12人の子のうち6人が統合失調症に、医学の発展に貢献した一族の波乱の人生

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第二次大戦後、ドンとミミ夫妻は12人の子に恵まれ、幸せな生活を送っていた。だが成長とともに子どもたちは精神に異変をきたし、6人が統合失調症と診断された。厳格な両親のもとで育った息子たちが次々と発症したギャルヴィン一家の実話である。※本稿は、ロバート・コルカー(著)、柴田裕之(翻訳)『統合失調症の一族:遺伝か、環境か』(早川書房)の一部を抜粋・編集したものです。
“申し分のない男”が起こした
たった一度の暴力が家族を壊す
ギャルヴィン家は、けっして普通の家族ではなかった。ドナルド(編集部注/ギャルヴィン家の長男)が最初の、最も目立つ症例だった年月にも、弟のうち5人がひっそりと、精神に変調を来しつつあった。
その1人が末弟で一家の叛逆児のピーターであり、躁病で乱暴で、長年にわたってあらゆる支援を拒んだ。
才能のある陶芸家のマシューもそうで、彼は自分がポール・マッカートニーだと思い込んでいないときには、自分の気分が天気を決めていると信じていた。
病気になった兄弟のうちで最も物腰が柔らかく、痛いほど自意識が強いジョセフは、異なる時や場所の人の声を、はっきりと聞いた。
そして、一匹狼の2男のジムは、ドナルドと激しく争い、一家でも特にか弱い者たちに襲いかかった。妹のメアリーとマーガレットが、とりわけひどい目に遭わされた。
最後がブライアン、申し分のないブライアン、一家のアイドルで、深刻そのものの恐怖心を家族の誰からも隠していた──が、たった一度の不可解な暴力の爆発で、家族全員の人生を永久に変えることになる。
ギャルヴィン家の12人の子供たちの誕生は、ベビーブーム時代と見事に重なっている。ドナルドは1945年に、メアリーは1965年に生まれた。彼らの世紀はアメリカの世紀だった。
親のミミとドンは、第1次世界大戦の直後に生まれ、世界恐慌のときに出会い、第2次世界大戦中に結婚し、冷戦時代に子供を育てた。幸福の絶頂期には、ミミとドンは彼らの世代の偉大なところや良いところをすべて体現しているように見えた。
冒険心、勤勉さ、責任感、そして楽観(子供を12人も、しかも最後の数人は医師たちの助言に逆らってまで儲ける人は、楽観主義者以外の何者でもない)。
統合失調症の歴史の中で
医学の的となった家族の記録
しだいに大きくなっていく家族と共に、2人はさまざまな文化運動が興っては消えるのを見届けた。そしてその後、ギャルヴィン家の全員が、文化に対して独自の貢献をした。人類の最も理解しがたい疾患における、壮大な症例研究の対象として。
ギャルヴィン家の10人の息子のうち6人が、統合失調症についてほとんど何もわかっていなかった時代──そして、じつに多くの異なる説がぶつかり合っていたとき──に発症したので、それを説明するための探求が、彼らの人生全般に影を落とした。
彼らは、施設への収容とショック療法や、サイコセラピー(精神療法)か薬物療法かという議論、とうてい見つかりそうにないこの疾患の遺伝子マーカーの探索、疾患自体の原因や起源をめぐる深刻な意見の相違などに代表される、さまざまな時代を生き抜いた。
兄弟がそれぞれこの疾患をどのように経験したかについては、遺伝的なところはまったくなかった。
ドナルド、ジム、ブライアン、ジョセフ、マシュー、ピーターは、1人ひとり異なる形で患い、異なる治療を必要とし、次から次へと診断が変わり、統合失調症の本質についての、相容れない説の対象とされた。
そうした説のうちには、親のドンとミミにとりわけ残酷なものもあり、2人は自分たちがしたことやしなかったことのせいでこの疾患を引き起こしたかのように責められることがしばしばあった。
家族全体の苦闘は、薄皮を1枚剥いでしまえば、じつは、統合失調症の科学の歴史──何十年にもわたって、何がこの疾患を引き起こすのかばかりでなく、この疾患はいったい何なのかをもめぐる、長い論争という形を取ってきた歴史──でもある。
名前も記憶も変えたい…
少女が抱いた逃げ場のない苦しみ
精神に異常を来さなかった子供たちも多くの面で、精神疾患になった兄弟に劣らぬほどの影響を受けた。
どんな家族であれ、12人も兄弟姉妹がいれば、それぞれが個性を形成するのは難しいが、ギャルヴィン家の場合には、他に例のない類の動的な人間関係を特徴としており、そこでは精神を患っている状態が家庭の標準であり、それ以外の事柄は万事それを出発点とせざるをえなかった。
リンジーと姉のマーガレット、兄のジョン、リチャード、マイケル、マークにとって、ギャルヴィン家の一員であるというのは、自分も精神に異常を来すか、家族が精神に異常を来すのを目の当たりにするかのどちらかで、いずれにしても、永続的な精神疾患の風土で育つことだった。
たまたま妄想や幻覚やパラノイア(偏執症)を起こさなかった──自宅が攻撃を受けているとか、CIAが彼らを捜しているとか、悪魔がベッドの下に潜んでいるとか信じるようにならなかった──としても、自分の中に不安定な要素を抱えているかのように感じていた。
あとどれだけしたら、それに自分も乗っ取られてしまうのかと、彼らは不安に思った。
リンジーは末っ子だったので、起こったことのうちでも最悪のものを耐え忍んだ。彼女は危険な状態に置かれ続け、自分を愛してくれていると思っている人々に、直接傷つけられた。
幼いころは、誰か別の人になりたいとばかり思っていた。コロラド州を離れ、本当に名前を変え、別人になり、自分が経験したことの記憶のいっさいを上書きすることもできただろう。リンジー以外の人だったら、できるかぎり早く家を飛び出し、二度と戻って来なかっただろう。
それでも兄を愛している…
末っ子リンジーが至った境地
ところが今、リンジーはポイント・オブ・ザ・パインズにいて、かつて自分が恐れていた兄が心臓検診を必要としているかや、必要な書類にすべてサインしたかや、主治医がきちんと診察してくれているかを確かめている。
彼女は、存命中の他の病んだ兄たちのためにも、同じことをする。ドナルドには、今日の訪問の間中、細かく注意を払い、兄が廊下を歩く様子を見守る。兄が体に十分気をつけていないことを心配する。兄にできるかぎりのことをしてやりたいと願っている。
あれこれあったが、それでも彼女は兄を愛しているのだ。この変化は、どうして起こったのか?
ギャルヴィン一家のような家族がそもそも存在する確率を計算するのは不可能に見える。
まして、あれほど長く崩壊せず、ついに見出される確率は、想像を絶する。統合失調症の厳密な遺伝子のパターンは、まだどうしても突き止められていない。
その存在は窺われるのだが、洞窟の壁に揺らめく影のように、掴み所がない。研究者たちは1世紀以上前から、統合失調症のとりわけ大きな危険因子の1つが遺伝であることを理解している。
だが不思議にも、統合失調症は親から子へとは直接受け継がれないらしい。
精神科医も神経生物学者も遺伝学者もみな、どこかに統合失調症の遺伝暗号があるに違いないと信じていたが、いまだにその在りかを突き止められていない。
そこへギャルヴィン家の人々が登場し、これだけ大勢の患者がいたおかげで、この疾患の遺伝的プロセスについて、誰も願ってもみなかったほど深い見識が得られた。
1家族で統合失調症を抱えた6人の兄弟──同じ2人の親から生まれ、同じ遺伝系列に連なる、正真正銘の兄弟──に出会った研究者はかつてないことは確実だ。
「彼らは無価値じゃない」
壊れた家族のDNAが医学を動かした
ギャルヴィン家は1980年代から、統合失調症を理解するカギを探し求める研究者たちの調査の対象となった。
一家の遺伝物質は、コロラド大学健康科学センターや国立精神保健研究所や複数の大手製薬会社によって解析されてきた。そのような調査の対象者はすべてそうなのだが、彼らの参加も常に秘密にされてきた。
だが、今や40年近くに及ぶ研究の後、ギャルヴィン一家の貢献は、ついにはっきりと目にすることができるようになった。彼らの遺伝物質のサンプルは、統合失調症の理解を進めるのを助ける研究の基礎を成している。
研究者は、一家のDNAを解析し、一般大衆の遺伝子サンプルと比較することで、統合失調症の治療や予測、さらには予防においてさえ、大きな前進を遂げようとしている。
ギャルヴィン一家は最近まで、他人の役に立っていることをまったく知らなかった。自らの境遇が、一部の研究者の間に、前途に対する大きな期待を生み出したことに気づいていなかった。

『 統合失調症の一族:遺伝か、環境か 』 (ロバート・コルカー(著)、柴田裕之(翻訳)、早川書房)
だが、一家から科学が学んだことは、彼らの物語の、ほんの一部でしかない。その物語は、子供たちの親のミミとドンから始まる。2人の生活は、無限の希望と自信にあふれて幕を開けたものの、頓挫し、悲劇と混乱と絶望に陥る羽目になった。
一方、子供たち──リンジーとマーガレットと10人の兄──の物語は、もとから常にそれとは違うものについての物語だった。彼らの子供時代がアメリカンドリームを歪んだ鏡に映したものだったなら、彼らの物語は、その鏡に映った像が打ち砕かれた後に現れたものにまつわる物語だった。
その物語は、今は大人になって自分たちの子供時代の謎を調べ、親たちの夢の断片を継ぎ合わせ、何か新しいものにまとめ上げようとしている子供たちについてのものだ。
それは自分の兄弟たち、すなわち世間の大半が無価値に等しいと判断した人々の中に、人間性を再発見することについての物語だ。
それは、想像しうる事実上すべての形で最悪の出来事が起こった後でさえ、家族であるとは何を意味するかを理解する新しい方法を見つけることについての物語なのだ。