「頭から油を被る感覚」とんかつ屋で異変。外食が怖くなった女性を苦しめた幼少期の「完食指導」

ある日突然、人と会食すると苦しくなった。コミックエッセイ『外食がこわい 会食恐怖症だった私が 笑顔で食べられるようになるまで』で過去の実体験を明かしたなつめももこさん。10年にも及んだ通院のきっかけは、飲食店でのごく普通な出来事でした。

食べるのが大好きだったはずの私が… 

── もともと食べることが大好きだったなつめさんが、「外食がこわい」という感情に襲われたのは、知人との食事で訪れたとんかつ屋さんでのことだったそうですね。食べきれなかったことがきっかけだったとか 。

なつめさん:はい。とんかつ好きなので、いつも通り「おいしい」と思っていたはずが…なぜだか気持ち悪くなってしまって。「頭から油をかけられている」みたいでした。 

食べるのが大好きだったはずの私が… , 家では大丈夫、人前では食べられない葛藤, 聞こえてくる「残すな」の声と幼少期の記憶 , 「最後の通院」を終えるまでにかかった10年

コミックエッセイ『外食がこわい 会食恐怖症だった私が 笑顔で食べられるようになるまで』

コミックエッセイ『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』より

──「仕事が忙しい」などといった、予兆はあったのでしょうか? 

なつめさん:私の場合は当時、特に予兆のようなものはなく、ある日、突然…。もしかしたら仕事の忙しさなど、環境的な要因があったのかもしれませんが、私の意識するところにそういった出来事があったわけではありませんでした。

家では大丈夫、人前では食べられない葛藤

── 翌日、家で朝食をとるも食欲はいつも通り。胸やけのような苦しさはなく、ご飯は普通に食べられたそうですね。しかしまた問題が…?

なつめさん:はい。別の機会に外食をしたときも、同じような症状が出てしまいました。食事どころか、お水を飲むことさえ難しくて…。

食べるのが大好きだったはずの私が… , 家では大丈夫、人前では食べられない葛藤, 聞こえてくる「残すな」の声と幼少期の記憶 , 「最後の通院」を終えるまでにかかった10年

コミックエッセイ『外食がこわい 会食恐怖症だった私が 笑顔で食べられるようになるまで』

コミックエッセイ『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』より

── 楽しいはずの誰かとの食事が苦しい時間となってしまい、さまざまな戸惑いがあったかと思います。「人と食事をすると苦しくなる」と気づいたとき、どのような気持ちでしたか? 

なつめさん:「食べられないことに気づかれたくない」という気持ちがあったので、食事の場をどうやってのりきろうか…といった焦りがありました。どうやってごまかそうかとばかり考えていました。自分の料理が取り分けられるのを見ているのが怖くて、他のテーブルに話に行くふりをして席を立ったり。そこで、「私は何かおかしいみたいだ」と気づいたんです。 

──「飲み会が苦手」ということとは違うんですよね。

なつめさん:はい。ただ会社の集まりだけではなく、仲がいい相手や一緒にいたい相手でも、会食の場になるとのどが詰まって呼吸が苦しくなったり、ふるえたり、その場から逃げ出したくなるような症状が出てしまうんです。個人差があると思いますが、その点が私にはとても苦しかったです。 

聞こえてくる「残すな」の声と幼少期の記憶 

──「食べられない」という症状から、その後は内科と消化器科のあるクリニックに足を運んだそうですね。

なつめさん:そこで言われたのは「胃腸機能でなく、精神的な部分が関係している」ということでした。それを聞いて、最初は自分の苦しみが医師にうまく伝わっていないのではとショックでした。でも、話を続けるなかで「症状が出るのは外食のときだけですよね」と言われてハッとして。

食べるのが大好きだったはずの私が… , 家では大丈夫、人前では食べられない葛藤, 聞こえてくる「残すな」の声と幼少期の記憶 , 「最後の通院」を終えるまでにかかった10年

コミックエッセイ『外食がこわい 会食恐怖症だった私が 笑顔で食べられるようになるまで』

コミックエッセイ『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』より

── 医師から精神的な部分が関係しているという話を聞いて、幼いころに父親から「残すな食べろ」と言われたことが症状に関係していたと、あとになって思うようになったそうですね。

なつめさん:そうですね。幼少期のころ、食事を残すと父親から「残さず食べろ」ときつく言われ、食べられずに泣くと「うるさい!食事中に泣くな!」と叱られ、家の外に出されたことがありました。当時ははっきり認識していたわけではないのですが、症状が出た原因のひとつかと思います。

── 刻まれた「幼少期のトラウマ」が悪いかたちで出てしまったのかもしれませんね。今はその過去をどう受け入れていますか?

なつめさん:父が生きてきたのは戦後の貧しい時代。当時も父なりにきっと、食べ物がどれほど貴重だったのか伝えたかったのだと思います。食事の尊さを伝えるのは間違ったことだとは思っていません。ただ、その「残すな」という強すぎる思いが、私には恐怖でしかなかったことも事実です。食事の場が楽しいものだと思えるのが私にとっては理想、残すことに罪悪感をもちすぎないよう心がけています。

「最後の通院」を終えるまでにかかった10年

── なつめさんの体に異変が起きてから通院を終えるまで、最終的に10年の月日がかかりました。どんな日々をおくりながら改善へと向かわれたのでしょうか?

なつめさん:私の場合、部署を異動してハードな環境で仕事していたことも影響しているのかなと。なので、自分の症状と生活をきちんと整理するために退職し、リセットしてうんと休みました。そのうえで、どんな場面で症状が出にくいのか、少しずつ自分を理解し、「大丈夫」と思える場面を増やしながら、治療を進めていきました。

外食が怖いと思い始めた当初はそれを隠そうとばかりしていましたが、親しい人に自分がの状況を話し、知ってもらえている環境に身を置くことが増えたのも、いい要因になっているのかなと思います。

── 今から2年ほど前、通院が終わってからなつめさんは「会食恐怖症」という言葉に出合い、自身の症状が当てはまっていると感じられたそうですね。「今、苦しんでいる方が救われますように」「症状を知らない方が知ってくれますように」との思いから、自身の体験談をコミックエッセイとしてまとめられたと伺いました。今、同じような症状を抱えている方に、どのような言葉を伝えたいですか?

なつめさん:同じような症状を長年抱えていた私も最近知ったというくらい、「会食恐怖症」はまだ認知度が低いため、当事者が周りに打ち明けにくいという課題があると思います。でも、ひとりで抱え込むと、食事の場を避けるなど、周囲とコミュニケーションを円滑にとりにくくなり、孤立した状態になってしまう場合があります。病院の先生、ご家族、ご友人など、「この人なら話を聞いてくれるかも」という信頼できる方にどうか頼ってみてください。

今は「会食恐怖症」の当事者同士が悩みを相談できるコミュニティもあるので、そういった場で打ち明けてみるのもいいと思います。どうかひとりで悩まないでほしいです。

また、「食べ物を粗末にしないでほしい」「しっかり食べて、丈夫な体になって」と子どもに対して親や周囲の大人が思うのは当然のことだと思います。でも、そうした言葉を投げかける際に、少し考えてみてほしいのです。そうした言葉が、知らず知らずのうちに食事の時間から大切なものを奪ってしまってはいないかと。食事は心も体も満たされるものです。食事を通して得られる「おいしい」「うれしい」「楽しい」「幸せ」という気持ちも、大切にしていけるといいなと思います。

取材・文:可児純奈 画像:なつめももこ