中国高速鉄道「5万km突破」消えゆく在来線の面影

また1つ消えた「長距離客車列車」, 新トンネルや線路改良で高速化, 高速鉄道「新線」建設へ, 街から離れた駅や「幽霊駅」問題, 「かつての列車旅」懐かしむ人々

中国広東省・坪石付近の在来線を走る韶山8型電気機関車牽引の客車列車=2005年(筆者撮影)

中国の高速鉄道の総延長が2025年末、ついに5万kmを超えた。最初の高速鉄道専用線が2008年に完成してから20年に満たない期間で、日本の鉄道の総延長をはるかに上回る規模まで一気にネットワークを拡大した。

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日本をはじめとする高速鉄道先進各国から「なりふり構わず」技術を導入し、高速化についても近年では「独自の知的所有権を持つ」とする車両によって、時速400kmでの営業運転も見据える水準にまで達している。

ただ、高速鉄道の発展が報じられる一方で、人々の生活を長らく支えてきた在来線について語られることは少ない。

また1つ消えた「長距離客車列車」

1月中旬、中国在来線の現状を示す象徴的な出来事があった。上海と広州を結び、かつては香港の紅磡(ホンハム)まで伸びていた長距離客車列車、Z99/100次列車が14日の運行をもって姿を消したのである。

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この列車は香港と上海を直通する「滬九直通車」として運行を開始し、その後も両都市を結ぶ直通特急として走り続けてきた。だが、香港への直通は高速鉄道経由の寝台電車にその座を譲り、2024年には上海―広州間に短縮。そしてついに今年1月、「動車組」と呼ばれる新幹線タイプの寝台電車に置き換えられた。

中国の鉄道高速化は、当初は在来線の改良によって進み、2000年代半ばから高速新線の建設に移行して現在に至っている。その流れを見てみよう。

1980年代の中国の鉄道はまだ速度が低く、旅客列車は平均的に時速40km台で走る前提のダイヤが組まれていた。筆者が初めて中国を訪れた1985年に列車で両都市間を移動した際は、夕食前に出発して翌日の昼食ごろに到着し、所要時間は約14〜16時間だった。現在、同区間を結ぶ高速鉄道の最速列車は4時間20分を切っている。同様に、現在は高速鉄道で約75分の上海―南京間は7時間近くを要した。

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中国・海南島を走っていたローカル列車。現在はリゾート地として知られる三亜付近にて=1992年(筆者撮影)

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新トンネルや線路改良で高速化

当時は在来線の改良による輸送力の増強とスピードアップが進んでいた。その一例が、北京と広州を結ぶ幹線、京広線の坪石と楽昌(ともに広東省)を結ぶ旧線区間である。

ここは山脈が横たわり、南北を結ぶ回廊はもともと広く開けた場所ではなく、地形の隙間を縫うような経路だった。京広線も武江の峡谷沿いに線路が通っており、曲線が多いこの区間はボトルネックとなっていた。

同区間は1987年に「大瑶山トンネル」(約14.3km)が貫通し、その後峡谷沿いではなく山脈を貫通するルートに変わった。同トンネルは、中国で初めて長さ10kmを超える鉄道トンネルとして7年をかけて建設された。これによって同区間はスピードアップが図られた。

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坪石付近のトンネルを走る客車列車(筆者撮影)

このような改良は各地で行われ、1990年代後半〜2000年代にかけて線路や設備の改良が進んだことで主要幹線では段階的な高速化が進んだ。例えば、上海―南京間を結ぶ滬寧線では1997年から2007年にかけて複数回の改良が行われ、最高時速160kmで走れる区間が整えられていった。当時、両都市間は約3時間弱で走る列車「新曙光号」などが1日数往復ある程度だった。

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上海駅を発車する「新曙光号」。2階建てのディーゼル列車だった(筆者撮影)

【写真】広州と深圳を結ぶ路線に1998年に登場した最高時速200kmの「新時速」

また、北京―上海間の夜行特快(特急)は夕刻に出発して朝到着する「夕発朝至」を売りにした “商品”として明確に位置付けられ、停車駅の削減などによって、夜の移動時間をいかに無駄なく使うかを重視したダイヤ設定になった。2000年代前半には、優等列車は両都市間を約10時間半〜12時間で走るようになった。

高速鉄道「新線」建設へ

そして中国は2000年代半ば、在来線の改良から抜本的な新ルートである高速新線建設によるスピードアップへと舵を切った。

最初の高速新線は2008年8月に開業した北京―天津間(京津城際鉄道)で、その後急速に路線網を拡大。上海虹橋―南京南間を結ぶ高速新線は2010年7月1日に開業し、両都市間の所要時間は一気に約75分まで縮んだ。

北京―上海間を結ぶ京滬高速鉄道も、2011年6月30日に営業運転を開始した。開業当初の最速列車は両都市間を最高時速300km・4時間48分で結んだが、車両開発の進展によって2017年に登場した「復興号」CR400AF形・CR400BF形は営業最高時速350kmでの運行を開始した。現在、両都市間の所要時間は最速で4時間18分だ。こうして中国の鉄道は、航空との旅客シェアを取り合う存在にまで成長した。

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営業最高時速350kmで走るCR400AF形(写真:Visual China Group/Getty Images)

一方、高速鉄道が中~長距離輸送の主役になる中、在来線は大都市間旅客輸送の役割を徐々に失っていった。

例えば、上海―南京間の高速鉄道は最速の優等列車「G列車」やこれに次ぐ「D列車」が1日100本以上運行されているが、在来線の優等列車だった「Z列車」や「T列車」は事実上消滅した。長距離の「K列車(快速)」は地方からの輸送手段として残るものの、上海―南京間を中心とする短距離の運用はほぼ消滅した。

新幹線の開業によって、在来線が補助的な役割や貨物輸送中心へ変わったのは日本も同様だ。だが、これが全国的にさらに大規模に起きているのが中国といえる。例えば、前述した京広線には並行する形で高速鉄道が開業したことで、内陸部と広東省を結ぶ大動脈の途中駅だった坪石や楽昌は、現在は旅客列車が日に数本停車するのみとなっている。

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上海駅を発車するかつての客車列車。先頭に立つのは1990年代後半以降、高速化の主力となった東風11型ディーゼル機関車(筆者撮影)

街から離れた駅や「幽霊駅」問題

ただ、日本の新幹線と異なるのは、中国の高速鉄道の駅、とくに大都市のターミナルは従来の中心駅に隣接せず、上海虹橋駅や南京南駅などをはじめ、都市中心部から離れた場所に建設される例が多いことだ。中心部からの地下鉄や道路移動を考慮すると、「駅が遠い」という感覚がある。列車自体は大幅に速くなったが、ドアツードアでは必ずしも「早く着けるようになった」という実感を伴わないことも多い。

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南京郊外に新設された高速鉄道の南京南駅。ホーム15面28線の巨大ターミナルだ(写真:Costfoto/NurPhoto via Getty Images)

また、高速鉄道の新駅は「地元のため」との名目で、経済性や需要判断を考慮せず建設した結果、ほとんど使われていない、場合によっては開業以来まったく使われていない駅も各地に存在し、問題となっている(2024年8月20日付記事『中国高速鉄道、急成長の影で「幽霊駅」出現の衝撃』参照)。

中国では長期にわたり、立ち遅れた内陸部の社会整備や経済へのテコ入れが頭の痛い課題として横たわっていた。大都市間のような大きな需要の見込めない地方も含めた高速鉄道網の拡充は、そうした問題を目に見える形で解消するためといえる。

したがって、投資回収や維持更新のためのコストなどといった指標だけでは評価しにくい部分はあるものの、中国も総延長5万km達成と手放しで喜んでいられるだけではないのも事実だ。

そんな中、冒頭で触れたZ99/100次列車が姿を消した。

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香港から中国本土へ向かう客車列車。高速鉄道の開通で香港と中国各地を結ぶ在来線客車列車は姿を消した=2018年(筆者撮影)

「かつての列車旅」懐かしむ人々

Z99/100次列車は1997年5月、香港の中国返還直前に運行を開始した、返還時の象徴的な列車だ。2024年以降は上海―広州間に短縮されていたとはいえ、そんなルーツを持つ在来線列車が静かに役割を終えたことになる。

この列車は新幹線タイプの寝台電車に置き換えられたため、形のうえでは “格上げ”である。だが、中国在来線の輸送を長らく担ってきた長距離客車列車がまた1つ消えたのも事実だ。在来線経由のこの列車には、注文を受けてから鍋を振るという昔ながらの食堂車サービスが残っており、その終了を前に名残を惜しむ人々による「駆け込み」での乗車需要が起きた。

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上海駅を発車する東風4D型ディーゼル機関車牽引の客車列車=2000年(筆者撮影)

経済発展を支える高速化へ突き進んできた中国の鉄道だが、発展の影で失われるかつての列車の旅という「体験の終わり」を惜しむ現象も確かに広がっている。効率的な高速鉄道網が広がる一方で、中国社会の変容を映し出しているともいえるだろう。

また、高速鉄道の駅を郊外に立地させたことで、「電車は速いのに、駅は街から遠くて時間がかかる」という逆説も生まれた。これは中国の高速鉄道が抱える一つの弱点ともいえるだろう。今後は、生活圏に近い在来線の駅施設を生かしながら、近距離圏との接続をどう設計していくかも課題になりそうだ。