底での新発見"

2011年3月、立花さんは会社を辞め、プロブロガーとして独立した。

【写真で見る】「年収5500万円から生活保護へ転落した」元人気ブロガー立花岳志さん、その素顔

わずか1年で『ノマドワーカーという生き方』を刊行し、独立から7年で年収は5500万円。赤いアルファロメオ、六本木の144平米の自宅、鎌倉を含む4拠点の多拠点生活――成功の速度は速かった。

しかし現在、彼は生活保護を経て自己破産の手続き中にある。

5月21日の取材では「人に迷惑をかけず静かに死にたい」と漏らした。7月上旬には鎌倉の独居を畳み、横浜の母と同居を開始(世帯判定により生活保護は6月末で打ち切り)。

孤立は和らいだが、仕事の再起はまだ見えていない。

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち, 「好きなことだけで生きる」を体現していたが…, まさに人生のピーク、そこで起きた現実, 「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった, 約半年で借金がいっきに2000万円に, 助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

2004年11月。会社員時代にグアム島での写真。体重105kgの肥満体。何者かになりたかったけどなれなかった時代(写真:立花さん提供)

立花さんは、17年間のサラリーマン生活を経てブログで独立。

ブログ「No Second Life」を運営し、当時は月間160万PVを誇る媒体まで成長させた。

「月30万~40万円だったブログ広告収入を起点に、自分ブランドのセミナーを開催し、事業を拡大させていったんです。自分でも驚く速さで成功への階段を駆け上がっていったと思います」

地道に行動できる能力に加え、文章力と情報発信力もずば抜けて高かった。某大手出版社の編集長からは「立花さんが書評を書くと本の増刷が決まる」と喜びの声をもらうこともあった。

「僕の主宰する1万円のセミナーには、1回の告知で150人が集まっていました。当時、ある同業者のうちのおひとりは3000円のセミナーに5人しか集まらないと嘆いていたので、僕は完全に異才を放っていたと思います」

さらに、立花さんの著書の重版率は6〜7割を誇っていた。

「著書も当時は7冊の本が次々と出版され、出版業界でも注目されていたようです」

「好きなことだけで生きる」を体現していたが…

著名な作家や起業家とのネットワークもどんどん広がっていき、セミナー講師・コンサルタントとしてのビジネスも順調。

六本木にある自宅のセミナールームでは、独立時の夢であった「自分ブランド」のリアルセミナーを週に何度も開催。

まさに「好きなことだけで生きる」という自身の信念を体現していた。

ランニングと筋トレを日課とし、アンチエイジングや体調管理も万全。料理上手でもある彼は、最愛の妻の食事やお弁当まで用意し、家庭も円満だと思っていた。

「ありがたいことに、願いがすべて叶ってしまう人生の中にいました。多少ふわふわした気持ちはありましたが、『努力した結果、成功した』と思っていましたし、『努力が報われた』と自信をもっていました」

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち, 「好きなことだけで生きる」を体現していたが…, まさに人生のピーク、そこで起きた現実, 「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった, 約半年で借金がいっきに2000万円に, 助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

アルファロメオ・ジュリエッタ。「愛車でした。3年弱しか僕の手元にはなかったです」(写真:立花さん提供)

立花さんは、2008年12月に最初の奥さんと離婚。2010年4月に2度目の結婚に踏み切った。

「2回目に結婚した女性は、僕が19歳からの知り合いで、クリエイターとしてもずっと憧れてきた人。たまたまネットで再会し、彼女から仕事やプライベートの相談を受けるようになり、そこから愛し合うようになっていきました」

40歳を目前に、若いころから憧れていた彼女と一緒になれた。

「もう、『彼女の幸せが自分の幸せだ』と本気で思い込んでいました。彼女の幸せのために全エネルギーをつぎ込んで、仕事をぶん回していましたし、彼女のためにがんばれていたんです」

まさに人生のピーク、そこで起きた現実

収益も右肩上がり、プライベートも充実。まさに人生のピーク。一緒になってからビジネスも拡大し、Win-Winの関係だと思えた。

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち, 「好きなことだけで生きる」を体現していたが…, まさに人生のピーク、そこで起きた現実, 「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった, 約半年で借金がいっきに2000万円に, 助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

2012年9月。独立した翌年にデビュー書籍「ノマドワーカーという生き方」が売れて、当時の妻と二人でヨーロッパを旅したとき、ポルトガルのリスボンにて。自分が独立してから稼いだお金で妻を連れていけたことが大きな喜びだった(写真:立花さん提供)

しかし夫婦として最高潮だったのは、一緒に暮らし始めて数年のみだった。

「家族になってから、徐々に夫婦生活がうまくいかなくなっていったんです。ひとりで解決できる問題でもないので、急かさずに合わせるようにしていました」

2014年6月には二人で株式会社ツナゲルを設立。コラボセミナーをするなど、ビジネスは順調そのもの。二人の関係性は2年をかけて「夫婦」から「ビジネスパートナー」に変化していった。

そんなある日、彼女の口から出てきたのが「お互い、ポリアモリー(複数恋愛)しよう」という提案だった。

「奥さんが『これからの男と女のパートナーシップっていうのは、日本の既存の婚姻関係上にはないものなんだ』と言ってきて、ポリアモリーをしようと言ってきたんです」

最初は冗談だと思い、話半分に聞いていた。

「しかし、奥さんが何度も提案してくるので『本当にいいのか』と何十回も問いただしたんです。彼女は『全然いい、むしろやろう』と一点張り。話し合いの末、その価値観を受け入れてみることにしました」

当時、お金を持っていた立花さんに言い寄る若い女性は多かった。その中のひとりに声をかけ、実際にポリアモリーを始めてみることにした。

「いざポリアモリーを始めたら、僕にはすぐに彼女ができてしまった。奥さんにも隠さずに、複数交際したり、男女の関係をもったりするのがポリアモリーのルール。だから、新しい彼女との予定を奥さんと共有のGoogleカレンダーに書き込むワケですよね」

2017年の末には、「日本でも珍しいポリアモリーを実践している夫婦」として、立花さん宅にフジテレビ系列の番組『ノンストップ!』が取材に入ったこともある。

「夫婦でテレビ出演し、ポリアモリーの概要と、相手に恋人がいても夫婦は円満でいられるんだ、みたいな話をしました」

そこまではよかったが、ひとつ誤算があった。奥さんには彼氏ができなかったのだ。あえて作ろうとはしなかったのかもしれない。

「僕だけがポリアモリーを実践し、お泊まりなどをしてくるのですから、いま考えると奥さんはあまりいい気持ちにはなりませんよね。それが別れの引き金にもなったと思います」

「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち, 「好きなことだけで生きる」を体現していたが…, まさに人生のピーク、そこで起きた現実, 「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった, 約半年で借金がいっきに2000万円に, 助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

2017年7月、180人集客したブログセミナーの写真(写真:立花さん提供)

ポリアモリーを取り入れてみたものの、立花さんの中でダントツに大切なのは、やはり奥さんだった。

彼女から「自分だけの創作拠点として別のマンションを持ちたい」とお願いされたときも、無理を承知で了承した。

「この頃から、いろいろな意味で"黄色信号"が点滅していました。資金繰りも、奥さんとの関係も。彼女のために24時間創作活動に没頭できるマンションを借りたんですが、全拠点を合わせた家賃は、月々140万円超え。常に全力で売り上げをつくり続けなければならず、無理をして突っ走っていたと思います」

時代の流れとともに、世の中の興味関心も変わっていく。収益も徐々に上がりにくくなっていた。

「資金繰りが厳しくなってきたこと、妻からの提案とはいえ、僕だけポリアモリーを楽しんでしまったこと。理由は諸々でしょうが、とうとう妻の気持ちが離れてしまったんです」

2018年8月、奥さんから「別れたい」と告げられる。

「不穏な空気を感じていた僕は、その数カ月前にポリアモリーをやめていました。別れたくないのでたくさん話し合ったのですが、結局まとまらず、同年の12月に離婚届を提出しました」

奥さんと別れたあたりから、立花さんの仕事のリズムも崩れていく。

「すべてに気持ちが乗らなくなってしまったんです。執筆依頼も、セミナーも、だんだんと断るようになっていきました。原因として考えられるのは、離婚やポリアモリー完結によるパートナーシップの喪失が大きいです。ビジネス面では、プロブロガーというビジネスモデルの消滅、そこに伴う自分ブランドの失墜。同時に、生活基盤があった麻布・六本木から、鎌倉へ引っ越して孤立してしまったことなどが挙げられます」

さらに2020年、新型コロナウイルス感染症がまん延。リアル会場ではセミナーができなくなった。

オンラインサロンの参加者も激減し、出版予定だった書籍も出せなくなる不運に見舞われた。

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち, 「好きなことだけで生きる」を体現していたが…, まさに人生のピーク、そこで起きた現実, 「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった, 約半年で借金がいっきに2000万円に, 助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

六本木の自宅兼オフィス兼セミナールーム。セミナーがない日は家族のリビングルームとして使用していた(写真:立花さん提供)

約半年で借金がいっきに2000万円に

「そろそろ従来のビジネスモデルを軌道修正しなければならないと思って動いていました。しかし、なかなかメンタルがついていかない状況になっていたんです」

「当時、無理な4拠点体制と離婚によるドタバタ、会社のブランド力低下などにより、半年ほどでいっきに借金が2000万円になりました。でも僕の年収も5500万円ほどあったので、普通に返していけると思っていたんです。これが"大きな誤算"でした」

「売り上げ減の最大の要因は、当時稼ぎ頭のひとつだった元妻と僕のコラボ連続講座が開催できなくなってしまったこと。同時に、その講座から誘導していたコラボのカウンセリングもできなくなりました」

残念な気持ちはあったが、セミナールーム付きの六本木の自宅を解約。メンタルを落ち着かせてやる気になれば、5000万~6000万円くらいは自分だけでも稼げると思っていた。

しかし、実際は驚くほどに稼げなくなってしまう。

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち, 「好きなことだけで生きる」を体現していたが…, まさに人生のピーク、そこで起きた現実, 「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった, 約半年で借金がいっきに2000万円に, 助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

2015年5月から2019年7月まで借りていた、六本木の自宅リビングルームのセミナー仕様バージョン。家全体は144㎡、リビングは36畳、島形式で受講生15名までのセミナーが開催できた(写真:立花さん提供)

「ブログからの広告収入がベースで月30万〜40万円ぐらいあって。そのうえに出版の印税やブログセミナー、連続講座、心理カウンセリング、個人コンサルティングなど。さらに、大学の講師など外部での講義・講演活動もしていました。しかし、ブログ人気が下がってきたことが大きく、簡単に返せると思ったものが『ダメだ、全然返せない』となっていました」

借金の2000万円はずっと残り続けた。完全に自転車操業だった。

「じわじわと、自分がこの世に存在する意味がわからなくなってきて。友人などへの連絡も自然と減っていきました。SNSの発信をやめると、誰も僕に連絡してこない。結局、僕は『発信するから価値がある人』だったのかもしれない、などと思いはじめました」

2024年9月、うつ症状が本格化。病院には通院を続けるも、ベッドから起き上がれない日もある。ブログもメルマガも、何を書いたらいいのかがわからなくなり、書けなくなった。

「僕のなかでは『生きる意味がわからない=発信する内容がわからない= 書けない』という図式でした。仕事ができないからお金がない。何もできないから、自分には価値がない……と、どんどん負のスパイラルにハマっていったんです」

2024年9月から資金が回らなくなり、11月には生活保護の申請を決意。弁護士に相談し、今年の2月から自己破産の手続きをスタートした。

助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

「一番きつかったのは、人との縁が切れていくことでした」

立花さんは、過去に「何かあったら何でも言って」と言ってくれた友人に数十万円の支援を頼み、送金してもらった経験がある。しかも借用書もとらず、その友人は「貸すんじゃなくてあげる」と言ってくれ、その気持ちに心から感謝した。

「でも、『それでは申し訳ないから、分割返済する』と申し出て。その後、実際返済するお金も用意できて、その旨を連絡しようとしたんです。そうしたら、つながらない。そのときになって、その友人からブロックされていることに、はじめて気づきました。結果として友情が切れてしまったことに、心から悲しく辛い気持ちになりました」

「脱サラ」で見つけた、自分だけの成功のかたち, 「好きなことだけで生きる」を体現していたが…, まさに人生のピーク、そこで起きた現実, 「すべてを手に入れた」その先に、崩壊は始まった, 約半年で借金がいっきに2000万円に, 助けてほしかった。でも、多くの人が去っていった

2025年3月。材木座海岸からすぐ、立花さんの鎌倉のご自宅にて(写真:筆者撮影)

少し人に頼る気持ちになっていても、実際に相談すると「市の相談窓口に行ったほうがいい」と一般的な返答を返されるだけ。

「まぁ、当たり前ですね。本音を出した瞬間、関係は終わる。そんなことが続いて、人に頼るのが怖くなりました」

彼がうつで倒れてから、発信ができない状況だったときに関わった人は、たった4人だけ。弁護士、市役所職員、精神科医、高齢の母親だ。

「母以外はみんな業務で関わっている人たちです。情はない。精神科医に『苦しいです、死にたいです』と言っても『じゃあ薬の量を増やしますね』としか返ってこない。ああ、本当に自分はひとりなんだな、と思いました」

母親は高齢、ほかは縁が切れて親族と呼べる人もいない。この状況では生きるのが困難だと感じた。

心の底から「もう、死ぬしかない」と思う夜も、何度もあった。

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「日本は、すぐに死なずに済む国なんだ…」年収5500万円から生活保護に転落した作家の"どん底での新発見"