バブルを象徴する女優・千堂あきほ 「東京ラブストーリー」出演時も給料は5万円… 転機となった「名女優の金言」とは

1990年代に歌手、女優、タレントとして絶大な人気を集めた千堂あきほさん(56)。ソバージュヘアにボディコン姿で視聴者を魅了し、バブルの時代を象徴する存在だった。インタビューの【後編】では、千堂さんの当時の意外な暮らしぶり、芸能界に入った経緯、自身の人生で大きな影響を受けた女優などについて語ってもらった。

* * *

――90年代のきらびやかな芸能界を象徴する女優のイメージが強いですが、当時を振り返ってみていかがですか?

 20歳で歌手としてデビューして、学園祭、MCを務めさせていただいた「オールナイトフジ」(フジテレビ系)、ドラマの「東京ラブストーリー」(フジテレビ系)と仕事が一気に増えて。申し訳ないんですが、忙しすぎて忘れている出来事が多いんですよね。当時は1日を乗り切ることで必死でした。ドラマの台本を読んだり準備に追われたり、自宅に帰っても地方の仕事の泊まりの準備をして、すぐに出かけないといけない。睡眠時間は新幹線など移動の2時間という生活を1、2年間過ごしていました。

■「時代に流されちゃいけない」

――私生活はいかがでしたか?

 バブルがまだ残っている時代だったので、大金を見て変わる人がたくさんいましたが、自分の心の中で「時代に流されちゃいけない」という思いがありました。父の影響が大きかったと思います。「一般社会で働いている同世代のような生活をしないとダメだ。芸能界で旬は一瞬だよ」という言葉を大事にしていて。ありがたいことにお仕事をいただいていましたが、「東京ラブストーリー」に出演していた時も給料が5万円だったんです。当時の事務所がブラックだったと言いたいわけではないですよ(笑)。食事代や住居費は払ってもらっていましたが、それ以外の生活費は5万円の中でやりくりしていました。(月末に)何百円しか残らない月もありましたが、貯金箱に自宅と仕事現場の往復の電車代を残して。節約してもキツイ時は、親に1万円を振り込んでもらったこともありました。そのあとに給料が上がっていきましたが、財布に5万円以上入れることはなかったです。夢がない話になっていますけど、大丈夫ですかね……(笑)。

――華やかな時代だったので、暮らしぶりをうかがうと意外に感じます。

 当時の私をテレビで見てくださった方たちはイメージできないですよね。ただ、2人の娘は札幌で子育てをしている私しか知らないので、私が20代だった時の姿に衝撃を受けたみたいです(笑)。(お笑いタレントの)平野ノラさんが「千堂あきほ!」って物真似されたのを見て、「ノラさんがお母さんのことを言ってる!」って大興奮していて。その後にノラさんと共演させていただいたんですけど、娘たちをスタジオに見学で連れていきました。今はSNSで昔のことをなんでも調べられるじゃないですか。子供たちが私の仕事に興味を持ってくれたことはうれしかったですね。

■「ダメだったら短大を受けろ」

――小さいころから芸能界に憧れはありましたか?

 まったく考えていなかったです。陸上競技に打ち込んでいて、走ることだけは誰にも負けない自信があったので、スタントマンになりたかったんです。実際に中学生の時にJAC養成所のオーディションを受けて合格しました。裕福な家庭ではないので、年間70万円の費用を支払えずに入学を辞退しましたが、高校受験で中学の担任の先生に「宝塚北高校が演劇科の1期生を全国から推薦で集めているので受けてみたら?」と勧められて。この時もお芝居の世界で将来活躍したいとかではなく、舞台、伝統芸能、演劇論を勉強して子どもに教えられる幼稚園の先生になれたらいいなと考えていました。

――芸能界に進むきっかけはなんだったんでしょうか?

 夏休みに友達とオーディション雑誌を見ていて、思い出作りにCMのオーディションに応募してみたんです。300人を超える応募総数の中で東京の最終オーディションに9人しか残れないので、合格するなんて想像もできませんでした。でも、最終オーディションに通過の電話がきて……。父に隠していたので怒られましたが、2人で旅行みたいな感覚で東京のオーディション会場に行きました。その時に事務所の社長に声をかけられて。「東京に2年だけ行かせる。ダメだったら短大を受けろ」と言う父と約束して、上京しました。芸能界で活動するなんて考えもしなかったし、夢の世界でしたね。

――デビュー後、テレビで見ない日がないほどご活躍されていました。印象に残っている作品、俳優さんがいらっしゃいましたら教えてください。

 大切にしている作品ばかりですが、「東京ラブストーリー」は連続ドラマのデビュー作なので特に思い出に残っています。千堂あきほより、役名の「長崎尚子」で覚えていらっしゃる方が多くて。今でも「長崎さんが大好きでした」と声をかけていただくと、ありがたいなあと思います。共演した方では、菅井きんさんが衝撃でしたね。当時はマネジャーが運転する車で現場に行くのが普通でしたが、菅井さんはベンツを運転して現場にいらっしゃったんです。「女優なんてどこでもひとりで行けるようにならなきゃ。自分のことは自分でやらないとダメよ」とお話しされていたのがすごく印象に残っています。「飲み物がないから買ってくる。あんたはいる?」と聞かれたことがありました。日本を代表する名女優さんが、当時売れていなかった私をかわいがってくれて。自分の軸を持って、地に足をつけて生きる姿を菅井さんから学び、今も大切にしています。

■「正解を聞いているんじゃないか」

――千堂さんはレギュラー出演していた「マジカル頭脳パワー!!」(日本テレビ系)で、頭の回転が非常に速いイメージがあります。

 勉強ができるわけではなく、とんちや人の裏をかいたりすることが得意でした。当時は正解を聞かないようにクイズが出される前にヘッドホンをするんですけど、私はヘッドホンが大きかったので耳にしっかり当たるように直していたら癖になって、視聴者から「千堂あきほは正解を聞いているんじゃないか」って投書がきたんです。テレビのスタッフに「ヘッドホンがズレそうになったらCM中に直して」と言われてしまって。私が早いタイミングで正解を出すことを、世の中の方たちは信じられなかったんだと思います(笑)。「マジカル頭脳パワー!! 2025」が最近放送されたじゃないですか。時代を超えて家族で楽しめる番組だなあと改めて感じました。でも、今は子どもたちのほうが正解を出すのが早いんですけどね。私は置いてけぼりです(笑)。

(聞き手・構成/平尾類)