2027大河主役「小栗忠順」日本の危機を救った変人

小栗忠順(おぐりただまさ)(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』が出だし好調のようで、SNSでも話題となっています。戦国時代のファンがそれだけ多いということも言えるでしょう。そういう意味では、2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』も、幕末ファンを中心に大きな反響を呼ぶことになりそうです。
主演の松坂桃李さんが演じるのは、幕臣・小栗忠順(おぐりただまさ)。今から160年以上前に日米の通貨レートについて交渉を行い、日本を救ったとも評されています。はたしてどんな人物だったのでしょうか。著述家の真山知幸氏の新著『下積み図鑑 すごい人は無名のとき何をしていたのか?』から一部抜粋・再構成し、小栗がいかにして飛躍したのか、について解説します。
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ひたすら現実主義で周囲を呆れさせた

2027年のNHK大河ドラマでは、主人公に小栗上野介忠順が選ばれた。

【クリックして本の表紙を見る】『下積み図鑑: すごい人は無名のとき何をしていたのか?』(笠間書院)

小栗は文政10(1827)年に江戸の神田駿河台で生まれた。父は新潟奉行の小栗忠高で、名門旗本の家柄だった。幼少期はイタズラ好きのガキ大将で、しかも意地っ張りだったことから「頑童」(がんどう:聞き分けのない子どものこと)と呼ばれた。

9歳の時に小栗家の屋敷内にあった安積艮斎(あさかごんさい)の私塾に入門。14歳にしてすでに威風堂々たる人物になっており、煙管で煙草を吸いながら議論していたという。

隅田川での船に乗っての花見では、こんなことを語り出して、同行者を呆れさせた。

「あの川の堤は、水利上の利害はいかがであろう。またあの堤は、いま少し高くすれば有効ではあるまいか。あちらの水田こちらの水利は、民の生活のためには、いかがであろう」

小栗は酒を飲んだり、芸人を呼んで騒いだりすることに一切、関心を持たなかった。詩をたしなむこともせず、風流とは無縁のカタブツだったらしい。

書画を集めることは好きだったが、昔の人が書いた書画には関心を持たなかったという。「〇〇作」とあったところで、本当に本人が書いたものかどうかわかったものではない、というのだ。そのため、必ず書家の大家に目の前で書いてもらい、それを大事にしたという。

小栗は武術も熱心に学んだ。剣術は藤川整斎から免許皆伝を受け、柔術にも励んだほか、馬術や弓も得意だった。

そして田付主計に砲術を学んだことで、年配の与力(行政・司法・警察などの仕事)である結城啓之助と知り合うことになる。学問に優れた結城の開国論に刺激を受けて、小栗は「日本も開国すべきではないか」と考え始めたようだ。当時、幕府が500石以上の大型軍船の建造を禁じていることについて、小栗はこんな持論を唱えるようになる。

「今は三本マスト船の建造や使用を禁じられている。だが、もともと航海というものは日本の沿海だけに限って行うものではない。中国までも出かけて積極的に交易すべきものだ。三本マスト船を使わないわけにはゆかない」

これからの日本は造船の技術を向上させて、海外に出ていかなければならない――。海の向こうへと視野を広げたことが、やがて小栗の人生を大きく動かすことになる。

アメリカで交渉を任される

天保14(1843)年、17歳の小栗は初めて江戸城へ登城する。

文武の才を見込まれ、若くして徳川将軍の親衛隊「両御番」に抜擢されるが、「頑童」と呼ばれただけあってクセが強かったようだ。何度も役職を替えられたが、そのたびに復職を果たしている。小栗の能力はそれだけ必要とされていたということだろう。

プライベートでも、小栗は転機を迎えていた。22歳で林田藩の前藩主である建部政醇(たけべまさあつ)の娘・道子と結婚。29歳で亡くなった父の後を継いで、「又一」となった。

そんななか、大きな仕事を幕府から任されることになる。

安政6(1859)年に江戸幕府の目付(監察役)となると、その翌年の万延元(1860)年に日米修好通商条約批准書交換使節の一員として、小栗はアメリカへと旅立つ。

使節団の目的は安政5(1858)年に締結された日米修好通商条約に基づいて、ワシントンでの批准書を交換するというもの。だが、その船旅は過酷なものだった。

船は日本を出発してすぐに暴風雨に遭遇。出航当初こそ、みな甲板で景色を楽しんでいたが、江戸湾から外洋に出たあたりから波が高くなり、船は激しく揺れ動いた。

乗客のほとんどが船酔いに悩まされて、気持ちが悪くてろくに食事も取れなかったという。小栗も例外ではなかったようだ。乗船者から体調を聞かれたときにこう答えている。

「大変胸が苦しい、ひどいものです」

「大変胸が苦しい、ひどいものです」(イラスト:伊達努)

来るんじゃなかった……と、後悔してもおかしくはないが、アメリカでの経験が小栗を大きく成長させることになる。

欧米のネジやバネを持ち帰る

小栗が使節団の一員に加えられたのは、理由があった。井伊直弼が「財政に詳しい小栗も派遣して、アメリカの国務長官に日本の通貨がどのようなものかを説明してもらおう」と考えたために、小栗に白羽の矢が立てられたようだ。

現地に着くと、そんな井伊の期待に応えるべく、サンフランシスコ、ワシントンで財務担当や国務長官と交渉を重ね、フィラデルフィアに着くと造幣局へと向かった。

現地で小栗は天秤ばかりとソロバンを駆使して、アメリカの国務長官に必死に説明。取引で日本が不利にならないようなルール作りに貢献した。

その後も大統領や官僚、軍人、議員、市長、工場長、職工、市民などさまざまなアメリカ人と出会った小栗。

なかでも海軍造船所を視察できたことが印象的だったようだ。

そのときに見たネジやバネをもらうと、よほど珍しかったのか、大切に日本まで持って帰ってきている。

きっと「こんなネジやバネは日本では見たことがない。こんな小さなもの一つひとつが、軍艦を作り、大砲を作っていることを思うと、西洋の技術は想像以上に進んでいるな……」という思いを抱いたのだろう。

小栗は帰国後、「明治の父」と呼ばれるまでに、日本の改革を推し進めた。

【下積みから考える】

身の回りで「もっとこうしたほうがいいのに」と思うことはあるだろうか? 何かのルールや仕組みを変えたいとき、どうしたらよいだろう。

小栗忠順(イラスト:伊達努)

『下積み図鑑 すごい人は無名のとき何をしていたのか?』(真山知幸著/笠間書院)では、小栗忠順のように下積み時代に「いろいろ興味を持つ」ことで道を拓いた人物のほかに「好きや得意を伸ばす」「海外で道をひらく」「働きながら目指す」「支えられながら進む」「人から求められる」など、人生の初期におけるキャリア形成のタイプ別に、数多くの人物を取り上げています。

でも偉人たちと自分は違うし……と思うかもしれませんが、歴史に名を残す人に共通しているのは「苦難や挫折を飛躍につなげている」ということ。そのための重要なポイントを「下積みから考える」にまとめました。自分の努力が、結果的に偉業にまでつながるかどうかは、誰にもわかりません。ですが、逆境を乗り越えて自分らしく生きた偉人たちから、得るものは必ずあるはず。

「夢はあるけれどどう行動してよいかわからない」「打ち込むべき目標がまだ見つからない」「やるべきことはわかっているけれど、長続きしない」……人生の下積み時代には、そんな悩みを抱えがちです。人生の突破口を開くヒントに、ぜひご活用ください。