「年収5500万→生活保護」転落"どん底での新発見"

立花さんの鎌倉の自宅の目の前、材木座海岸の夕陽(写真:立花さん提供)
年収5500万円から生活保護へ──。
ベストセラー作家でもある、立花岳志さん(56歳)は、うつと借金返済の渦中で自己破産の手続きを進めている。
誰にも頼れない孤立の中で見えた「制度のリアル」と、そこからの小さな一歩を語ってもらった。
【この記事の前半】
→「年収5500万円から生活保護へ」元人気ブロガーが"どん底"で見た景色
「借金2000万円返済の自転車操業をずっとしている中で思ったんです。シュレッダーにお札を入れて全部砕いてるみたいな感覚だなと」
【写真で見る】「年収5500万円から生活保護へ転落した」元人気ブロガー立花岳志さん、その素顔
立花さんは「自分は努力の人だから、がんばればなんとかなる」と思っていた。
「復活を目指し努力をした結果、2冊の本を出版できて、一時的に単月の売上が100〜200万円に戻った時期もありました。しかし結局、月商が100万になろうが200万になろうが、全部借金の返済に消えていってしまうのは変わりがなかった。このブラックホールに札束を投げ込んでいる感覚になったとき、『ああ、これはダメかも』とようやく自覚したんです」
うつ、孤独、経済的困窮。誰にも頼れない中で、自己破産と生活保護という選択に至った。
そこで彼が直面したのは、日本のセーフティーネット制度と現実だった。
心が「プツン」と切れた、その日
「2024年9月27日、心身ともに限界になって倒れたんです。毎月のクレジットカードの支払い日が10日と27日なんですが、とうとう資金繰りができなくなって。心神喪失の状態でした」
「とにかく月末のキャッシュフローをなんとかしなければ」と当日ギリギリまで、張り詰めた気持ちで、資金繰りを回そうと必死だったという、立花さん。
「うつで厳しかったけれど、対外的にも自分的にも 『まだまだがんばる。ビジネスを回す。資金繰りもなんとかする』ハードモードで土俵際で踏ん張っていました」
ビジネスのキャンペーンと銘打って、もともとのお客さんだった人たちに個別で連絡をとってみる。

2018年8月。ザ・リッツ・カールトン東京でセミナー後の懇親会の乾杯シーン。受講生が撮ってくれた写真(写真:立花さん提供)
「僕の当時メインの収益源は継続コンサルだったので、候補の人に連絡をしていきました。たくさんいたので、5日前ぐらいからどんどん連絡して『キャンペーンで今だけ30万円を25万円にしますよ』みたいな。しかし、全部断られてしまって」
愕然とした。言葉を失った。
「すでに正気でない僕は『誰だったらお金を貸してくれるか、この人だったら貸してくれるんじゃないか』という人のリストを、Macのメモ帳に思いつく限り書いていったんです」
ビジネス関係で資産家とつながりがあった立花さんは「富裕層で、個人的に信頼関係が確立できていると思っていた人」を挙げていく。
「ああ、もう全然足りないわ、ダメだわ」
「これだけお金を持っている人なら、多少の借金を申し出ても、痛くも痒くもないだろう、迷惑もかからない程度だろう」と思った。
「結局、5人に連絡をしたんですが、まあ、相手からしてみたら『あっ、この人、病んでいるな』みたいな状況ですよね。『この人にお金貸したら絶対返ってこないな』と思われていたと思います」
当然のように、全部断られてしまった。
そして迎えた、引き落とし日の9月27日。
完全降伏。支払いはできなかった。
「資金が足りないのは少しではなく『ああ、もう全然足りないわ、ダメだわ』とお手上げレベルでした。そのときに心が『プツン』と切れたんです。もう音が聞こえるくらいに、プツンと」
立花さんの世界観はこの27日を境に大きく変わった。心は境界線を越え、うつに身を任せるようになった。
「『家賃が払えなければ追い出されればいいし、追い出されたら自殺すればいい』と思っていました。そして実際に誰とも一切連絡を取らずに、一カ月ほど自宅に篭城していたんです」
完全にうつに身を任せたので、その9月27日以降は、資金繰りの相談は一切誰にもしていない。
なぜ、彼はここまで追い詰められたのか。
立花さんのいるオンラインビジネス業界は、製造原価や設備を考える必要がほぼない。立花さん自身も無借金経営でずっと運営をしていた。
しかし、ここに"落とし穴"があった。
転落の背景にあった「無借金経営」の罠

鎌倉の海の家での個人コンサルティングのあと、クライアントさんと一緒に乾杯のシーン(写真:立花さん提供)
「無借金で会社を経営できていていい、と思っていたんです。しかし、いざお金がなくなったときは逆。メインバンクとの取引がまったくないという状態なので、信頼がなく、借金や融資を受けることができないことに気づきました」
日本政策金融公庫とのルートも開拓していなかったため、立花さんは金利の高いクレジットカードのリボ払いやローン払いのキャッシングしか方法がないと思った。
「実態としては『会社の消費税を個人のクレジットカードで120万円全額リボ払い』とか、『泊まりがけのワークショップの会場費や懇親会費が会社の資金不足で払えず、個人のカードで全額リボ払い』的なことをやっていました」
頼れるのはクレジットカードだけだった。しかし売り上げが落ち込むにつれて、その命綱も細くなっていく。
「クレジットカードって、僕みたいなフリーランスの人間は、何年かに一回カードごとに更新があるんですよね。『確定申告の控えを提出しなさい』『いまの年収はいくらなのかアップデートしなさい』という要請が来る。僕は売り上げがどんどん下がっていたので、クレジットカードの予算額というか、使える限度額がどんどん下がっていきました」
銀行の通常のローンと違い、カードローンは金利が高い。
「クレジットカードのみを使ってここまできたのですが、返しても返しても、もう金利だけ返してるみたいな状態になってしまって。バカバカしいですが、それ以外にやりようがなくなってしまったんです」
ああ、もう全部どうでもいいやと思った。
「もともと2000万円の借金ができてから、生きている意味がほとんどわからなくなっていました。ひたすら借金を返すためだけに生きてるみたいな状態だったんですよね。私の人生、とにかく借金を返して、とにかく回すってこと以外は何もなくなっていました」
9月末の資金繰りの破綻から12月まで、立花さんのうつはピークを迎えていた。ベッドから起き上がれず、風呂も入れず、食事もとれない。時間だけが過ぎていく。
しかし、しばらくすると、立花さんが完全にSNSから消え、メッセージにも返信がないことを心配した母親や仲の良い友達たちが徐々に騒ぎ始めた。
自己開示したら、人はどんどん離れていった
状況を知った母親は、知り合いに相談し、立花さんの「生活保護の受給」「精神科の受診」「自己破産の手続き」という流れを組んでくれていた。
「SNS上の友人たちも『何でも言ってね。できることはするから』と言ってくれるようになりました。僕は頼ってもいいのか確認するために、自分の現状をさらに開示していったんです。そうしたらドン引きし、離れていく人が多かった。そこで『あっ、頼ることは無理なんだな』と諦めたんです」
なかには、心配で家を訪問してくれた友人や、手を差し伸べてくれた友人もいた。
「もちろん『友人という存在ができる手助け』と『親や親族ができる手助け』はレベルが違って当たり前です。しかし、その当たり前のような現実が、高齢の母しか親族のいない僕にとっては、とても辛く、厳しかったです」
家賃は滞納し続けていて、早晩追い出されて住む場所がなくなる。クレジットカードは全部止まっており、自己破産を申請中。うつで仕事はまったくできず、離婚してひとりきり……。
立花さんは、次第に友人たちとも「鋼鉄の壁」のような隔たりを感じ、他人に飛び込むことを諦め、ひとり「うつの谷底」に堕ちていった。
誰にも頼れない。生きている意味がわからない。すべてが嫌になった。自然と自死を意識し、望むようになった。
「いまも人の迷惑をかけない死に方があるなら、その方法を選びたいと考えています。取材に応じている現在も、その考えに変わりはありません」

夏場は上半身裸、下は水着でランニングに出て、汗だくで走り終えたらそのまま海に飛び込む。海街では夏は上半身裸でランニングする人が多く、みんな真っ黒に日焼けしていた(写真:立花さん提供)
日本には安楽死の制度がない。立花さんはそこに大きな葛藤があった。
「昨年の10月、11月の一番うつがひどいときっていうのは、『どう自分を終わらせるか』ってことばっかり考えていたんです。僕は『人に迷惑をかけない形でいなくなりたい』って思っていたのですが、日本には安楽死の制度がないため、案外難しいんです。電車に飛び込めば、運転手さんにもお客さんにも迷惑かかるし、ビルから飛び降りても一緒ですよね。この家で首をつっても大家さんに迷惑がかかって、事故物件になってしまう」
「痛いとか苦しいとか汚いとかは、怖いし、嫌だ」という思いと、「誰にも迷惑をかけたくない」という気持ちが、彼をギリギリで踏みとどまらせていた。
「迷惑をかけずに死にたい」絶望の淵で
さらに立花さんの話は、独自の理解しがたい領域にまで踏み込んでいく。
「いま一番いいなと思うのが、子どもたちを守って、代わりに命を差し出すパターン。たまたまニュースで見かけましたが、小学校の下校中に車が突っ込んでくるような事故がありましたよね。僕、そういう子どもたちを守って車に飛び込んで、代わりに死ぬのが一番いいと思っています」
「死んでも軽蔑されないし、親御さんにも感謝されるし、うちの母にも『若い命を守って死んだんだったら、よくがんばった』と思ってもらえる。社会的にも認められそうですよね。命の使い方の最後としてはいいな、と考えています」

2025年3月、お昼時に鎌倉の立花さんご自宅にて(写真:筆者撮影)
しかし皮肉にも、死のうとすればするほど、彼は「死ななくてもいい現実」に直面することになる。
「死ねない国、ニッポン」で知った制度のリアル
「不思議なんですが、死のうと思っても、すぐには死ねないんです」
家賃を滞納し「滞納イコール人間失格」で「すぐに追い出されて路頭に迷う」と怯えていた。だが現実は違った。
「怖い人たちが押しかけてくる、みたいな勝手なイメージがあったんです。しかし、日本の法制度は賃借人を守るようにつくられているらしく、滞納したからといって、すぐに追い出される状況ではなかったです」
生活保護も、彼の想像とはまったく違った。
「僕は生活保護の条件に当てはまり、審査に通りました。初回の受給は2024年12月で、金額は忘れましたが、振込ではなく市役所に出向いて封筒に入った現金を手渡しで受け取りました」
自己破産は、1月に「法テラス」という無料で弁護士に相談できる仕組みで申請方法を教えてもらい、面談を担当してくれた弁護士にそのまま自己破産の手続きを依頼して、2月から処理がスタート。手続きが終わるのには半年くらいかかると伝えられた。
「生活保護の生活に、自己破産、クレジットカードはブラックリスト。でも……絶望しかけたところで『ギリギリ支える仕組み』が動いていたんです。『ああ、日本って、すぐに死ななくてもすむ国なんだな』って思いました」
もちろん、制度の対応が完璧とは言えない。機械的で、冷たい印象を受ける部分も多い。
だが、最低限の「命を守るインフラ」は、たしかに機能していた。
「SNSで『生活保護なんて受けたら終わり』って言ってる人も多いですよね。でも、実際に使ってみて、思ったんです。これは『再起のための準備期間』としても捉えられるかもしれないって……」

鎌倉の海街に定住したあとの初日の出。立花さん宅から徒歩1分の材木座海岸の写真。(写真:立花さん提供)
立花岳志さんの物語に、まだ明確なハッピーエンドは訪れていない。高齢の母の家に引っ越しをし、現在は母と同居中だが「6月末で生活保護が打ち切られた」のだ。彼はその制度に納得はしていない。
「高齢の母と同居するだけで生活保護が打ち切られてしまう、という法制度に違和感と失望を感じています。母は高齢で年金メインで生活し、僕は母と住むことになっても、急に体調がよくなり稼げるわけでもない。それでも仕組みとして保護は打ち切られるというんですから」
ただ、ひとりの命は、ひとまずつなぎとめられたと言える。
「30年ぶりに母と暮らすことで、完全な孤立から脱却できた。これから、親子のコミュニケーションの中から『何かしらの復活のきっかけをつかめるのでは』と微かな希望を持っています」

2025年3月、立花さんの体調は「その日になってみないとわからない」状態。ベッドから一日中起き上がれない日もあった(写真:筆者撮影)
社会に必要なのは「再起」できる仕組み
この転落と再生の軌跡には、いまの日本社会が直面している構造的な問いが詰まっている。
ひとたび心が折れ、働けなくなったとき──。
たとえ過去にどれほどの実績や知名度があっても、孤立と偏見が人を容赦なく追い詰める。「助けて」が言えず、「助けて」と言っても、関係が断たれる現実。これは、立花さんだけの話ではない。
現在の日本では、精神疾患の患者数が年々増加し、2023年時点で600万人を超えている(※厚生労働省:令和5年(2023年)患者調査の概況より)。
立花さんの取材を通して感じたことは「がんばれなくなった時期をどう支えるのか」、それが日本の社会の成熟度を測る指標なのではないか、ということ。
いまここに、かつて「成功者」と呼ばれた人が、そのリアルを語りつくしてくれた。声を発してくれた。だからこそ、意味がある。
「すぐに死ななくてすんだ」と語る彼の言葉は、制度を体感した人間のリアルな声だ。そしてそれは、同じように苦しむ誰かの命を、つなぎとめるかもしれない。
社会に必要なのは「再起」でき、「もう一度生きてみよう」と思える仕組みだと感じる。
この物語が、ほんの少しでもその足場を築く一助となることを願ってやまない。
【この記事の前半】
→「年収5500万円から生活保護へ」元人気ブロガーが"どん底"で見た景色