【独占・長渕剛】志穂美悦子さんの話を自ら。「僕って最初から悪いキャラなんでね」なんで?(後編)

半世紀近く、歌手としてトップスターの座にいる長渕剛さんにインタビュー。歌の話からご家族の話まで隠さず語った。【本記事はアエラ増刊「AERA Money 2025冬号」から抜粋しています】
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※この記事は前・後編の後編です。前編はこちら
長渕さんの家族の話になった。
「妻は女優でした。だからお姫さまのように大事にする。苦労させない。僕は君のために働くと言いました。
悦子がはじめての子どもを産んだとき、この家族のために命がけで生きるんだと思った」
この取材の前に一部の週刊誌が、志穂美悦子さんとの別居を報じていた。こちらから質問する気はなかったが、長渕さんのほうから自然に語りはじめた。
「妻は長年、僕に本当によくしてくれました。30年以上も一緒にいて、子ども3人も自立して。
仲が悪くなったとか、僕がひどいことをしているとか、そんなベタベタした次元はとっくに通り越してますよ。長いこと夫婦をやってる人なら、この感じ、わかるんじゃないかな」
はい、わかります。
こちらは長渕さんの目を見ながら話を聞いているわけだが、何かを隠そうとする雰囲気は一切なかった。
「悦子はこれまで自分のことより僕のことや子どものことを優先してくれた。これからはお互い自分優先で、好きなことをしよう、と。
シャンソン歌手としても活動していますよね。もしや彼女は今が一番輝いているんじゃないか。尊敬もしています」
ご本人から直接、事実を話されると「誰も悪くないじゃない」と感じた。
失礼を承知で「長渕さんって悪い人に見えやすいので……」と言うと、長渕さんは苦笑い。
「最初から悪いキャラなんでね」
この「最初から」という言葉の意味を理解するために、60年以上前のことを振り返る。
■芸能界とフォーク

フォークソングが出てきたのは1960年代。ニューミュージックとも呼ばれた。
岡林信康がフォークの神様といわれ、小室等、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水がフォークの四天王とされていた(諸説あり)。
「ニューミュージックって自前の衣装にメイクなしでステージに立つでしょ。お仕着せは嫌、全部自分たちのやり方で歌う。
伝統的な芸能界とニューミュージック界は敵対する傾向がありました。
その頃、フォーライフ・レコードが先陣を切って新しい流れをつくります。そこに深い関係のあるユイ音楽工房というプロダクツに入りました」
※編集部注:フォーライフ・レコードは小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるなど当時人気のフォークシンガーが設立した、「ミュージシャンによるミュージシャンのための」レコード会社。当時の既存のレコード会社の勢力図を塗り替えるほどの衝撃で、業界は大混乱に

「マスコミ、芸能界、テレビの三者の癒着みたいなものがあった時代に、ユイ音楽工房が殴り込みの構図です。
そんなときユイにいる僕がテレビ側にいるアイドルの石野真子さんと1回目の結婚をした。そりゃ、つぶされますよね。
僕が芸能事務所の社長だったら、つぶします(笑)。
純粋な恋をして、愛して愛して結婚したわけですが、正当に受け止められないのは当たり前でした。
その頃に僕の最初の『悪いキャラ』がつくられた感じがあります」
■練習は耳コピ
さらに遡(さかのぼ)る。長渕さんがギターに触れた15歳のとき、どう覚えたのか。
「練習は我流です。『耳コピ』ね。LPレコードに針を落としてスピーカーに耳をくっつけて。
弦がどうなるとどんな音が出るのか、必死で毎日5〜6時間弾いてました。指から血が出て、タコもできて」
がむしゃらに努力する長渕さんに道を開いたのが、若手ミュージシャンの登竜門だった「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(通称:ポプコン)だった。
※編集部注:ポプコンはヤマハ音楽振興会が開催していた音楽コンテスト。優勝者は自動的にレコードデビュー
「福岡のライブハウスで3年ほど歌っていました。
まず福岡で1番になって、次に九州で1番になる。それからポプコンのつま恋(ごい)本選会(※)で1番になれば日本一。そうすればプロになれる。
ポプコンでは1位を逃しましたが、当たり前のことを当たり前にやってきました」
※つま恋本選会…ポプコンの開催地が第7回(1974年)から静岡の「ヤマハリゾートつま恋」に移り、こう呼ばれるようになった
「ポプコンは1976年に九州代表で本選に進み、翌年に一度デビューしたけど失敗。
福岡に帰ると父が鹿児島から出てきて、次にダメなら音楽は諦めろとゲンコツをもらいました。引き際を教えに来たわけです。父の言葉は絶対でしたから、本当に次で最後だと覚悟を決めました。
ラストチャンスの1978年、『巡恋歌(じゅんれんか)』で賞をいただきました」

最近は長男WATARUさんの影響でラップも聴くようになった。
「僕は『苦しくても立ち上がって行けよ!』という作風ですが、長男のアルバムでは『そんなこと気にするなよ』って(笑)。『海に入って波に乗ったら星も太陽もあるし』。こんな人生もいいな、と不覚にも涙が出ました。息子に隠れて聴いています」
関西フォークでもラップでも、共通するのは歌詞の力だ。
「詩を書くには作家性が大事です。文脈や歌詞のワンフレーズで人の心を打つ。悲しい世界から幸せな世界へ連れていく。最近は紙に万年筆よりスマホ入力でしょうか。
デジタルで同じコードをループさせながら音に詩を当て込む、そんな曲作りもおもしろいですが、僕はいまだに伊東屋の原稿用紙とペリカンの万年筆です」
今回の取材で発見したことがある。
筆者はインタビューの際に必ず、相手の了解を取ったうえで録音する。後日、音声データをAIで文字に起こす。
すると、話し慣れている芸能人や企業経営者でも解析不能のセリフが多々ある。ところが今回の長渕さんの取材音声をAIはほぼ正確に書き起こした。
不明瞭部分なし。長渕さんは言葉にこだわっており、一つ一つの発声が正確で聞き取りやすいからだ。
歌詞に魂を込める長渕さんが、話し言葉も大切にしていることが、はからずもAIにより証明された。
■日本武道館で倒れた

長渕さんは2025年で69歳。厚みのある両肩に乗った筋肉が目を引く。
「以前は体を鍛えることが大事だと思っていなかったんです。ちょこっと泳ぐぐらいでした。ミュージシャンは不健康で、たばこに酒がカッコいいと思っていたから」
そんな長渕さんに試練が訪れる。
29歳のとき、「ハングリー」と題した40本の全国ツアーを計画していた。
「20本目の日本武道館で倒れたんです。キーを高くしてロックテイストで作った曲で体力を削られた。
悔しくて、武道館の床を拳で血が出るまでたたきました。
『明日へ向かって』という歌を作ったのに自滅して、明日のライブができない。最悪です」

長渕さんはそのまま病院送りとなり、悔しさから体力作りに向かった。
「ライブはフルマラソンの42.195キロを走るくらい体力を使います。アスリートと同じ。1回で体重が5キロは落ちる」
本業が曲作りか体作りかわからないほど、トレーニングに力を入れている。
「今も週4日は体作りです。筋トレと有酸素運動。1日に午前と午後の2時間ずつ。
食事は肉中心です。基本は国産。野菜は産地も農薬の有無も見ます。ライブのために食べて、生きているようなものです」
すべては歌のためだ。

■がんばるやつが必ずいる
ところで高度成長期から令和まで駆け抜けてきた長渕さんの目に、今の日本はどう映っているのだろう。
「大人は弱体化しましたね。若者からは教育や道徳が失われつつある。日本の財産だったのに。なくしたものをどうすればいいか、僕にはわからない」
少しの沈黙。
「でもね。そんな中でがんばるやつが必ずいるんです。
弱った大人、道徳の欠けた子ども。そういう悪いほうを際立たせるんじゃなく、がんばるやつに光を当てたい」
年齢についてどう考えますか?
「若者が時代を牽引する。たとえば還暦を過ぎた人は端に追いやられていく。いつの時代もそうです。
ただ、還暦を過ぎた人には若者にない経験値がある。僕は若い連中に、自分が経験してよかったことを伝えます。悪かったことも言います(笑)。だから僕は生涯現役にこだわるんです」
最後の言葉がよかった。厳選3つ。
「こうでなければいけないって生き方はやめろ。自分自身の生き方って? そのことだけを考えろ」
「仲間なんてそう多くはいないよ。でも失望するな。自分の信念を磨けば、共鳴してくれる人が必ずいる。何度でも裏切られていい。最後に仲間が1人残れば財産」
「僕は歌が生業(なりわい)! 僕に何かあって姿かたちが消えても、歌をひもとけば真実が見えてきます。歌は秘密の玉手箱なんです」
ここで写真撮影に移った。レンズに向かって飛ぶ、跳ねる、ピクリとも揺れずに静止する。シャッターの合間に雑談も。

「まじめすぎたかな。おやつの話とか、したほうがよかった?」
えっ、食は肉とこだわり野菜のみでは?
「鍛えて鍛えてがまんして、ご褒美にソフトクリーム食べるのが楽しみなんですよ。
おいしい店あるのよ、自由が丘に。ミニストップ(のソフトクリーム)もいいね」
長渕さんとソフトクリーム。悪くない。
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取材・文/中島晶子(AERA編集部)、大場宏明
長渕 剛(ながぶち・つよし)/歌手。1956年、鹿児島県出身。1978年にシングル「巡恋歌」で本格デビュー。1980年「順子」で初のチャート1位を獲得、その後も「乾杯」「とんぼ」など数々の国民的ヒット曲を作り上げる。俳優として映画やドラマにも出演(1980年代から1990年代の出演が特に多い)。アスリート級の体力から生み出される圧倒的なライブパフォーマンスに定評がある。2025年10月よりアリーナツアー「TSUYOSHI NAGABUCHI 7 NIGHTS SPECIAL in ARENA 2025」を開催、全国7公演を完走

編集/綾小路麗香、伊藤忍
『AERA Money 2025冬号』から抜粋
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