53歳"3児の父"を襲った「産後うつ」と「中年の危機」

(写真:山田さん提供)
3年で15キロ体重は増加
山田さんが50歳を迎えた2022年、新居の竣工に80歳まで続く住宅ローンの返済開始、次男の誕生、家業の法人化、本業の会社経営の低迷といった生活の変化が重なった。
【写真】5歳・3歳の子ども二人と元気いっぱい遊ぶアラフィフパパの山田さん(仮名)
元来パワフルな山田さんだが、この時ばかりは精神のバランスを崩してしまった。
「着るものなんてどうでもいいし、散髪も行きたいと思えなくて。自分のことを構うことができなくなった結果、この3年で15キロくらい太ってしまいました。
元々は好きなことが明確なタイプ。そういうものに出会うと一気にテンションも上がり、そこに向かって走り続けられる人間でした。でも、毎月山のように届く請求書とその支払いに追われる日々で、みるみるうちに元気がなくなっていったんです。
その様子を側で見ていた妻は、当時生まれたばかりの2人目と、3歳の長男もいる中で本当に大変だったと思います」
近所のメンタルクリニックに駆け込むと「産後うつ」と診断された。
産後うつは母親が発症するものと思われがちだが、実は必ずしも母親に限って使われる言葉ではない。父親も、子どもの誕生によって仕事・家事・育児の両立による大きな変化、負担、責任などが積み重なってメンタルヘルスが大きく崩れる場合がある。こういった場合、父親も「産後うつ」であると診断される。
「中年の危機」の影響も
さらに当時の状況は、おそらく「男性更年期障害」「ミッドライフクライシス(中年の危機)」など、アラフィフ男性にとって特有の問題も無関係ではなかったと、山田さんは振り返る。
女性の更年期は閉経の前後5年(合計約10年間)と定義されているのに対し、男性の場合は個人差が大きく特に決まっていない(対象は40代以降とされる)。また、女性の場合は一般的に閉経後5年ほどで症状が落ち着くとされるが、男性の更年期は特にその指標がない。
ミッドライフクライシスは、中年になって人生の終盤が徐々に視界に入ってくるフェーズになり、急に自身の将来に対して不安や焦りを感じ始めたり、燃え尽き症候群のようになってしまう、というものだ。
山田さんの場合、公私ともに“踏ん張りどき”が重なったことが事態を悪化させた。
「当時は本当に辛くて、死んでしまいたいと思うこともありました」
薬も処方されたが、山田さんは薬を飲むことに強い抵抗を感じ、服薬に踏み切れなかったという。
注)これはあくまで山田さん個人の経験です。症状や治療法は人によって異なります。「うつ」と診断された場合には主治医の指導に基づき、服薬・通院など適切に治療を進めていくことが望ましいとされています。
服薬も通院もせず、自力でうつを克服することはかなり難しい。現在、山田さんは「かなり回復していると思う」自覚があるというが、どのようにして今にたどり着いたのだろう。
「お前はそんなはずじゃないだろう」という期待
山田さんは「残念ながら『こうすれば治る』というような、確実な方法は無いと思います。ただ、僕の場合は、妻や友人たちを含め、いろんな人の意見に耳を傾けてみようと思ったことがきっかけかもしれません」と語る。
山田さんの交友関係は20代から70代までと幅広い。特に、近しい関係にある人々ほど10歳以上年下の人たちばかりだという。妻を含め、彼らは山田さんのことを気遣って声をかけ続け、時には叱咤激励をすることもあった。落ち込んでいる時に、年下からの苦言に耳を傾けること自体、普通は難しいことなのではないだろうか。
「最初はもちろん、その誘いに乗る元気も、言葉に耳を貸す気力も起きませんでしたよ。でもだんだんと、みんなが言ってくれている言葉の中に共通点があることに気づいたんです」
それは、自分に向けられた「お前はそんなはずじゃないだろう」という期待だったという。プレッシャーという意味ではなく、山田さんという人間を昔から知っている人たちが寄せる「信頼」に近いものではないだろうか。実際、山田さんはその声を煩わしいとは感じず、むしろ嬉しかったそうだ。
そのことに気づいてから、山田さんは「『そんなはず』ってどういうことだろう。僕は自分自身を客観的に見ることができていなかったのかもしれない。そのためには、もっと多様な意見に触れてみた方がいいかもしれない」という考えに至った。
まずやってみたのは「自分と繋がりの全くない人が集まっているSNSで、いろんな人の考え方や答えの導き方にとにかくたくさん触れてみる」という試み。そこから「徐々に自分の中にあるこだわりが抜け、人の意見がすっと入ってくるようになっていった」。
それまでは、自分のこだわりに固執し、しんどくても「できない」と言うことができず、無理をしてでも走り続ける。そういうやり方しか知らなかった。
一方で、好きなことにとことん情熱を傾けることができる生き方は、山田さんの長所でもあった。その魅力を理解している人々が「お前はそんなはずじゃないだろう、あの生き生きしていた頃の自分を思い出せ」と声をかけ続けていたのだ。
その積み重ねが、山田さんに本来の自分を徐々に思い出させ、ゆっくりと原点に立ち返っていけたのだという。
「『足るを知る』ですよね。3年くらいかかりましたが、今の自分にとってちょうど良い生き方を再認識して再構築することが、メンタルの安定に繋がっていった気がします」
ある日突然それを悟ったわけでもないし、決定的なきっかけがあったわけでもない。ただ、自分は「運が良かった」。これまで自分が積み上げてきた人間関係に、助けられたのだ。
「最後の決定打となったのは末っ子の誕生ですね。3人目となると、もはや大人の数よりも子どもの方が多いじゃないですか。するともう、良い意味で手を抜かないとやっていけない。『自分の力だけではどうにもならないことがある』ということを、ようやく本当の意味で理解できた。強制的に肩の力を抜かざるをえなくなりました」と笑った。
筋力の維持ができず後悔
メンタルの問題を抱え、体にも変化があった。15キロほど体重が増加したのだ。
「元々ラグビー部出身で筋肉量には自信があったし時々運動も続けていましたが、うつになったあたりから運動ができなくなってしまった。『筋力の維持』は、心の健康にもつながると聞くので、その点は後悔している」という。
うつになる前に通っていたマシンピラティスは「汗が滝のように出てすごくハードなんですが、月に一度行くだけでも全然違っていたなあ、と。やっぱりまた通いたいですね」。
ただ、今は第3子が生まれたばかりでなかなかその時間は取れない。体重を戻すために、現在は自分のできる範囲で食事内容をコントロールしている。
例えば、炭水化物を控え、肉を多めにとる。すると、頭も冴えて眠くならなくなった。「多分、前は食べすぎていたんだと思う。適正量がわかってきた感じです」。
「あとは、息子たち2人と格闘することが、最近では一番いいエクササイズになっているのではと思っています(笑)」

(写真:山田さん提供)
アフターコロナにより業績不振に陥っていたCG制作会社では、毎月の社員の給料を保証できないことを鑑みて、2024年の夏、全員をやむなく解雇した。
都市部に構えていたCG制作会社の事務所を自宅近くに移転し、現在は山田さんが1人で依頼を受ける。リソースが足りない場合に、その都度山田さんの方から元社員の個人事業主に発注するという形を取るようになった。
同じ頃、山田さんは以前から誘いを受けていた「大学の芸術学部の非常勤講師」の仕事も受けることに。山田さんのように実社会で通用するCGの技術や知識を教えられる講師というのは、実のところあまり多くはないそうだ。
「最初は断っていたんです。でもやってみたらすごく楽しかった。今は最低限のベーシックインカムとしてやっていますが、今はこっちの仕事をもっと増やしたいくらいです」
CGグラフィック制作、茶農家、非常勤講師。これらの仕事と子育てをどのように毎日こなしていっているのだろう。
朝8時、自宅近くまで幼稚園のバスが来るので長男を乗せ、8時半には次男を保育園に送迎する。山田さんはその足で事務所に向かい、夕方まで仕事をする。その事務所ではCG制作の仕事も、農業関係の事務処理もしているという。
17時には次男を再び迎えに行き、帰宅。今は事務所が同じ町内にあるので、以前よりもかなり動きやすくなった。
現在は育休取得中の妻が家事の大部分を担うが、その日の夕食を作る係は大体その日に決めている。
ここに加え、家業の農作業は今も父が現役で担っているが、その作業の手伝いなどが時期により発生。その合間を縫って非常勤講師の仕事もこなし、バンド活動も継続している。

(写真:山田さん提供)
50代「まだジタバタしている」
これから、まだまだ家計の支出が増えていく時期だ。資産形成というと少し違うが、と前置きをしつつ、「家業の『お茶』が自分の資産です。末っ子が大学へ行く頃、僕は70代。でも、僕の父が70代の今でも現役バリバリで働いているのを見ると『大丈夫だ』と思えるので、それが心の支えになっています」と山田さんは話す。
今は家業が「いつか、自分の子どもが就きたい仕事の選択肢の一つに入ればいいな」という思いで、ブランディングや新しい試みなどに注力していきたいと考えている。
「だから僕は、この歳になってもまだジタバタしてますよ。自分ができることを寄せ集めて、なんとかやっていってるだけなんです。でも」
自身がうつを患った経験から言えるのは、”全速力で走らなくていい”ということだ。「遠いゴールを目指す必要もない。自分が気持ち良い速度で進んでいけるスピードと距離感を掴むことが大切だったんですよね」。