有村藍里が語る中学時代の不登校経験「理由もわからないまま孤立…心が疲れ切っていたんだと思います」

モデル、タレントとして活躍する有村藍里さん。雑誌やテレビでは、容姿へのコンプレックスや自分の居場所を見つけられずに悩んだ経験を等身大の言葉で語り、多くの人の共感を集めています。中学時代は、友人関係がうまくいかず、学校に登校できない不登校の日が続いたといいます。当時の思いを聞きました。※後編<不登校を経験した有村藍里が「学校に行くのがつらい」人に伝えたいこととは「無理に前を向いてほしいとは思いません」>へ続く
■小1と小4で転校を経験 友だちと疎遠に
――小さいころは、どのようなお子さんでしたか?
人見知りで、恥ずかしがり屋でした。特に大人と話すのが苦手で、友だちのお父さん、お母さんともなかなか打ち解けられませんでしたね。うちは母がすごくコミュニケーション能力が高くて、ママ友がたくさんいたんです。だから、よそのお家に行って一緒に遊ぶことも多かったのですが、あまり行きたくないな、恥ずかしいなと思っていました。

――小学校では、どのように過ごしていましたか?
入学後は人見知りなりに友だちもできて、楽しく過ごしていました。当時仲良くしていたのは、明るくておしゃれで、クラスの中心になるような女の子たち。いつもグループで一緒に行動していたのですが、1年生の途中に父の転勤で奈良県に引っ越して、4年生の途中でまた元の小学校に戻ったら、状況が少し変わってしまいました。もちろん、「戻ってきたんだね!」と歓迎してくれる子もいましたが、よそよそしくなってしまった子もいて。私がいない3年の間に、みんなは学校行事などを通じて絆を深めていましたし、私だけ浮いた存在になってしまったんです。
■突然始まった孤立 お弁当も一人
――4年生ともなると「仲良しグループ」のメンバーも固定されて、途中から入りづらいこともありますよね。
「友だちを作るのって、すごく大変なんだなぁ」と感じるようになったのは、このころからですね。その後、何となく仲良くできる友だちもできて一緒に地元の中学に進学したのですが、入学後、私だけが別の部活を選んでしまったことが原因で、関係がギクシャクし始めました。同じ部活に入ろうと約束していたわけではありませんが、彼女たちからすれば「どうしてわざわざ別の部活を選ぶんだろう?」という気持ちがあったのかもしれません。
また、そのころから友だち同士の間で、順番に誰かを「無視する」という遊びのようなものが始まって、ある日私にも順番がまわってきたのか、理由もわからないまま友だちから孤立するようになりました。多分、悪意はなかったとは思うのですが「そこにいない人」のような扱いになってしまったことは、とてもつらかったですね。あいさつをしても誰にも返してもらえない、教室を移動するときに「一緒に行こう」って近づいても、目すら合わせてもらえない。お昼もみんなはグループで食べているのに、私だけひとり。虚しいし、恥ずかしいし、もうトイレで食べちゃおうかな……って思ったこともあります。
■登校できず家に引き返した
――それはつらい経験でしたね。
そういう毎日が続くうちに、少しずつ学校に居づらくなって、学校に行かない日が増えていきました。初めは週に1日とか2日休むようになって、これじゃダメだと思って頑張って家を出るんですが、学校での空気を思うとどうしても行く気になれず、家に引き返してしまうんです。行事などにはなるべく参加していましたが、それでもかなりの日数を休んでいました。
――学校や家族から何か言われることはありましたか?
担任の先生からはよく自宅に電話がかかってきて、留守番電話にメッセージが入っていましたが、親が仕事から帰ってくる前に私が全部消去していました。
家族からは、特に何も言われませんでした。当時母は毎日仕事で忙しくしていましたし、妹はまだ小学生。2人とも、私がこれほど学校に行っていないとは、思っていなかったかもしれません。
当時、私はたくさんのものを失ったような気持ちになっていました。両親が離婚し、家族4人の生活、長年暮らした家……そういうことの一つひとつが自分の前からなくなったことが悲しくて、その上、学校の友だち関係もうまくいかなくて、気持ちを前向きに保つことはできませんでした。心が疲れ切っていたんだと思います。

■不登校の日々 漫画とアニメが癒やし
――学校から足が遠のいた理由は、一つではなかったのですね。
そうですね。中学時代は、私にとっての暗黒期。人生のどん底にいるような気持ちでした。友だちを作っても傷つくだけだろう。だったら一人で家にいるのが一番ラクだなぁって思っていました。
――学校を休んだ日、家では何をしていたのでしょうか?
自分の部屋で、漫画を読んだりアニメを見たり、絵を描いたりしていました。つらいことがあっても、好きなことをして一人で過ごすその時間だけは、すごく幸せだと感じられましたし、心が癒やされました。もちろん、できれば学校に通いたかったですし、友だちをたくさん作って「青春!」みたいな中学生活を送りたかった。でも、あのときの私にはそれが出来なかったんです。そこで無理をせず、好きなことをして過ごす時間を持てたことは、結果として私を守ることにつながったんじゃないかと、今は思います。

■母が何も言わないことに救われた
――学校に行けないことへの不安とは、どのように折り合いをつけていましたか?
寂しさを感じることはありましたが、「こんなに休んだら、勉強について行けなくなるんじゃないか」といった不安はどう言うわけか感じなくて「まぁ何とかなるだろう」という感じでした。多分、現実逃避をしていたんでしょう。
今にして思えば、家族に悩みを相談していなかったことも、良かったのかもしれません。例えば夏休みなどの長期休みは、みんな友だちと遊びに行ったりしますよね。でもうちの母はずっと家にいても何も言わず、自由にさせてくれました。もしあのとき「ちょっとくらい外に行けば?」とか「友だちと遊びなさい」と言われていたら、私はもっと悩んでいたかもしれません。口出しをせず、居心地のいい時間を過ごさせてくれたことは、私にとって大きな救いでした。
(構成/木下昌子)
〇有村藍里(ありむら・あいり)/1990年生まれ、兵庫県出身。2006年、高校在学中にモデルとして活動を開始。2017年に個人事務所設立とともに拠点を東京に移す。以来、テレビや雑誌のほか、ドラマ出演、舞台主演と活躍の場を広げている。with onlineで5年間コラムを掲載し、その後はブログで『有村藍里「自分をもっと好きになるための“一歩”」』を発信している。